【KAC】ある芸術家の狂気

譚月遊生季

断章

 描き上がったばかりの下書きを、絵の具でぐちゃぐちゃに塗りつぶす。


 この絵じゃダメだ。

 この絵じゃ


 失われた面影に思いをせ、刻まれた傷痕を自らえぐる。

 美しいだけじゃダメだ。おぞましくなくては。

 恐ろしいだけじゃダメだ。魅力的でなくては。


 塗りつぶした絵をぐちゃぐちゃに丸めて捨て、新たなきみを描き始める。

 部屋に散らばる失敗作の「彼女」たちが僕を見る。幻影の「彼女」も僕を見る。「逃がさない」とばかりに……


 ぐちゃぐちゃに乱れた心で、ぐちゃぐちゃにこんがらがった思考のまま、汚れた指先だけが真実を手繰たぐり寄せる。

 彼女がくれた温もりを、彼女が与えた痛みを、余すことなくえがき出す。


 もう何日も食べていないし寝ていない。

 頭は割れるように痛いし、吐きたくとも吐くものはもう何もない。

 このまま、描きながら命が尽きる予感さえある。「彼女」になりきれなかった失敗作たちの視線に射抜かれながら、キャンバスに突っ伏して──


「……ッ、最っっっ高……!」


 むごたらしい最期を想像し、身震いする。

 今、僕の命は、とっくに死んだはずの「彼女」に握られている。


 この瞬間、全ての苦痛はかてになる。

 そうして、全ての懊悩おうのうは芸術へと置き換わる。


 僕は命をかけて、かつて確かに生きていた生身の彼女を、解釈の額縁に押し込めて理想の運命の女ファム・ファタールへと作り替える。

 彼女は死してなお僕をあいし、僕にあいされる。


 僕の魂は彼女に囚われ、彼女の屍は僕に弄ばれる。

 君が僕を赦さなかったように、僕も君を赦さない。僕は君を逃がさないし、僕も君から逃げられない。

 それが、僕達の愛だ。


 今は、亡霊たちの声すら聞こえない。

 ここにいるのは、僕ときみだけ。

 もう少し、あと少しで辿り着ける──


 ……ああ。見つけた。


 掴み取った魂を、キャンバスに刻みつける。

 指先はもう迷わない。沸き立つ血潮と情熱が、妄念を芸術さくひんへと昇華する。


 もう逃がさないよ。

 僕の女神。


 僕の、悪魔。

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