#7 城塞都市ミアンハレ篇 ②


 雨音はさらに大きくなっていた。

 『忘我の河レーテー』が近いこともあり、この家に入り込む可能性は低いとはいえ、一応フィオと交代で見張ることになった。

 夜が訪れる頃にはこの街を歩く住民の姿は皆無になっていた。


 しばらくすると城門の方から鐘を鳴らす音が聞こえてきた。

 何事かと飛び上がった俺に、フィオは街路の遠くを指さした。

 

 見れば、よろめき歩く歪な人の影。

忌印レブナントが入ってきました……忘我の河レーテーが始まったんです」

 二人して窓に近寄って大通りの様子を眺めた。

 入ってくる忌印レブナントの数は次第に増していった。はじめは二、三体だったのが、いつのまにか十、二十と増えていき……。あっという間に絶え間なく押し寄せる大行進が始まっていた。

 この街の景気が良かったころはこんなに人が溢れていたんだろう。

 しかし今や大通りを埋め尽くすのは、災害によって異形と化した、捨てられた人々だ。そう思うといたたまれない気持ちになった。

 静まり返った街に忌印レブナントが何事かを呟く声だけが響いていた。


「なんとなくなんだけど」

 通りを見張りながら、感じていたものをフィオにぶつけてみることした。

「フィオは忌印レブナントに優しい方じゃないかって思うんだ」

「…………」

 忘我の河レーテーが始まってから、フィオはずっと黙り込んでいる。

 もちろん見張りはするのだが、どこか落ち着かない表情だ。

「なんていうか、人間扱いしてるというか……」

「……あの人たちも元は人間ですから」

「でも、他の人は触れたがらないし、ひどく差別してるように見える」

「……そう、ですね」


 フィオは俯いて、窓から視線を外した。


「私は孤児院で育ちました」

 そして静かに語り始めた。

「生まれた時から親を知らず、運営しているシスターや孤児が家族でした。生活は貧しいし、病気が流行ってからはみんなで死を待つだけだったのですが……」

 左手の甲を撫でた。無意識のことだろう。

「ある日、空から『印の柱』が降ってきて……その光を浴びて、私は【祝福】の聖印シジルを授かりました。この力でみんなの病を抑えることができたんです」

 そう語るフィオだが、口調は暗いままだった。


「でも、ダリアが……私の一番大切な人が、忌印レブナントになってしまって」

 思わず息を呑んでしまう。フィオの声は震えていた。

「手を尽くしたけど、どうすることも出来なくて……聖印騎士団の方々が来てくださって、その場は収まりました」

 騎士団がその場を収めた、という言葉の意味を察するのに、そう時間はかからなかった。忌印となったダリアは殺されたのだろう。

「でも私にとって、いえ、みんなにとってダリアは家族だったんです。なのに忌印レブナントになってからはバケモノって呼ばれて……それが寂しくて」

「……フィオ」

「怯える気持ちは分かります。でも、私はまだ人間だと思ってて……」

 彼女は自分の服の袖を強く握った。

「……宿屋で怒ってたの、ルーゼさんだけじゃないですよ。私もちょっとだけムカっとなりました」



 深夜を回ったころだろうか。 

 玄関をノックする音が聞こえて、うとうとしていた意識は現実に引き戻された。

 何かが当たったわけではない。規則性と意図を持った音だ。

 無言のうちにフィオと顔を合わせる。


「(出た方がいいと思いますか?)」

「(この街の人間じゃなさそうだ。この家が空き家だって知らないみたいだから)」

「(旅の方でしょうか……)」

「(忌印レブナントがうろついてるのに、こんな時間に出歩くか?)」


 鞘にしまった剣を確かめる。攻撃には使えないが、脅しにはなるだろう。

 窓から大通りを見やると、土砂降りの中を大小さまざまな影がまばらに歩いているのがわかった。……いや、大きいのは二メートル近いんだけど。マジか。

 ともかく、二階から逃げるわけにもいかなそうだ。滑って石畳に頭を打ち付けるなんてことになれば、俺はともかくフィオはまずい。

 残念ながら雨除けの小屋根のせいで訪問者の姿を確認することはできなかった。

 いつの間にかノックの音は止んでいた。

 けど、雨音のせいで、訪問者が去ったかどうかはわからない。


 少しの沈黙のあと、開かれた扉がメイスに勢いよくぶつかる音が響いた。

 無人なら、こうしてつっかえ棒を仕掛ける必要もない。外出中なら外側に錠を残すだろう。こうして内側から侵入を防ぐ手立てを講じているということは、

 ――逆説的に、中に人がいることを証明する。


「ごめんください」

 若くない男の声。

「私は怪しい者ではありません。行商人です。行き場に困っていたら、ウェルムの宿の方からこの家を紹介されました」

 忌印レブナントを刺激しないようにか、控えめに、けど俺たちに聞こえる大きさの声量で語りかけてくる。

「雨に打たれて凍えそうです。どうか一晩だけ休ませてくれませんか?」


 再びフィオと目配せをする。

 僅かな月明かりの下、フィオは心配そうな表情を浮かべていた。

 俺は咄嗟に棚を指さす。

「(隠れててくれ)」

 フィオは頷くと、そろそろと物陰に身を潜ませた。


 暗くなっているので注意深くはしごを降りた後、俺は改めて玄関口に立った。

 この向こうに得体のしれない何者かがいる。そう思うと、緊張で心臓が早鐘を打つのを感じた。

 

