捨て身になるということ

 災害ボランティアは肉体労働である。
 身体が頑健でないととても勤まらない。
「よかれと思って」乗り込んでも、迷惑だけを撒き散らして、「感謝されない」と激怒するような人もいる。
 医師免許もないのに医療行為を行って捕まった人もいた。
 細々と食いつないでいた食料を勝手に持ち出して豪華料理を作り「さあ食べて下さい」と満面の笑顔で提供した人もいた。

 その人たちは何を期待していたのだろう。
 住人から感謝されてちやほやされるヒロイックな救済者像でも頭に浮かんでいるのだろうか。

 ただでさえ苦境にある被災地の人たちに大迷惑を撒き散らしても、彼らはそれについて想い至らない。
「困っている人をほっとけなかった」と美談を語り、誤解された、想ったように感謝されなかったと不満を述べるのだ。


 ボランティアは難しい。
 誠心誠意「よかれと思って」やったとしても、十分の一もうまくいかない。
 それに不平を云うくらいなら最初からボランティアなどしない方がいい。
 身を危険にさらして、泥まみれ細菌まみれになり、かかる費用は持ち出しで、へとへとになるだけの作業が被災地ボランティアだ。
「誠意が伝わらなかった」
 などと想うくらいなら、最初からその人にはボランティアをやる資格はない。
 被災地はあなたの、「感謝されてちやほやされたい」承認欲求を実現するために用意された舞台ではない。

 芸能人や商売人などは、「売名行為」と批難されても、「そうですよ。あなたもやったらどうですか」と云い返すメンタルがあるが、一般市民ならば下手な色気は出さないほうがよい。
 現場で必要とされるのは無言の人間機械。
 徹底した奉仕精神だ。


「ありがとうございます」
 きっと被災地の人たちは涙を流さんばかりにして、あなたに礼を云うだろう。
 それが唯一の見返りだ。
 くたくたになった身体のどこかに吸い込まれて消える。


 被災地ボランティア。
 もちろん感謝されるだろう。
 わたしも、もし被災してボランティアの人に来てもらえたら、いついつまでもその恩は忘れないし、子々孫々語り継ぐだろう。
 しかし、
「いえいえこちらこそ皆さんから元気をもらいました!」
 そう挨拶して去っていくボランティアの背中を、「憎い」と睨みつける人たちは少なくないのだ。

 その心理が分かるだろうか。
 もし分からないのなら、被災地に乗り込むような真似はしない方がいい。

 徹底的に無になり作業する。
 持て余している自分の気力体力を役立てるために行く。

 この境地に達することが出来ないのならば、「見返りが欲しい」と辺りを見廻すようならば、それは、「よかれと思って」ではないのだ。

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