#5 ゆきゆきてミアンハレ 


 は暗黒の中で目を覚ました。

 混濁した瞳は何も映さず、ただ赤い光だけを湛えている。

 過去と現在の区別が曖昧になった意識の中、は誰かに囁きかけた。

 

 「ルーゼさま……」



 鬱蒼とした森の、木々の隙間から眺める空は相変わらず混沌としていた。

 しばらくフィオと二人で歩いていると、剥き出しの地面はやがて石畳に舗装されたものに変わり始めた。街道に出たのだろう。

 といっても、長い間管理されていないようで石畳はボロボロ、間隙から草が覗いている始末だが。

 それでも、街が近づいているのはありがたかった。


「もう少ししたら丘があるので、そこから景色を見れますよ」

「そりゃよかった。ずっと森ばっか見てたからな」

「ミアンハレが見えるはずですぅ」


 城塞都市ミアンハレ。俺たちが向かっている街だ。

 大陸南部に位置するこの街は平原の中にあり、交通の要である一方で絶えず魔物や盗賊の危機に晒されていた。

 その災禍から守るために建設されたのが、街を一周して囲う巨大な壁だ。

 ミアンハレ北部の山から良質な石材が採掘できることもあって、城壁の建築はもちろん、近辺の街道を覆う石畳に用いられた。交易の主力でもあったそうだ。

 と、フィオがどや顔で教えてくれた。


「フィオはミアンハレに行ったことがあるのか?」

「ないです。でも、挿絵で見たことはありますよぉ。それはもう立派でした」


 城塞都市。俺も現物を見たことはない。

 それが現存しているとなると、やっぱりここは異世界なんだと実感させられる。



 しばらく街道を歩いていると突然視界が開けて、小高い丘の上に出た。

 赤と青をぐちゃぐちゃに混ぜたような空の下、だだっぴろい平原が広がり、一面を埋め尽くす黄金の穂が風を受けて揺れている。奥には切り立った山、その麓には確かに壁で囲われた都市が見える。あれがミアンハレなのだろう。中々幻想的な風景だ。

 街道はミアンハレへ続いていた。

 しかし……。


「なんか、思ったよりボロボロだな、城壁」

「ですねぇ……」


 かなりの距離があるが、それでも見てわかるくらいにはボロボロだった。

 幕壁はところどころ吹き飛んだと思しき部分があり、土台を残して半壊している櫓もあった。修復されている様子はない。

 城門のすぐそばに開いた大穴は、石材が有名な街だというのになぜか木で修復され、恥じるかのようにぼろ布で隠されていた。

 一応、壁の体をなしてはいるが……魔物や盗賊が襲撃してくるから建てられた、という由来の割には、これに命を預けて眠るのは難しいというのが正直な感想だ。

 

「森の中の石畳が手入れされてない辺りで、嫌な予感はしてましたがぁ……」

 フィオは落胆を隠せない様子で呟いた。

「これじゃあ、街もどうなっているかわかりませんねぇ……」

「まさか滅んでるとか?」

「そんなことはないとは思います。一週間前に手紙を受け取りましたもの」

 一週間前。微妙な時期だな。

「手紙にはなんて書かれてたんだ?」

「同じく神官の私の義姉が、聖印教団が来ると。しばらく滞在したあとに北へ向かうそうなので、そこに合流するために旅をしていました」

「そうか……だったら行ってみるしかないな」

 どのみち、休憩できるところを探さなきゃいけないし。

 歩きっぱなしの足が痛んだ。 



 丘を下り、平原の真ん中を突っ切ってミアンハレへ向かう。

 その途中で不気味なものを見た。


 街道とを仕切る壁の外は、腰まである黄金の穂が生い茂っていた。

 ミアンハレまでの道の中ほどに達したころ、それは起こった。


「それでさ、フェルミのやつは俺がおかしくなっちまったって言うんだよ」


 穂の中に座り込んでいた何者かが急に立ち上がると、俺たちに向けて呟いた。

 突然のことに驚き、声も出ない俺。対するフィオは表情を崩さない。


「毎日毎日同じもの喰って飽きないのかいって。馬鹿野郎、飽きないのが商い者って相場は決まっているだろう。なあ、そう思うよな?」

 返答に窮する俺をよそに、

「ええ。私もそう思います」

 フィオは落ち着き払ってそう返した。


「だよなあ。俺はおかしくねえよなあ」

 立ち上がったその男は、一見普通に見えるが――よく見ると異様な風体だった。

 そういう色の服なのかと思えば、全身が土や泥に塗れており、痩せこけて相貌の中で濁った色の目だけがギラついていた。皺だらけの乾いた皮膚を骨に貼り付けたような身体はやけに背が高く、無理やり縦に引き伸ばされたような印象を受ける。

