KAC「賀来家の日常」3.母の咲

凛々サイ

母の咲

「なんだよそのボサ頭、酷すぎるだろ」


 茶碗を洗っていた私をチラリと覗いたかと思うと、呆れたように口を出す夫に嫌気が差す。いつものことだ。


「いいでしょ別に。これが私なの!」

「店に出る時ぐらいちゃんとしろよ、その頭」


 それが社会へ出る礼儀だとでも言いたいのだろうか。夫のその発言に思わずムッとした。




 朝、身支度を整えると次にストレートアイロンで自由奔放な癖っ毛の規律を正した。


「よっし!」


 気合いの一声。過去、義理父が営んでいた本屋の手伝いをしたことはあったが、本格的な社会復帰は17年ぶりだ。本屋から業務形態をコンビニへ変えた賀来家の新しい一歩だ。私も気合いが入る。今日はその初日。子供を妊娠してからOLを辞め、私はこれまでずっと専業主婦として過ごしてきた。そのせいか少し緊張もしていた。






「申し訳ございません!」


 私の社会復帰は一言で言うと最悪だった。

慣れないレジ作業に接客業、覚えることも無数にあり、失敗しては毎日お客様へ頭を下げる日々だった。事前にあれだけ本部や夫から指導や説明を受けていたのに私より後からやってきたアルバイトスタッフが数倍この店の戦力になっていたのも私をまた落胆させた。あれだけ毎日何を見ても楽しく笑っていた日々はいつの間にか遠い記憶となり始め、家族からも心配された。


 だけどアイロンで真っ直ぐに規律を正された私の髪だけは変わらなかった。毎朝それは繰り返され、私の自由奔放な癖っ毛はこれでもかというほどに前へ習えをする。それは頭を下げる度にいつも目に飛び込んでくる。地へ向けて揺るぎなく伸び、正しくあれと言わんばかりに切り揃えられた横髪だった。


 その時、背後から頭を乱暴に鷲掴みにされた。そして四方八方にこれでもかという程に私の髪はかき乱された。


「こっちのほうがいいんじゃないか。ほら、いつもみたいに」


 夫はぐちゃぐちゃになった私の髪を見て、笑った。





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