まさにそれはこの気持ち

はに丸

まさにそれはこの気持ち

 まず、大切なことから言おう。克美かつみは一才年下の司馬しばくんが好きである。

 部活動中、その姿を目に焼き付けたいと一挙一投足を注視し、少しでも接点がほしいと話しかける。そのひとつひとつ、全くひねりなく、小娘の浅さそのものなのだが、未だ義務教育中学生である、お許しいただきたい。

 さて、その浅さ。例えば、帰り道で走り寄り、袖をつかむ。

「ねえ、司馬んとこの英語担当って村山でしょ? あたしも去年そうだったの。だから過去問あるよ」

 このように、先輩面をして、背の低い克美は背の高い後輩を見上げ、得意気に笑った。

「まあ、部屋を片付けてたらたまたま過去問がでてきただけで! あんたのために持ってきてやろ〜てわけじゃないからね! ゴミだし? 捨ててもいいんだけど、使えないわけじゃないし!」

 克美はいらんことを長々と言った。司馬くんは特に気を悪くした様子もなく薄い表情のまま

「わざわざお持ち頂かなくても結構です。テストは日々の勉強で事足ります」

 と独特の低温ボイスで返した。声変わりが終わった司馬くんが口を開くと、地を震わせるような静かな音が出てくる。それは素敵なのだが、セリフの内容は全拒絶である。

「あ。いやまあ、そうね。でもあたしが! 先輩としての甲斐性を見せてやろうってんのよ。あんたのためってわけじゃないんだから顔を立てて」

 司馬くんのためだけに過去問を探し続けた克美は、必死であったが、それにしても垂れ流される言葉は押し付けがましく誠意がない。

 司馬少年は少々老成したところがあり、あからさまなため息もつかず、嫌な顔もしなかった。眉ひとつしかめず、

「いえ、けっこうです、いりません」

 とスッパリ断った。克美は、せっかく言ってあげてるのに! と怒って歩きさったあと、しゃがんで頭を抱えた。

 どうしてこうなるの。

『司馬の英語担当が村山って聞いたから過去問探したの。よければ役立てて』

 この程度のことを言って軽く渡すつもりであった。が、司馬くんに親切をしよう、好意を示そう、となると、とたんに憎まれ口を大いに叩いてしまう。克美は古式ゆかしい、不器用なツンデレというものであった。甲斐甲斐しく世話をしようとして、己で墓穴を掘りダイビングするような失敗をしている。事情を知る友人たちも

「よくもまあ、嫌われないわね」

 と呆れる始末。そう、司馬くんは克美を嫌っている様子はない。話しかければきちんと言葉を返し、そこに棘はないのである。

 年下の後輩は表情は薄く真面目な堅物だけど、人当たりは悪くなくて相談なんかにも乗っているのを見た。克美の強すぎる会話も遮ることなく最後まで聞いてくれる。

 好きになった理由をこじつけることは可能であり、かっこいい、優しい、落ち着いてる、声がいい、とあるわけだが、気づいたら好きでした、で良いだろう。

 司馬くんを思えば、克美は頬が熱くなる。手を繋いでデートできたらどんなに幸せだろう。好きですと言われたら、天に昇るし、そのまま結婚して子供を三人作るしかない。克美は子作りを具体的に考えているわけではなく、単に恋に浮かれて発想が飛躍しているのである。

 克美は部活動の合間に話しかけては、親密になろうとして失敗し、自己嫌悪に陥る日々であった。ただ、頻繁に近づいているわけであるから、近しい間柄になっていると言えなくもない。

 ある夜、大好きな少女マンガで、主人公が意中の人に弁当を渡していたシーンを読んだ。感情と思考が直結している克美は、もちろん思いつく。

「そうだ! 司馬くんとお昼ごはん食べよう! お弁当作って!」

 唐突かつ突拍子もない、なおかつ多大に迷惑な、良いアイデアである。克美は家にある食パンを使ってサンドイッチを作った。具はハムとチーズと卵の、鮮やかさのかけらもない。食パンは家にあった6枚切りを半分の厚さにするよう努力はした。斜めに歪んだパンにマヨネーズで和えたゆで卵を挟んで、克美はやり遂げた顔をした。

 朝の部活動が終わり、克美は司馬くんを呼び止めふたりきりとなった。

「ねえ、今日のお昼、一緒に食べよう。ちょっとさお弁当多めに作ってきたから減らすの協力してくれればいいの、別に司馬のために作ったわけじゃないんだからね!」

 克美はけっこうな量のサンドイッチが入った袋を掲げながら、自慢気のしたり顔で言った。司馬少年はこの独りよがりかつ押し付けがましい申し出を一瞥したあと、

「それならけっこうです。クラスのみなさんとお食べください」

 と断った。お前のためにつくったわけではない。違うクラスどころか学年が違う先輩。減らすだけ。導き出される答えとして、司馬少年は正しい。

 司馬くんの答えに、克美は動転した。彼女は何故か断られることを想定していなかったのである。

「い、いやでも、せっかくあたしが誘ったのよ。そこで断るの、後輩としてどうなのよ!」

 そうは言われても、という表情を司馬くんがかすかに浮かべた。そこに迷惑さを感じ取り、克美はますます動転していく。

「あんた、いつもそう! そうやって、能面みたいな顔で! あたしのことバカにしてんだ! せっかくの! あたしのサンドイッチもバカにしてんだ!」

 支離滅裂な言葉を口走りながら、克美は司馬くんに掴みかかった。むろん、克美は司馬くんがバカにしているなどと思ってはいない。しかし、気分というものは暴走するものである。そして司馬くんは年齢の割に大柄で、克美は小柄であり、掴みかかるというより、子供がむずがり癇癪を起こすような動きとなった。ポカポカ叩く、それである。

