#8 城塞都市ミアンハレ篇 ④ 表
目を開けると、暗黒の夜空が見えた。
……いや、待て。直前の記憶では、俺は落ちてきた天井の下敷きになったはずだ。
身を起こして周囲を確認してみる。
俺は瓦礫の山の上に仰向けで転がっていた。フィガロじいさんの小屋は完全に倒壊し、その柱や壁の一部だけが残っている。
俺の傍らには大柄なメイドが跪いていた……なんで?
「えっと、あの」
俺が声をかけると、彼女は顔を上げた。
青白い肌に、淀んだ眼。長い黒髪は土埃に塗れて汚れている。身長は軽く見積もっても二メートルを超すだろう。纏うメイド服は明らかに丈が足りていなかった。まるで急に身長が伸びたかのようだ。
彼女の瞳の奥から赤い光が漏れている。人間ではありえない現象。
この異様な容姿は――
「はい、ルーゼさま」
そしてやはり、あの時俺を助けてくれたメイドに間違いない。
尋ねたいことは山ほどある。
「えーと……君が助けてくれたのか? っていうかなんで俺の名前を? いや、どうして俺を助けたのか……ええと……どれから聞けばいいんだ」
喋りながら煩悶する俺を、彼女は黙って見据えていた。
時間や認識に重大な認識のズレが生じている
目の前のメアリに対する疑問は尽きない。だが、下手な質問は危険だ。
俺は慎重に言葉と選びながら会話を始める。
「……申し訳ないが、頭を打った衝撃かも知れない。俺は君のことをよく覚えていないんだ」
「左様でございますか」
覚えていないという言葉も、気まずげな俺の様子も、気にせずメアリは言った。
まだ地雷は踏んでいないと判断して続ける。
「君と俺の認識を擦り合わせたい。変な質問をするかもしれないが、いいか?」
「かしこまりました」
爆弾を解体するような気分だ。こんな感じの質問で良いのだろうか……。
「……よし、最初に名前を聞こう。君の名前を教えてくれるかい?」
「私の名前はメアリでございます」
メアリね。なんとなくメイドっぽい名前だな。
「俺とはどういう関係だったっけ?」
「ルーゼさまにお仕えする身でございます」
俺にこんな巨大メイドがいたなんて初耳だな。
この名前は剣に刻まれていた言葉から決めたもの。いわば仮名みたいなものだから、メアリが知っているはずはない……。
まあ、彫られていた文言が実は俺の名前だったって可能性もあるわけだが。
いずれにせよ、俺はただ日本からこの世界へ転生してきたってわけじゃなくて、
――”ルーゼ"としてこの世界で生きていた。
そしてその間の記憶を失っているんじゃないか、と推測できる。理由はわからんが。
事情を知っているのは、関係者っぽいこのメアリということになるが。
どうにかして彼女から情報を引き出せないだろうか。
「俺とメアリのことを教えてくれないか。たとえば去年のこととか」
「…………」
メアリは途端に無言になった。不安なまま一分ほどの時間が流れたのち、
「申し訳ございません。覚えておりません」
「だろうな……」
結局、俺の素性はわからないまま終わった。
「じゃあ、覚えている限りのことを教えてくれ」
メアリはまた一分ほど無言になったあと、
「メアリは森の中で目覚めました。ルーゼさまの元に行かねばという一心でした。不思議とルーゼさまのいらっしゃる方向がわかる感覚を覚えました。その通りに進みました。すると悪漢がルーゼ様を苦しめているところに辿りつきました。メアリは悪漢を止めに入りました。これが記憶の全てです」
なんらかの刺激で
「ああ、おかげで助かったよ。じゃあメアリが掘り出してくれたのか?」
「はい」
何気なく語るメアリの手は傷だらけで、骨が覗くほど裂けている部分もあった。なぜか出血こそないものの、かなり痛々しく見える。
無性に彼女への感謝の気持ちが溢れてきて、自分の警戒心が緩んだのを感じた。
「ありがとう、メアリ」
「もったいないお言葉です」
「……そうだ!あいつはどうなった?」
「ルーゼさまを襲っていた悪漢であれば、あちらの方角へ逃げられました」
と、メアリが指す方向に見えるのは、城壁に囲まれたこのミアンハレの裏門。
フィオを連れて街を出るつもりだ!
