#8 城塞都市ミアンハレ篇 ④ 裏


「”不死殺し”のランドール様が、いいザマじゃあないか」


 痛々しく流血する右耳を抑える男を前にして、黒衣に身を包んだその女は嘲った。

 ランドールと呼ばれた男は忌々しげに呟いた。

「黙れ、魔女め」


 そこは城塞都市ミアンハレの裏門。

 忌印レブナントの出入りを監視する衛兵たちはいない。代わりに、喉を掻きむしりながら苦悶の表情を浮かべる死体がいくつも転がっていた。

 不審な馬車が列をなしているが、それを気にする住民もいなかった。おぞましい忘我の河レーテーの最中、彼らはみな忌印が入ってくる門から離れた避難所で夜を明かしているのだ。


 だが、人攫いたちもまた待ちぼうけを喰らっていた。

 裏門の外には依然としてミアンハレに入り込もうとする忌印レブナント達が集っており、その数は多くはないが、無視して進めるほどでもなかった。

 強行すれば必ず彼らを刺激してしまう。その結果自分たちやが被害を受けることは避けなくてはならない。


「いつになったら出発できるんだ?」

「もう少しかかるよ。朝陽が射して忌印どもの活動が止まるまでの辛抱だ」

 忌印レブナント達は夜間に活発になり、昼の間は眠るように活動を止める者が多い。

 もちろん個体差はあるが、どんな個体もいずれは休眠状態に陥るのだ。この間に彼らを街の外へ運び出すことで、忘我の河レーテーは一旦の終結を迎える。


「それで? お前に傷をつけた不死者はどうなったんだい?」

「手こずったが、デカい忌印レブナントが乱入してきた。そいつが暴れて小屋が崩れたが、その下敷きになった」

「ふぅん……そっちは?」

「動かなくなったから置いてきた。墓でも建ててやるつもりじゃないか?」

「お前の右耳のかい? 不死者に墓はいらないだろ」

 不愉快な冗談を聞き流して、ランドールは車列を確認して回った。

 馬車の中には何人もの【祝福】の聖印シジルを発現した者たちの姿がある。その一つにフィオセレーネもいた。

 ランドールの心中に暗い欲望が巻き起こった。


「やあ、お嬢さん」

 ランドールが声をかける。

 フィオセレーネは虚ろな視線を足元に向けたままだ。

「お連れさんにひどくやられてね。お疲れのところすまないが、その【祝福】で私の耳を治してくれないか?」

 フィオセレーネは答えない。

「頼むよ。いきなり拉致したのは申し訳なかった。だが、君を守るために必要なことだったんだ。不死者と一緒にいたんじゃ、何をされるか――」

「ルーゼさんは」

 抑揚なく、しかし異議を申し立てるかのように口を開いた。

「ルーゼさんは私を傷つけませんでした……あなた達とは違います」

 それきりまた黙り込んだ。


「じゃあ、取引をしよう」

「…………」

「私の耳を治してくれるのと引き換えだ。どうだ?」

「無駄ですよ」

 彼女はにべもなく言った。

「ああ、あのくだらない制約……『【祝福】を持つ者は自分の利になるように奇跡を起こせない』だっけ?」


 より正確に述べるならば、『奇跡を請うその動機にわずかでも利己心があってはならない――さもなくば奇跡は起こらない』というものだ。この制約は【祝福】の聖印シジルを発現したその瞬間に理解し、紋様にある聖句として刻まれている。

 だからこそ、【祝福】の聖印シジルは発現しやすいが、それを使いこなせる者はほとんどいないのだ。

 真に曇りなく潔癖な聖人を選定する――故に【祝福】は神官の必須条件とされた。

 

