#6 城塞都市ミアンハレ篇 ①


「五万ガルド!?」

 宿の受付でフィオが素っ頓狂な声を上げていた。

 1ガルドが日本円でいくらなのかはわからないが、仮に1円だったとしても相当な金額になると想像できる。しかも、路銀として見せてもらったガルド硬貨は金貨で、メッキされているとしてもそこそこの価値があるように感じた。

 宿の主人は意地悪そうな表情を隠そうともせず、しかし声はすまなそうに言う。

「ほら、最近何かと物騒だろ? こちらとしても持つものを持ってる人にしか貸したくなくてね……」

「それにしても高すぎますよぉ!」

 フィオが非難するが、主人は涼しい顔だ。


 旗色が悪そうなので俺も援護に入ることにした。

「こんだけ高いと客もいないんじゃないか?」

「そうでもなくてね。聖印教団の次は行商人たちが借りてるよ」

 聖印教団の名を聞いてフィオが反応する。

「教団が来ていたのですか?」

「昨日出ていったがね。北のアマルトフィスに向かったよ」

 それを聞いてフィオはあからさまに落胆する。

 俺はまた新たに湧いてきた疑問を尋ねた。

「行商人がそんなに金を持ってるとは思えないけどね」

「もうすぐ『忘我の河レーテー』が来るんだぞ。命は売れねぇからな」

「なんだ、その、って」


 俺の問いに主人は目を丸くして、フィオの方に冗談めかして尋ねた。

「こいつ忌印レブナントじゃないだろうな」

「どういう意味だ」バカにされてるのはわかる。

「ち、違いますよぉ!『印の柱』のせいで記憶を失ってるんです」


「こないだの柱のせいで忌印レブナントどもが活発になってんだ」

 ため息をつくと主人はめんどくさそうに続いた。

「みんな路上で寝るわけにゃいかねーだろ?だから高い金出してでも宿に泊まるんだよ。あんたは河に呑まれても大丈夫そうだがな」

「ああ……?」

 こいつは人を馬鹿にしないと死ぬのか?

 イライラしてきた俺を気遣ってか、あるいはこれ以上は会話を続けても仕方がないと判断したのか、フィオが会話を打ち切る。

「わ、わかりましたぁ……せめて、何か食料を売ってくださいませんか?」

 主人はにやりと笑った。

「一万ガルドだ」



 パン、チーズ、見た目の悪いリンゴ、水。それらを二組。

 明らかにぼったくられているのがわかったが、ゴネるわけにもいかず、俺たちは小包を抱えて宿を出た。

 フィオがため息を吐いた。

「聖印教団はもうこの街にいない……」

 あからさまに落ち込んでいる様子だ。

「まあ、メシは手に入ったんだし。とりあえずどっかで落ち着いて食おうぜ」

 そう言ってから、あてつけに宿の食堂で食べればよかったと思いついた。まあ、居心地はよくないだろうが……。


 そういえばレーテーの話を聞き洩らしたことを思い出した。

「フィオ、その『レーテー』っていったい何なんだ?」

「大勢の忌印レブナントたちが一斉に家に帰ろうとする現象です」

「あいつらは記憶が壊れてるんだろ?」

「はい。でもあるとき突然――たとえば『印の柱』を見たときなどに、自分の家を思い出すんです。そして野原に放逐された彼らが一斉にそれぞれの町へ戻り、また何もかも忘れて野に戻される……それが『忘我の河レーテー』です」

「じゃあ、街の外で見たやつらは元はここの住民だったってことか」

 フィオは苦い顔で頷いた。

 俺の内心も複雑だった。話が通じなさそうなあの異様な連中も、元は誰かの家族で一人の人間だった。けど『印の柱』という災害のせいで何もかも変わり、街の外に捨てられるなんて。


忌印レブナント達は自分の認識とズレが生じると途端に暴れ出すというのは言いましたね。彼らの帰郷を阻んでも暴れ出します。だから、忘我の河レーテーの間は城門も家も開けたままにされているんです」

「それでか……」

 開けっ放しの城門と、その前に立つ衛兵たちを思い出した。

「じゃあ、その間は城壁の意味がなくなるんじゃないか?」

「魔物や猛獣は、なぜか忌印レブナントに近づかないとされています。実際に彼らが襲われることはあまりありませんし、忘我の河レーテーの間に襲撃されたという話も聞いたことがありません」


忌印レブナントも人間とはいえ……かかわり方を知らなかったり、変わり果てた姿を見たくない家族がほとんどです。だから、その間はほとんどの人は宿屋や避難所で生活するんです」

