#4 すべての不便は名前がないこと
「名前がわからない……のですか?」
目の前の空色の髪の少女、フィオは当惑した様子で呟く。
悪い冗談みたいだが頷くしかなかった。
状況整理をしている間に気付いたのだが、俺はこの山の中で剣をぶっ刺されてた経緯のほかに、自分の名前をもすっかり忘れてしまったらしい。
漢字かカタカナか、それすら思い出せない。住んでたのは思いっきり日本だからおそらくは漢字なんだろうが。親や親戚の名前も思い出せるが、旧姓を含めて名字が思い出せない。子供のころのあだ名もだ。
俺の記憶から、自分の名前に関する情報は全くと言っていいほど失われていた。
「その、俺もどこから説明したもんかわからないんだけどさ」
ほんとどこから何を説明したもんかね……。
*
そんなわけで、目が覚めたらこの剣で串刺しにされていたこと、なぜか死んでも勝手に復活すること、死ににくくなってること……を説明した。
さすがに「日本で大学生やってたんだよ~異世界転生してまいったね」って部分は話さなかった。フィオを混乱させても、俺の頭がヤバいと思われても困るしな。
結論としては奇妙な記憶喪失ということにした。
自分が何者なのか、どうしてここにいるのか一切わからない。ひょっとしたら他にも抜けてる記憶があるかも……って感じで。
そんな俺の話を、フィオは疑いもせず真剣に聞いてくれた。
「ふむむ…………」
フィオは顎に手を当てながら唸る。顔立ちが整っているから、こんな些細なしぐさをしても絵になるのが素晴らしいと思った。
「もしかしたら、さっきの『印の柱』の影響かも知れませんねぇ……」
「『印の柱』?」
俺の質問に、フィオは「ああやっぱり」みたいな反応を示した。
「『柱』に照らされて『
「記憶を失う」急に専門用語ラッシュがきたな。
「あなたのような状態は稀ですが、ないとも限りません」
「オッケー、詳しく教えてくれ」
*
「『印の柱』と呼ばれる現象があります。時折、空から真っ白な光の柱が降りてくるんですが……そんな光景は記憶にありませんかね?」
「いや、覚えてる限りではないな」
フィオは頷いた。
「無理もないでしょう。先も言いましたが、『柱』が放つ光を浴びた者は記憶を失くしてしまうことがあるんです」
「そりゃまた恐ろしいな」
「はい。それどころか、人によっては、その」
不意にフィオが口籠った。
「その……心が壊れてしまうことも、あります」
明らかに様子が変わったので、思わず彼女の顔を見てしまう。
うつむいたその瞳の中に闇が揺れた気がした。
「……災害ってわけね」
「ええ。いつ、どこに発生するかわかりません。十年前に王都リュシマールに出現したときは甚大な被害をもたらしました」
下を向いたまま、暗い口調でフィオは呟いた。
何を言うべきかわからなくて、しばらく無言のまま歩いた。
ついに沈黙に耐え切れなくなった俺から話を切り出した。
「さっきの話じゃ、ついでにシジ……えっと、なんとかどうって言ってたな」
「『
違う話題を振ってみると、またフィオの調子が戻った。
顔を挙げてこちらを覗き込んでくる。表情に翳りはない。
「そう、それだ。たぶん」
「『柱』の光を浴びると、こうした『
左手の黒布をめくって金色のアザを見せてきた。
よく見れば、アザというには複雑で意味ありげな紋様だ。入れ墨と言われても信じるかもしれない。
「これは【祝福】という意味のシジルです。私が思う『こうなればこの人のためになりますね』ということを実現する、という権能があります」
「さっきの、傷を癒したり、剣がぐにゃぐにゃになったりするやつか」
「そうです。【祝福】は比較的発現しやすいシジルで、神官になるための条件にもなってるんですよ」
えへん、と少し胸を張るフィオ。かわいい。
「つまり、超能力とか魔法みたいなもんか」
「ちょーのー……は分かりませんが、魔法とはまた別の力です。私ども神官は奇跡と言い表したりもします」
「なるほど」
「魔法は体系化されていて、学べばいろんなことができます。シジルはそれぞれの意味が体現する権能のみを振るえます」
