第2話

「僕は森教授に用があって、こちらを訪ねたんです。そうしたら、ちょうど彼女が教授を殺している瞬間に立ちあってしまって……。彼女は僕の存在に気づくと、殺意を僕に向け襲い掛かってきました。あと少し刑事さん達の到着が遅かったら、僕は今頃殺されていたでしょう」


 上手く作られたシナリオに、思わず学は声に出して笑ってしまう。


「それは私の話でしょう?」


 輝の眉毛がわずかに動く。紺色が今度は学の話を聞こうと学へと視線を向けた。


「私、この人が教授を殺す動画、撮ってるんです。怖かったけど、これが何かの証拠になればいいって思って」


 学はそう言うとスマートフォンを取り出し、先ほど撮った動画を見せる。それを見る三人を横目に、学は言葉を続けた。


「私は今日、森教授の研究内容について尋ねるためここを訪れたんですけど、ノックをする前に部屋の中から音が聞こえたんです。教授の苦しそうな声も聞こえて不安に思ったので、念のためスマートフォンのカメラを起動してそっとドアを開けました。そうしたら彼が、教授の頭を殴っていて……。兄が警察官なので、とりあえず兄に連絡しようと思ってしていたら、彼に私の存在がばれ、初めはナイフで、その次に拳銃で襲われました。私は兄から習った護衛術で身を守ったところ、お二人が到着したんです。なので、私は完全に正当防衛なんです」


 紺色が納得したように数回頷く。心なしか、学への視線が和らいだような気がした。


 その一方で、男子学生は顔を若干青ざめさせて首を横に振っていた。


「ち、違う。僕をはめようとしているんだ。この動画だって、おかしい。この女は隣の壁から出てきたんだ。それなのになんでドアの方から撮ったような映像があるんだよ。それに、あのぬいぐるみ――僕はこの女が持っているところを見たぞ。指紋がついているはずだ」


「壁から? 君は何を言ってるんだ?」


 紺色が眉を顰めて、男子学生への疑いを強める様子が分かる。学は紺色にばれないよう口角を上げると、男子学生の耳元で言った。


「あのぬいぐるみについたあたしの指紋を利用してあたしを犯人に仕立て上げようとしたのかもしれないけど、残念だったね。あたしはそもそも理工学部の学生ではないし、指紋を残さないよう常に薄い透明の手袋をしているからあたしの指紋はぬいぐるみからは出てこない。動画も壁側から撮ったものを扉側から撮ったように加工済み。あたしを犯人として成り立たせるのは不可能だよ」


 男子学生は顔を強張らせると、ゆっくりと学に視線を向ける。


「やっぱり、同業者か?」


 学は軽く微笑むと、小さく首を横に振った。


「残念。同業ではないけど、まあ、通りすがりの裏社会の人間ってところかな」


 男子学生はあからさまに肩を落とした。


「まさか、罪を擦り付けるためのターゲットが同業界の人間だったなんて……」


 学はその様子に小さく笑うと、男子学生の肩を軽く叩いた。


「君、人を見る目なさすぎ。自分と同じような上っ面を張り付けたような人間は警戒しなきゃ。綺麗な顔しか見せない人間は大体、黒い一面を持っているからね」


 ため息をつく男子学生を見て、学は満足そうに輝へと視線を向けた。


「さ、これで証拠はそろったでしょ。お兄ちゃん、逮捕、よろしく」


 輝は頷くと、腕時計で時間を確認し、手に手錠をかける。そして紺色にばれないよう、耳元でささやいた。


「よくもうちの可愛い妹を危ない目に遭わせたな。君のところの組織、つぶさせてもらうからね」


 男子学生は一層顔を青ざめさせる。その様子を不思議そうに見ている紺色に、輝は男子学生を引き渡した。


「彼をパトカーへ連れて行ってくれるかな。僕は妹が心配だから、少し話をしてから行く」


 紺色は「分かりました」と頷くと、男子学生を連れて部屋から出て行く。その姿が完全に見えなくなったことを確認すると、輝は心配そうな瞳を学に向けた。


「大丈夫だった? 自分の正体をばらすようなもの、何も残してないか?」


 学は笑いながら頷く。


「大丈夫。怪しい奴見つけたから後つけたら、その先で人が亡くなってただけだから」


「笑い事じゃないよ。全く、自ら危険に突っ込むような真似はしないよう言っていただろ」


 首を横に振る輝に、学は不服そうに頬を膨らませる。


「今回は巻き込まれただけだよ。犯人にされそうだったところを、自分で解決したの」


「学があの殺し屋の後を追わなくても、犯人にはされなかったでしょ。証拠になるぬいぐるみには指紋なんてついていないし、そもそも学はここの理工学部の学生でもない。この紙に書いてあることも、嘘っぱちだってすぐに分かったはずだ」


 輝はそう言うと、机の上に置かれた封筒を開く。そこには、理学部の学生と森教授が関係を持っており、森教授がその関係を終わらせるために書いたような手紙が残されていた。大方、理学部の女子学生がぬいぐるみを拾うのを待って、拾った人物を犯人に仕立て上げようとしたのだろう。ご丁寧に、手紙には『最後のプレゼントはこのぬいぐるみだ』と書いてある。凶器の指紋は拭き取ったものの、ぬいぐるみについた指紋は拭き取り忘れたと警察が考えると踏んだのだろう。理工学部の女子学生と分かれば、女子の人数が少ない学部であることが功をなして簡単に指紋の照合ができる。


 しかし、そのターゲットが運悪くスパイの技術を持った学であったため、指紋は残っておらず、ましてや理工学部と嘘を吐いたためその計画は初めから水の泡だった。


「ま、でもひとつ邪魔な組織を消す理由ができてよかったじゃん?」


 楽しそうに笑う学に、輝は眉を下げて頷く。


「そうだけど……。まあ、いっか。あそこの組織を潰せば仕事もやりやすくなるだろうしね」


 輝はそう言うと学の無事を確かめるように頭を優しくなでる。学は少し恥ずかしそうに、そっぽを向いた。


「いつまでも、子ども扱いしないでよ。つとむちゃんじゃあともかく」


「僕にとっては、勉も学も大切で可愛い妹だ。そうももちろん大切だし、皆、僕の守るべき対象だよ」


 学は悪戯っぽく笑うと、「輝兄も! あたし達兄妹にとって守るべき人だよ」と言った。


「ありがとう」


 輝がそう嬉しそうに頷いたとき、ノックの音が聞こえた。


仮谷かりやさん。妹さんとのお話し中すみませんが、鑑識入ってもよろしいでしょうか」


 輝が警察にいるときの偽名が呼ばれ、輝が「分かった。すぐ出るよ」と返事をする。


「鑑識が到着したようだ。僕達もそろそろ行こう」


 学は頷いて、扉に向かう輝の背中を追う。その見慣れた後ろ姿に、学は肩の力が抜けたような気がした。なんだかんだいって、自分も多少緊張していたのかもしれない。


 ――まあ、殺し屋と対面することなんて、まずないからな。


 学はそう心の中で苦笑いを浮かべながら、今回の事件を思い返したのであった。

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諜報員は騙されない。 ――ぬいぐるみ編 猫屋 寝子 @kotoraneko

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