「でも、家を空けとくなら誰かが盗みに入るんじゃないか」

「帰宅を果たした忌印レブナントと鉢合わせすると酷い目に遭いますので」

「なるほどな……」


 話し込んでいたせいで、後ろから近づいてくる足音に気が付かなかった。

 軽い衝撃音のあと、フィオがふらつく。

 思わずそれを片手で支えた隙に、何者かが俺の抱えていた小包をひったくった。

「あっ、てめ……!」

 見れば、それはボロを纏った子供だ。路地裏の方へ駆けていく。

 反射的に俺は子供を追って走り出した。


 すばしっこかったが、少し追い回すうちに少年の足はもつれて転んでしまった。

 栄養失調なのだろう。よく見れば手足は細く、擦り傷だらけだ。

 彼が落とした包みを拾い上げた辺りで、放っておくのもどうかと思って立ち上がるのを手伝ってやった。

 そこにフィオも駆けつける。


「ルーゼさん!」

「大丈夫だ」

 良かった。ちょうど立たせているところを見てもらえた。俺がこいつを突き飛ばして――なんて誤解されたらたまったもんじゃない。

 フィオはすぐに自分の分の包みを破くと、その中から水とパンを少年に差し出した。そして優しく声をかける。

「泥棒なんてしなくても、ちょうだいって言えばあげますからね」

 少年も俺も目を丸くした。

 フィオは差し出した手を引っ込めるでもなく、彼が受け取るのを待っている。

 やがて少年の手がおずおずと食料に伸びた。

 そのままじっとフィオを見つめたあと、口を開いた。

「あんたたち、泊まる場所がないんだろ?」



「いらっしゃい」

 二人が宿を離れて少し経った頃、主人の前に黒ずくめの男が現れた。

 フードから覗くのは口元だけ、だがその体格は屈強で、只者ではないと直感させるには十分だった。

 

「さっきの二人だが……」

 男が口を開いた。主人はいぶかしげな視線を送りつつ、続きを促した。

「私の友人が彼らに痛めつけられたらしくてね。泊めないで正解だったよ」

 主人が片眉を上げる。

「そんなふうには見えなかったがね、特に女の子の方は」

「無理やり連れ歩いているのかもしれないな。彼女は【祝福】持ちの神官だ」

「……あんた何者だ?」

 しばし無言の時間が流れた。


 男は懐から金貨の束を取り出すと、受付に置いた。

「私の仲間が二人死んだ」

 机の上の金貨から手を離さないまま、その不確かな視線は主人を射抜いていた。

 主人はたじろいで、話の続きを待つしかなかった。

「彼らに殺されたんだ。それで追っている。衛兵には言うなよ、忘我のレーテーにかかりきりだからな……」

「私は行き先を知らんぞ」

 冷や汗が背中を伝うのを感じながら、主人は絞り出すように答えた。


「……この街は」

 値踏みするように見つめながら男は言った。

「魔物の襲撃にあったと聞く。それで主を失った家も多いはずだ。安心して夜を明かしたいから少し借りたい。知っていれば教えてくれるかな」

 そうして男は金貨の束から手を離した。

 主人は恐る恐るそれに手を伸ばしたが、男が何もしないのがわかるとすぐさま懐にしまい込んだ。そして少し思案した後、


「ここを南西に行った先にある廃墟なんだが……」

 


 それから少しして、俺たちは少年に先導されるまま廃墟群を歩いていた。

「勝手に入って大丈夫かよ。忌印レブナントが戻ってきたら……」

「だいじょうぶだよ」

 前を歩きながら少年は言う。

「フィガロじいさんに子供はいなかったし、じいさんも先週の襲撃で死んだ。あそこの家に戻ってくる人はいない」

「ほんとかよ……」

「オレが泊まるつもりだったんだけど。あんた殴らなかったし、メシも貰ったしな。友達のとこいくわ」

 フィオがお人好しで助かったと、にこやかに少年を見つめている彼女を眺めながら思った。俺も食料まで分けるつもりはなかったし。


「ついたよ。じゃ、次は周りに気を付けなよ!」

 案内を終えた少年が走り去る。

 確かに、これからスリやひったくりには気を付けた方がいい。

 フィガロじいさんの家は、外から見てもわかるボロ屋だった。漆喰の壁はひび割れ、その隙間から蔦が覗いている。窓は割れたまま何年も放置されているようだ。二階建てだが、これじゃ階段が残ってるかも怪しい。

 それでも屋根があるだけマシだった。雨が降り始めていたからだ。


「お邪魔しまーすぅ……」

 建付けの悪い扉を開けた俺の後ろでフィオが消え入りそうな声を出した。

 中は思ったよりは綺麗だったが、流しには表れていない食器が溜まり、床には埃が積もっていた。階段はやはり壊れており、代わりにはしごが立てかけられていた。

「誰も手入れしてない……ってことは、やっぱり身寄りがなかったのか」

「こんなご時世ですからねぇ。みんな自分のことにかかりきりなんです」

 ゴホゴホと咳き込みながらフィオは呟いた。

 さらに、フィガロ老人は後付けの粗末な錠前を使っていたようで、襲撃の際に閉め忘れられたそれが棚に転がっていた。鍵はなかった。持ち出されたのか、どこかへ失くしてしまったのか……。

 いずれにせよ、この錠前を使うわけにはいかない。山賊から拝借したメイスをつっかえ棒代わりにして扉枠に立てかけた。

 魔物の襲撃、忌印レブナントの帰郷、盗賊……安全とはいいがたいな。


 一通り掃除し終える頃には雨足が強くなり始めていた。

 食料はフィオと分け合った。彼女は固辞したが、この家を紹介してくれたのは彼女の施しがあったからだと説得すると、控えめながら受け取ってくれた。

 パンは乾燥しきっていて美味くはなかったが、不思議と満足感があった。


 ざあざあ降りしきる雨音を聞きながら、こう考えた。

 いまさらだが。


 念願の異世界転生したぜヒャッホウなんて言ってる場合ではないかもしれない。



『晩御飯できたよー!』

『うげーまた虫?趣味わっる!』

『じゃあ今度からドドルゲフが作ればいーじゃん!』

『こいつに任せると毒キノコルーレットするからダーメ!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る