「ごめんください」

 物音を察知してか、また男が声をかけてきた。

「どうか、一晩だけ泊めてくれませんか。今夜盗みに入ることの恐ろしさはわきまえているつもりです」

 男は淀みなく言った。


 もし強盗だったら、わざわざノックする必要はないだろう。最初からドアを押し破るなりすればいいはずだ。

 となれば扉を開けようとしたのも筋が通る。ノックに反応がなければこの家を利用している者はいない、ならば、この空き家に鍵がかかっているはずもない。

 誰かがいるとわかったうえで、なお押し入ろうとせず了承を求めるのは――相手がそれだけの良識を持っているからだと判断できる。

 意を決して、俺は扉を開いた。



 土砂降りの中、黒い外套に身を包んだ男が立っていた。

 目深にかぶった雨よけのフードの裾から、あご髭の生えた口元が覗いている。


「本当に開けてくださるとは、ありがとうございます」

 慇懃な口調で男は言った。

「このように身一つでお礼もできませんが……」

「俺も間借りしているだけだから、礼はいい」

 そうですか、と頷きながら、男は俺の顔をじっと見る。

「どうかしたか?」

「いやぁ……その白金しろかね色の髪、間違いありませんね」

 

 白金色?俺の地毛は黒だったはずだが。


「お連れ様は二階にいらっしゃいますか?」


 男の言葉に一瞬固まる。こいつ、なんでフィオのことを――。

 脳裏に山賊を逃がした一幕がよぎる。まさか、


 反射的に剣に伸ばした右手を、男の手から放たれた鋭い一閃が切り飛ばした。

 あまりの出来事に、見えるものすべてが遅く感じる。

 噴き出した血と、宙を舞う俺の右手と、仰け反った顔を掠める切っ先。

 そして永遠に等しいワンテンポのあと、遅れて痛みがやってきた。


「……~~~~ッ!」

 右手を抑え、蹲る。

 手首から先がなかった。血はすぐに止まったようだが、断面が燃えるように痛む。

 そんな俺を見下ろしながら男は口を開いた。


「不死者、と聞いているよ。頭をかち割られてもめった刺しにされても死ななかったんだって?」

 剣を俺に向ける。

 その後ろから何人かの男が顔を覗かせた。あの時見逃した山賊の姿がある。

 そいつらは蹲る俺を通り過ぎて……山賊は蹴っ飛ばしたりしながら、はしごを昇っていった。フィオの悲鳴が聞こえる。


「フィオ……!」

 反射的に起き上がろうとした寸前で危険を感じ、顔を背ける。

 先程まで俺の目があった場所を刃が通り過ぎていた。

 転がるようにして距離を取り、左手で逆手に剣を抜く。


「不死者との戦い方は心得ている。殺さずに無力化するんだ。死ねば復活するからな」

 俺の構えを意に介さず男は続けた。

「少しずつ四肢を削いでいく。目でもいい。そのまま転がっていればいずれは餓死するだろうが、それまでに溶鉄や海の底にでも沈めればいい」

「へぇ。そりゃ、ワクワクするね」

 軽口を叩いたが、そんな目に遭ったらと思うと気が気じゃなかった。


「離して……離してぇっ!」

 向かい合う俺たちの脇から、男たちに抱えられてフィオが運ばれていく。

 止めに入ろうとする俺を、剣を突き付けて男が阻む。

「邪魔するな!」

「そうもいかない。私の狙いはそちらの【祝福】持ちでね」


「ルーゼさんっ!」

「フィオ!」

 あれよあれよと外に運び出されたフィオが手を伸ばす、俺も反射的に右手を伸ばしたが、切り取られたそれが何かを掴むことはなかった。

 俺とフィオを阻むように、戸口を塞ぐように男が立つ。

「その剣は人を斬れないと聞いているよ」

 落ちていたメイスを外に蹴り飛ばしながら男は言った。

 

「さて、これで君は詰みだね?」


 まったく持ってその通りだ、畜生。



『こん転生者は人間とばっかい斬り合っちょっじゃ!』

『斬り合ってないよ、一方的に斬られてるよぅ』

『はやくドラゴンに丸焼きにされてるところがみたいよね~』

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