 彼はくつくつと笑いながら続けた。

 彼女がこうして反応を示すのは、関心を持つ証拠に他ならない。

「安心したまえ……君ではなく、の利となる取引だ」

 彼女は無言を貫いている。だが、視線を彼の方にやった。

 ランドールが何を言わんとするか察しがついたらしい。


「このビジネス人売りをやっていると頑丈な奴隷を望む客が多くなってね……ほとんどは私の同士、人が限界を超えて苦痛に耐える様子を愛する好事家だが」

 フィオセレーネの顔が青ざめた。

「不死者……【不死】の聖印シジルを発現した者なんかはとくに評判がいい。精神が破綻するまで苛め放題だからな」

 彼女の反応を楽しみながらランドールは続ける。

「ことルーゼくん。彼はいい反応を示してくれるし、高く売れるだろうなぁ……」

「ルーゼさんにっ……!」

「そこで」


「私の耳を治してくれれば、ルーゼくんに今後一切近寄らないことを約束しよう」


 フィオセレーネの顔が葛藤に歪んだ。

 切り落とされた耳を治すなんて簡単なことだ。しかし、罪人を祝福することは聖印教団の戒律で固く禁じられている。

 その罰は左腕の切断――――すなわち、【祝福】の剥奪。

 だが、取引に応じなければルーゼに危険が及ぶ……!


「聖印教団の戒律は知っているとも。だが、まだ私は裁きを受けていない」

 煩悶するフィオセレーネを眺めながら、どのように言葉をかければ臨む反応を引き出せるか、狡猾に言葉を選びながらランドールは続ける。

「よって罪人ではない。だから君が処罰を受けることはない」

 震える彼女を慰めるように、だが滲み出る邪悪さを隠すことはできない。


「どうせもう君が聖印教団に合流することはないんだ。だったら戒律なんて気にせず、救える者を救うべきじゃないか? 少なくとも今、君は二人救えるぞ」

 その言葉に、ついに折れてしまった。


「『あなたを苛む』『耳の傷が』『疾く癒えますように』」


 彼女の左手から金色の光が溢れてランドールへ昇っていく。

 彼を包む光が消えた後には、傷一つない右耳があった。


「やあ、やあ。ありがとう。君の行いは気高く、ここに一人の人間を救った」

 芝居がかった口調でランドールは笑った。

「約束通り……ルーゼさんはぁ……」

「もちろん。一切近付かないとも」

 その口ぶりに、もはや加虐心を曝け出しながら。


「だが――私がここで活動するにあたって便宜してくれた友人が何人もいてね。もちろん彼らも私と同好の士なんだが」

 フィオセレーネが凍り付く、その表情はますますランドールを昂らせた。


「こんな騒ぎがあったんじゃあ、どこにルーゼくんが埋まっているかすぐわかるね? それについ彼が不死者だって喋ってしまったかもしれない」

「…………あなたっ」


「いやあ困ったなあ、私は彼にから助けられないぞ」

 満面の笑みを浮かべてランドールは囁いた。

 右耳の疼きが消え、それを味合わせた男の顛末がどのようなものになるか。想像するだけで鳥肌が立つほどの興奮が身体を巡った。


「私の友人たちは私よりよほど悪辣だから、どうか見つからないといいんだが」

「だましたんですかっ!!」

 絶望の形相でフィオセレーネが叫ぶ、それが愛おしくて彼はますます笑った。


「今頃彼は屋根の下で死に続けているだろう。知っているかい?人間は――彼は不死者だが――あまりにも狭い場所に閉じ込められると呼吸ができなくなるんだ。肺を膨らませる空間がなくてね。それはそれは苦しいだろう」

 涙声交じりにフィオセレーネが言葉にならない呻きをあげ、すすり泣く。

 あまりにもおかしくて、ランドールは高らかな声を上げて笑った。


「この傷も彼が必死でつけた証だったんだが、そこまでして助けたかった人に消されるとは皮肉な話だねえ。今頃ぺしゃんこになりながら君を――」


 背後から飛んできた怒声が、ランドールの言葉を遮った。

 彼は耳を疑った。彼女は動揺した。


 振り返ればそこにルーゼが立っている。


「誰がぺしゃんこだって?」



『なんじゃあ、そのメモ』

『えーとなになに……?「聖印教団の戒律について」だって』

『つまんねー!誰が読むんだよっ!』ポイッ



「聖印教団の戒律について」

罪人を祝福してはならない。その罰は祝福の剥奪とする。

*理由*

・自分に危害が加えられるから仕方なく祝福したというのは「利己心によるもの」とみなされるので、制約によってそもそも不可能。

・であれば、罪人を祝福場合、その祝福がその罪人のためになると心から信じている――すなわち自分の意志で罪人に加担していることを意味する。

・よってそいつも罪人。神官で罪人ということは神を裏切っているので剥奪は妥当。

・人質をとられていた? 問題外。神官ならすべてを神にささげよ。

 ↑この一節は物議を醸しているが、制定以来訂正されていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る