「メアリ。俺の恩人があの悪漢に捕まってるんだ。彼女を助けたいんだけど一人じゃ無理そうだ。ケガしてるところ悪いんだけど手伝ってくれるか?」
「承知しました」
彼女は即答した。
あまりの速さに俺がたじろいでいると、
「メアリはいつでもルーゼさまの味方でございます」
たとえ彼女が壊れた記憶をなぞり続ける
その言葉に少しだけ胸が熱くなった。
*
大通りを占拠していた
僅かに残っていた者も、俺たちの方には見向きもせず、虚ろな表情を浮かべながらただ家を探して彷徨い歩いていた。
メアリはそんな彼らに一瞥もくれず、ただ俺の後についてきた。
住民たちはみんな避難所に行っているのだろうか、街は静けさに包まれていた。
裏門が近づくにつれ、焚かれた松明の光がはっきりと見えるようになってきた。
俺たちは物陰に隠れながら接近する。
松明の明かりは意外と限定的で、照らされていない部分はより闇が濃くなったように感じる……って、小学生のキャンプで習ったっけ。
裏門を目視できる距離にまで近づいた。
そこには四、五台くらいの馬車が整列していた。いくつかの人影が、その中へ荷物を積み込んでいる。
路上に転がる影は――衛兵だろうか。
なぜか出発する様子を見せないが……このチャンスを逃せば後はない。
「メアリはここで待っててくれ。俺がフィオを救出したら、彼女を連れてどこか遠くへ逃げるんだ。守ってやってほしい」
彼女は頷かなかった。
「メアリが囮になる方がよろしいかと存じ上げますが」
「俺は大丈夫だ。まだ無茶が効くけど、メアリはそうじゃないだろ?」
と、彼女の手を示す。その場にあった布切れを巻きつけて応急処置をしたが……もし
メアリは無表情で、しかし不服そうな様子で答えた。
「かしこまりました」
「ありがとう」
「ですが、メアリの判断でご助力を差し上げてもよろしいでしょうか?」
なんつーか、機械的な感じだと思ってたんだけど。
意外と自己主張するんだな、
「もちろん、それは構わない。けど最優先はフィオの救出だからな」
「心得ております」
「頼んだぞ」
*
『だましたんですかっ!!』
裏門の一帯に叫び声が響く、それは間違いなくフィオのものだった。
叫びはすすり泣く嗚咽へと変わり、交代するように男の高笑いが響いてくる。
声の方を見ると、馬車の一つを覗き込む姿があった。間違いない、あの男だ。フィオに何かろくでもないことを吹き込んだに違いない。
怒りが込みあげてくるの感じる。
忍び寄る足が早まり、一歩一歩が大きな音を立てる。
だが、男はフィオを嘲るのに熱狂して気付かないようだ。遠巻きに休憩している人攫い達もこちらに気付いていない。
あいつに吠え面をかかせるなら、今しかない。
「この傷も彼が必死でつけた生きた証だったんだが、そこまでして助けたかった人に消されるとは皮肉な話だねえ。今頃ぺしゃんこになりながら君を――」
おい。もう一回、その耳を引きちぎられたいらしいな。
振りむいた男の顔が滑稽に歪む。
「誰がぺしゃんこだって?」
*
『なんじゃあ、そのメモ』
『えーとなになに……?「現在公開可能な情報:
『つまんねー!誰が読むんだよっ!』ポイッ
「現在公開可能な情報:
・『印の柱』の光を浴びることで四割ほどの確率で変異する。
・変異後、身体が変形することがある。肌の蒼白化、巨躯化、皺、虹彩の混濁など。
・時間の感覚がなく、断片的な記憶の再生を永遠に繰り返している。
思考する力は衰えないが、思考そのものが変化しないので意思疎通はほぼ困難。
・共通して、身体能力がかなり強化される。筋力、跳躍力、五感、無痛など。
転生先の異世界が滅びかけで草 明地 @02phreni88
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