えーと……ゲーム的に言うとスキルみたいなもんか。
「発現しやすい、というと? 同じシジルを発現する人もいるように聞こえるな」
「その通りですぅ!」
すごい勢いでフィオが頷く。
「シジルにはいろんな種類がありますが、見つかったものには聖印教団がすべて意味を見出して類型化し、図鑑に定期的にまとめているんです」
ほうほう、ちょっと興味があるな。
改めてフィオのシジルを観察してみる。
金色で、十字型の星を三条の弧線が囲んでいる。それぞれの弧に沿うように意味ありげな文字列が並んでいたが、読めない。
「金色、星、弧線上の聖句。これら3つの特徴をもつシジルは【祝福】の意味を持つとされています。細かな特徴は人によって異なりますがね」
「同じ意味のシジルでも、使える権能も人によって少しずつ違ったり?」
「はいぃ。すごい人は、死んだ人も蘇らせることができると。私はその規模の者はムリですが……」
死んだ人が蘇る、か。
「じゃあ……俺の蘇生能力もシジルによるものかもしれない、ってことか」
フィオは頷いた。
「その可能性は十分にあります。私、あなたを見つけるほんの少し前に『印の柱』が降りてきたのを見ましたもの」
「シジルが宿った者は、みんなどこかにそんなアザ……えっと、特徴が出るのか?」
「はい。だから『
もしかしたら服の内側にあるのかもしれない。そういえば、フィオの【祝福】を初めて見たとき、胸のあたりが掻き毟られたように疼いたっけ――。
*
「私、聖印教団に合流するために旅してるんです」
「ああ、神官って言ってたもんな」
「はいぃ。無事合流できたら、あなたのシジルについて調べることができるかもしれません。もしよかったら一緒に来ませんか?」
そりゃ願ってもない申し出だ。
「もちろん。フィオがいいって言うならついていきたい」
俺が快諾すると、彼女も満面の笑みを浮かべる。
子供っぽくてかわいいな……。
「やったぁ! よろしくおねがいしますぅ! えーっと……」
そこで話は振出しに戻った。俺の名前である。
「なにか、手掛かりのようなものはありませんか?」
「それが何もなくて……」
一通りポケットや衣類を検めてみたが、名札らしいものはなにもなかった。
ほかに調べていない持ち物といえば、この剣くらいか――、
「あっ!」
剣の峰に何かが彫られている。アルファベット……のようで、微妙に形も文法も違う、見たことのない文字だ。当然読めない。
しかし、フィオの聖印にあった文字に似ていなくもないような……。
「……あー、記憶のついでに文字も忘れたみたいだ」
ちょっと冗談めかしてフィオに見せると、彼女も苦笑を浮かべながら受け取った。
「これは……意味のある単語ではありません、固有名詞ですね」
ふむ、剣の銘ってとこだろうか。
まさか持ち主の名前を書いたりはしないもんな。
「なんて発音するんだ?」
「”ルーゼ”、と」
その時、俺は不思議な感覚を覚えた。
まるで子供のころの親友のあだ名のような、なつかしさ? 寂しさ?
どこか心が惹かれるような響きの、その言葉を気に入ったのは確かだ。
「じゃ、俺の名前はそれにしよう」
「え?」
「今日から俺の名前はルーゼだ、よろしくな」
「そ、そんなあっさり決めちゃっていいんですかぁ!?」
戸惑っているようだったが、結局は俺の差し出した手を握り返してくれた。
「えっとぉ……よろしくお願いします。ルーゼさん」
「うん、よろしくな」
*
『フワァ……(あくび)。ねー、なにその紙』
『どっかのアホが落としてったメモー』
『こんなん読んでても仕方ないよっ。捨てちゃえー!』
*
『
『印の柱』:光を浴びるとシジルが発現したり記憶や人格を失ったりする。
『聖印教団』:神の言葉であるシジルを蒐集し、新発見のものを実験・検証してその意味を同定したり名付けたりする集団。公的には神・印の柱・シジルの三位一体を信仰対象とするが、実態は三つに分裂し、シジルを崇める者が多い。
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