#7 城塞都市ミアンハレ篇 ③


 正面から人と戦うのは苦手だった。

 走馬灯のように脳裏を過る二十年間の人生を振り返ってみてそう思う。


 勉強でもスポーツでもゲームでも一対一の戦いを常に避けてきた。

 挑まれたらうまくかわしたり、逃げたり。どうしても戦わなきゃならないときはだまし討ちにも似たやり方で切り抜けた。

 そうしてきた理由はいくつか思い浮かぶが、突き詰めれば一言で表せる。

 つまり、俺はヘタレなのだ。

 傷つくのが嫌で勝負を避けてきた。


 そのツケが今、回ってきた。

 血液が逆流するような感覚。

 目の前の剣の達人にどうにかして勝たなくてはならない。

 そうしなきゃ俺は詰むし、なにより――フィオを助けられない。

 


 月明りを雨雲が隠した夜、おんぼろ小屋の影の中で俺たちは対峙していた。

 男が剣を掲げる、そのあまりの隙の無さにどう攻め込むべきかわからない。斬り飛ばされた右手がじくじくと痛むのも正しい判断を妨げた。

 俺は剣を逆手に持ったまま、体勢を低くして半身に構えた。フィオによって祝福され、人を傷つけられなくなった剣。それでも、防御には役立つだろう。


 男が半歩踏み出した、と思った瞬間に鋭い刃先が振り下ろされていた。

 剣を持つ左腕に斬撃が飛んできた。寸前で振り払った剣の鍔に当たり、はじき返す。けれど、それこそが男の真の狙いだったのだろう。

 男は反動を制御して、剣を小脇に抱えつつさらにもう一歩踏み込む。対する俺は、腕を思いっきり振り抜いたせいでガラ空きの身体を晒していた。


 鋭い突きが飛んでくる。胴体ではなく、俺の右足を刺そうとしていた。

 咄嗟に役立たずの右腕を伸ばして受ける。

 前腕の二本の骨の間を通って貫通したが、伸ばした勢いで剣先は逸れ、足に届くことはなかった。


 不死者との戦いを心得ているというのは、ハッタリじゃなさそうだ。

 今だって胴体を串刺しにできたのにあえてせず、俺の足を狙ってきた。『四肢を削いでいく』だっけ?まったくゾッとする話だ。


 狙いが外れた男は、剣を握る手首を返した。刺さったままの俺の腕も連動して無茶な角度にひねり上げられる。

「~~~~ぐぅうう……!」

 死なないとはいえ、痛覚はある。腕の中に埋まった刃が肉をかきまわす、その激痛にうめき声が漏れる。視界の中で火花が舞った。

 けれど、俺の視界のど真ん中に右腕を突き破る切っ先が見えた時――俺は男の意を察した。


 このまま刃をまっすぐ突き出せば、俺の右目は貫かれる!


 切っ先がせり出してくるのと、俺が精いっぱい顔を背けながら一か八かで飛び込んだのはほとんど同時だった。刃は俺の頬と耳を切り裂いた。

 男がわずかに動揺する、その一瞬の隙に前蹴りを繰り出す。無防備な腹部に命中して吹っ飛ばした。だが、さほど痛みは与えられなかったようだ。

 その勢いで、右腕を引き裂きながら剣は抜けた。


「驚いたね」

 男が身を起こしながら、苦悶に喘ぐ俺を見下ろして言う。

「反応は悪くない。判断力もなかなかだ」

「……そりゃどーも」

 左手は脂汗でぐっしょり濡れていた。このままじゃ剣が滑り落ちるのも時間の問題だろう。


「だが、痛みに慣れてないな。あまり死んだことがないんだろ」

 男の口の端が歪む。

「ならば簡単だ。死を恐れなくとも、痛みは別だからな」

「死んだこともないくせによく言うよ……」

 精一杯の減らず口を、男のサディスティックな笑いがかき消した。

「運悪く私と出会ってしまった不死者はみんなそう言った。だが、みんな最後には喚きながら懇願してきたよ。『殺してくれ』ってね。死ねないのに!」


 趣味の悪い野郎だ。

 だが、この後起こることを想像して怯えずにはいられなかった。

 もう十分痛い思いをしたが、こいつは拷問じみた剣技でもっと痛めつけてくると言っている。傷つくのが嫌な俺にとって、恐ろしくないはずがない。


 俺一人でこいつを倒せる可能性はゼロだ。

 素人と達人。その力の差は俺が不死であること踏まえても、絶望的に縮まらない。



 勝てる見込みはない。

 俺はこれからこいつに斬り刻まれて、

 でも


 抗いがたい諦めが心に忍び寄ってきて、すぐに支配された。


 けど、諦観を受け入れたその瞬間に生まれた、この感情は――反骨心。


 不死者を見くびっているから付け込む隙はあるかもしれない。

 どうせ無駄ならいっそヤケクソで醜くあがいてやろう。

 痛いのは嫌だ。

 クソみたいな人間性のくせに顔がやたら整っていて、ひどくムカつく。

 何もしないまま死にたくない。


 

 諦めを混沌とした感情が塗り返す。

 とにかく絶望してなお、俺は戦意を失わなかった。



 荒い息を吐きながら立ち上がる。

 ズタボロになった右腕の痛みが、自暴自棄な俺を後押ししているように感じる。

 男は片眉を上げてニヒルな笑みを浮かべる。笑ってんじゃねぇ、殺すぞ!


