物者照らすは月明かり

秋空 脱兎

残された物が多すぎる

 その日、友人の家はかつてないほど散らかっていた。

 具体的には、散乱した物で床が殆ど見えないくらい、散らかっていた。

 もはやぐちゃぐちゃを越えて、ぐっっっっっちゃぐちゃだった。


「あの……これでよくワタシを呼ぼうと思ったね……」

「生ゴミって訳でもないし、汚くはないよ?」

「うん、汚くないけど汚いのよ。何か踏み壊すんじゃないかって気を遣うこっちの身にもなってくれない?」


 前に家族の写真が入った写真立てを踏み割ってしまい、本当に申し訳なくなったのを思い出し、胸がジクジクとする感覚を覚える。

 大事な思い出を埋もれさすな、とも思いはするのだが。


「ごめんごめん。でも、これで配置が完璧なのよ」

「それこないだも言ったよね? しかも片付けるの手伝ったよね?」

「そうねえ。ありがとうねえ」

「ちょ、他人事たにんごとみたいに……! あのさ、流石にさ、ここからモノを探すの、今回で最後だからね?」

「おーけーおーけー」

「ホントに分かってんのかコイツ……? で、何を真っ先に探せばいいの? マイナンバーカードとか?」

「あー、じゃなくて、何て言うのかな……このくらいの大きさの、変わった文字が書かれた本というか。ハードカバーで、色はベージュ」

「ふうん……一応聞くけど、何文字?」

「×××××文字」

「え、なんて?」

「だから、×××××文字」


 ハッキリとした口調と音量の声だというのに、何故かしっかりと聞き取れない。


「……分かんない」

「でしょ?」

「…………うん? うん。まあいいや、とりあえず、見慣れない本を探せばいいのね。分かった。そっちもやってよ?」

「はーい」

「ホントに分かってんのかコイツ……?」


 こうして友人の部屋ゴミ屋敷漁りが始まった。

 そして数分後。


「あっ」


 キッチンカウンターの近くを漁っていると、それらしき本が出てきた。探し物かどうかを確かめるために友人に見せようとして拾い上げる。

 妙にひんやりとしていて、しっとりとした質感の本だった。

 一番近いのは、亡くなった後、防腐処理を施した遺体の皮膚だろうか。


「え────」


 予想外の感触に言葉を失いかけたが、何とか気を取り直して振り向くと、真後ろに友人の姿が。


「うわ!?」


 驚いて、思わず尻餅をついてしまった。

 この部屋でどうやって物音を立てずにここまで移動したんだ?


「あったんだ」


 そう聞くよりも早く、友人が口を開いた。


「え、お、おう。これなんだ?」

「ありがとうね」

「うん……あのさ、これ、何?」

「×××××の×××××っていう本」


 また、友人の口から上手く聞き取れない言葉が発せられた。


「……ねえ、さっきもだけど、何て言ってるの?」

「聞き取れる訳ないじゃん」

「え?」

「ほら、それ渡して」


 その言葉は、今まで聞いたどんな音よりも優しく包み込むような音色だった。


「うん……」


 さっきまでの疑問が全部どうでもよくなった気がして、妙な本を差し出そうとした、その時だった。


 友人の後方────ベランダへ続く窓の周辺の空間が破れ、凄まじい突風と共に何かが現れた。

 十代中頃から後半に見える少女だ。月明かりのような輝きを放つ長い髪に、赤暗く輝く大きな瞳。服は黒づくめ。


「誰だ!?」


 友人が叫ぶ。


「名乗る程の者ではないですわ」


 少女がたおやかに答えた。

 ワタシはというと、突然の出来事と、さっきまで疑問が一気に戻って来て、混乱しすぎて声一つ出せなかった。


「……! その姿、もしや吸血鬼の生き残りか! 混沌喰らいカオスイーターめ!」

「かおすいーたー……?」


 言葉の意味が解らないままに複唱する。

 置かれている状況が理解出来ない。何だこれ?

 友人は何をしていて、この少女は何だ?

 ワタシの疑問を無視するかのように、少女が笑みを浮かべる。


「そこまで解っているのなら、わたくしの用事も理解しているのでしょう?」

「貴様っ……!」


 友人が殺意を漲らせ、何かしようと右腕を動かした瞬間。


「はい。さようなら」


 吸血鬼と呼ばれた少女が、左腕をしなやかに振るった。

 たったそれだけで、友人の全身が雑巾のように絞られ、縮んで跡形もなく消えてしまった。


「はあ、何もさせずに終わらせられて良かった」


 少女ホッとした様子で呟いた。

 それからワタシを見て、


「あ、それ回収させてもらいますね」


 そう言って右の手首を返した。

 すると、妙な本がワタシの手からすり抜け、少女の右手の中に収まった。


「これ、知り合いが、間違えてさっきの人間に売っちゃったらしいのですよ。人類の身の丈に合わない狂気と混沌の知識が蓄えられた人皮にんぴの教本。銀色の巨人あの娘に大変な思いをさせる前に回収して欲しいと依頼を受けたのです」

「あ、あの……ワタシの友達は」

はるかな眠りに就いてもらいました」

「…………。殺した?」

「人間の尺度で言えば、そうですね。わたくし達は、この本の狂気から人の心を引き戻す術を持たないが故に、こうするほかありませんでした」


 少女が僅かに頭を下げると同時に、いつの間にか元に戻っていた空間が、再び破れ散った。


「彼女が死んだという結果は、この宇宙での話です。どこかには、こうはならなかった星もあるでしょう。では、この辺りで」


 少女はそう言って、破れた空間の向こう側へ消えていった。

 後に残ったのは、空間が元に戻っていくのをただ見つめる事しか出来なかった、何も解らないまま全てが終わってしまったという一点だけしか確信を持てない、頭の中がぐちゃぐちゃな人間ワタシと、友人の私物の海だけだった。



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