 たいして無害であっても、司馬少年は困った。付き合っていれば、遅刻すると判断したのである。

「先輩」

 ぐ、と片手を強く掴む。一瞬、克美の顔が恐怖に歪み、司馬少年をじっと見た。

「わあああん」

 克美は申し訳無さと悲しさと、そして恐ろしさに泣き出し、持っていた袋を司馬くんへ思い切り叩きつけた。袋の口は外れ、中からサンドイッチが飛び出し、司馬くんの体に当たって潰れた。あまりに勢いに巻いていたラップも破れ、司馬くんの服は汚れるし、地面に落ちたサンドイッチは砂と土まみれとなった。

「ぐちゃぐちゃ……」

 克美は、底が抜けたような悲しみに泣いた。司馬くんは何も悪くなく、憎まれ口を叩く己が悪く、そもそもこんなことを思いついたことが悪い。克美と司馬くんは部活動の先輩と後輩以上ではなく、学年やクラスを越えて踏み込むほどの仲ではない。一緒にふたりきりでお弁当などと、傍から見ても不自然である。

「先輩。遅刻します」

 司馬くんが無情なことを言う。彼としても戸惑っているのだろう。謝ることでもないが、人間であれば良心が痛む状況である。

 克美は何も答えられず、うつむいて泣き続けた。頭の中もぐちゃぐちゃだった。司馬くんも、いくら出来た人間とはいえ中学生である。気の利いた言葉ひとつ出せず、立ち去ろうとした。

「いかないで」

 その袖をとって、克美は小さく言った。司馬くんは、振り払わず、克美をじっと見る。

「……あたし、ぐちゃぐちゃになったの。だから、司馬がもっとして。司馬にぐちゃぐちゃにされたい、司馬でもっといっぱいになりたいの。あたしをぐちゃぐちゃにしなさい」

 常に騒々しい克美とは思えない、静かで感情が削ぎ落とされた声と顔だった。

「先輩で、後輩だから?」

 司馬くん――司馬の言葉に克美は深く頷く。

「それなら仕方ないですね、うちは上下厳しい」

 司馬は薄い表情のまま頷くと跪く。そのまま克美の足をそっとなでると、転ばないように体を支えて片足を持ち上げた。

 そうして、膝こぞうに口づける。

「ヤダァ」

 わけがわからなくなり、克美は泣きながら身をよじったが、司馬は許さずかっつり体を引き寄せ、膝こぞうや、太ももの浅い部分を口づけして舐めた。そのたびに、克美の小さな体は震えて跳ねる。まだ、脂肪の薄い腿は少女の瑞々しさがあったが、司馬はそのあたりに興味があるわけではない。手っ取り早い『ぐちゃぐちゃ』を考えたまでであった。

「あ、あたし、司馬が好きなんじゃないのっ、ただ先輩としてなのっ」

 克美が嗚咽とともに憎まれ口を叩く。司馬としては、この先輩は卑怯だとしか言えぬ。司馬は克美が好きなわけでもなく、嫌いなわけでもない。普通。先輩として、普通。後輩として普通。それ以上でもそれ以下でもない。交通事故なんかでいきなり死ねば人並みに悲しくなるだろうが、二年後には顔も名前も朧気になる、その程度である。

 ゆえに。

 告白してもらわないと、どうしようもない。

 克美が司馬に恋愛感情を抱いているなど、わかりきっている。人は己への好意に敏感であるし、何より克美はわかりやすい。しかし、憎まれ口の天邪鬼で、決定的な言葉を言わない。好きです、と告白しない。

 ――告白してくれないと、振れやしない

 あなたの好意はいりません、恋を思いませんという宣言は、相手の告白ありきである。司馬は克美の不器用なツンデレ体質により、不毛な関係を強要されているとも、思っている。

 克美の膝を甘く噛んで、舐める。司馬の体へ覆いかぶさるように克美がしがみつき、身をよじらせて小さく息を吐いた。

 司馬としては、克美自身に興味がないのだが。

 を容赦なく傷つける行為に、楽しさを覚えるようになった。憎まれ口のあと、司馬の冷静な言葉に克美が傷つくと、喜びがわく。ゆえに、ぐちゃぐちゃにして、という命令かつ懇願に司馬は抗わなかった。ぐちゃぐちゃに傷ついた克美は司馬の喜びにちがいない。克美の傷つく姿が見たいわけでないのだ。一途に己を好いてくれる少女が傷つくのが至宝なのである。

 始業ベルが鳴ったが、バカな少女は逃げなかったし、愚かな少年は手放さない。ぐちゃぐちゃのサンドイッチが何かを象徴するように転がっていた。

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