「…………が、ぁぁぁあああああああアアアアア!!!!!!」


 少しでも威勢を崩そうと、あらんかぎりの力を振り絞って絶叫した。だが、男は少しも動じた様子を見せない。スカした顔しやがって。

 沸き立つ不安を押し潰すように叫びながら、男に向かって突進した。


「狂ったふりをしても無駄だぞ、少年!」

 男がせせら笑う。

「君はいつまで本当に正気でいられ――――!?」

 直後、男の顔が困惑に歪む。


 俺の剣が、顔面に迫ってきたからだ。


 走り出したと同時にぶん投げた。

 身を守る唯一の武器を放り投げるという不可解な行動に、男の判断が一瞬遅れる。

 その僅かな思考の空白が、と認識するのを妨げた。

 加えて、剣同士でぶつけ合う分には見た目通りの硬さだったこと、持ち前の技量でこの剣を身に受けなかったことも判断を狂わせた。


 それらすべての狂いが集約された結果――男はわざわざ自分の剣で叩き落した!


 男が剣を振り抜いたのと、俺が間合いを詰めきったのは同時だった。

 勢いを殺さず、その胴体に右肩から体当たりを仕掛ける。

 無防備なところに命中したはずだが、目論見は外れた。相手はがむしゃらに剣を突き出し、俺の右胸から背中にかけて貫通する。


 だが。

 ぶっ刺されるのは慣れてんだよ!


 剣を握る男の腕を、左腕とズタボロの右腕とで必死に固定する。

 引き抜くことも切り裂くこともできないように。

 これで膠着状態だ。


 男は俺の制御から剣を取り戻そうともがく、その一方で俺は目の前にあるそれ――男の右耳に視線を向けた。

 そして勢いよく噛みついた。


 男が初めて悲鳴を上げた。甲高い音だった。

 突き刺した剣をグリグリねじり、精一杯の苦痛を与えようとする。だが、それはもう自分でやったことだ。

 男の右耳を食いちぎろうとあらんかぎりの力を込めている一方で、思考は妙に冷静だった。腕をグリグリされたときはめちゃくちゃ痛かったが、胸にされてるときは余裕で耐えられる苦痛だ。慣れの差なのかね?

 

 メリ、という音が聞こえた。

 男の悲鳴が一層甲高くなり、抵抗は必至に俺を殴ったり爪を立てたりするものに変わった。その一つ一つは男に味合わされた痛みのどれにも劣る、貧相なものだった。

 苦痛のあまり冷静な思考ができなくなっているんだろう。ざまーみろ。


 噛み締める顎に一層力が入った。もうすぐ千切れそうだ。

 男が俺を引きはがそうとする力を利用して、首に最大限のひねりを加えつつ俺も男を押しのけた。

 嫌な音があご越しに伝わって、血の味がする何かを咥えていることに気が付いた。

 男の耳だった。



 凄まじい力で跳ねのけられ、起き上がろうとしたところ、顔面に衝撃が走った。

 男の渾身の蹴りが炸裂したのだ。

 血走った目で俺を睨みつけながら、サドい口上も垂れず俺の脚に剣を突き立てる。

 腐りかけの床に串刺しにされてしまった。

 またかよ。


 逃げられなくなった俺に馬乗りになって、男は顔を近づけた。

「処刑はやめだ。お前は地下で飼ってやる」

「わーお、スケベじゃん」

 男の形相があまりにも滑稽で、思わず挑発してしまった。

 激昂した男の鉄拳が飛んでくる。口の中に歯が転がるのを感じた。

「つま先からミンチにして喰わせてやる」

「この変態野郎が」

 俺の挑発にまた鉄拳が飛んでくる。


「俺にそんな口を利けるのも今の内だ!まずは目とバイバイしようか……永遠の暗闇の中で後悔し続けるがいい!」

 俺の顔を掴んで、両の親指で眼球を潰そうと突き立ててくる。

 ああ、ここまでか――――と観念したその時、


 衝撃が家中に響いた。

 何もかもが揺れている。


 男が顔を上げて玄関の方を向く。

 ギリギリ目を潰されずに済んだ俺もそちらを見る。


 何かが、戸口に体当たりしている?



 次の瞬間、轟音と共に黒い塊が戸口を破って飛び込んできた!

 それは猛然と男を引きはがすと、勢いよく壁にに叩きつける。


 黒い…………メイド服?


 突然の事態に追いつけずにぼんやりとを見つめた。は窓の外で見た二メートル近いあの影だった。

 青白い肌、ドロドロに濡れた黒髪、その隙間から覗く濁った瞳。

 メイド姿の忌印レブナントが、俺を見つめて呟いた。


「ルーゼさま、お逃げください」


 なんで俺の名前を知ってる?


 困惑も束の間、崩落した天井の瓦礫が視界いっぱいに広がって――暗転。

 俺は死んだ。

  


『バイオレンスさいこーっ!』

『やっぱ不死者と言えば泥臭い戦法っしょ!』

『はわわ……すぺしゃる☆ごうもんタイムも見たかったなぁ……』

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