 首からは、鍵のようなものをぶら下げていた。

 狂人――一目見てそう思った。

「すみません、私たち、急いでおりますのでぇ……」

 フィオは怯んだ様子も見せず、しかし申し訳なさそうに彼にそう告げる。

 男の方は俺たちから視線を外すと、またぶつぶつ呟く。

「そうだよなぁ、俺はおかしくねえよなあ」

 そう返すとまた黄金の穂の中に座り込んだ。


「行きましょう、ルーゼさん」

「お、え、あ、ああ。そうだな」

 フィオが俺の裾を掴んで足早にその場を後にする。

 微かにその手が震えているのがわかった。

 しかし、フィオがあんまり固く口を結んでいるものだから、俺もなんと声をかけるべきかわからず黙っていた。


 十分に距離をとったところで、彼女が口を開く。

「彼らは忌印レブナントと呼ばれています」

「レブナント?」

 声をかすかに震わせながらフィオは続ける。

「『印の柱』の光を浴びた時、記憶や心が壊れた方々のなれの果てです」

「…………」

「記憶の断片に縋り付いたまま、私たちとは異なる時間を生きています」

 認知症みたいな状態だろうか。

「……危険なのか?」

 フィオは首を振った。

「刺激しなければほとんどの場合は大丈夫です」

、か」

「襲い掛かるのはもちろんのこと、彼らの言い分を否定したり、認識のズレを指摘したり……そんなことがあると、少し、その、暴れん坊になります」

 暗い口調でフィオは続ける。その視線は自分のつま先を見つめていた。

 俺はいたたまれない気持ちになって、周囲を見渡した。

 するとさっきまでは見当たらなかったのに、草むらの凹みをところどころに発見した。あの一つ一つに忌印レブナントが座り込んでいると思うとゾッとした。


「フィオの【祝福】でなんとかできないのか?」

 俺の問いかけにフィオは短く答え、それきり黙り込んでしまった。


「できませんでした」



 結局、城門につくまで俺たちは無言だった。

 フィオの地雷を踏んでしまったのかと焦ったが、彼女は俯いたままで、なんとなく自分の世界に入り込んで後悔しているように思えた。

 過去に忌印レブナントと何かあったのだろうと推測するには十分だった。


 喜ばしいことに、ミアンハレの街は滅んでいなかった。

 城門の前には重装の衛兵が二人建っており、それを見下ろす櫓には弩や弓を構えた見張りが何人も構えていた。

 だが、いざ話してみればその態度は穏和で、俺たちが盗賊や忌印レブナントでないことを確認するとすぐに入れてもらえた。

 神官めいた服装のフィオや、俺の冒険者めいた格好が役に立った。

 そのころにはフィオも調子を取り戻しており、衛兵と軽く会話を交わしていた。


 ミアンハレ内部はというと、また暗い雰囲気が漂っていた。

 大通りには一目見て廃墟とわかるような建物が立ち並んでいる。

 混沌とした空はようやく暮れかけていたが、そのせいか街の影は濃くなり、その薄暗さがよりこの街の退廃を深めていた。

 行きかう人もまばらだが、誰もがこの世の終わりのような表情を浮かべていた。


「少し前の魔物の襲撃から立ち直れていないそうです」

 衛兵から話を聞いてきたフィオはそう言った。 

「街道や城壁が安全じゃなくなったから交易が途絶え、そのせいで内部の経済が滞ってと言っていました。亡くなった人も多いとか……」

「町全体が喪に服しているみたいな雰囲気だもんな」

「それに……また別の事情があるみたいで」

「というと?」

「落ち着いたときに話しましょう。宿が空いているといいのですが……」

 フィオは両手を合わせて呟いた。

「『失われた人々に』『残された人々に』『幸あれかし』」

 左手を覆う黒布の下で金色の光が放たれた。

 この街の惨状を悼むフィオの表情は真剣だった。



忌印レブナントって何考えてるかわかんないよね~』

『そんなことないよっ! んだ!』

『ずーっと自分の話しかしないもんね~』


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