図書館塔の魔女とぬいぐるみ
砂塔ろうか
図書館塔の魔女
図書館塔の頂上には魔女が住む——この学園の生徒ならば誰もが知る七つの噂話、七奇人伝承の一つだ。
そう。伝承。その存在は生徒から生徒。教員から教員へと代々語り継がれてきた。この学園の創始以来ずっと。およそ50年にわたって。
しかも、奇妙なことにその伝承が理由で設けられた校則さえ存在する。
校則第99条——眉目秀麗な男子学生の、図書館塔への立ち入りを禁ずる。
この校則の元となった図書館塔の魔女の逸話とは、こんな話だ。
曰く。図書館塔の頂上には魔女が住む。魔女はかつて、ここにあった城の姫であった。書痴の変わり者で、大変に美しい娘であったがよそへ嫁がせることは到底できまいと周囲からは半ば諦めの目を向けられていた。
その城の主は書痴の姫の存在を隠すために塔に姫を幽閉し、公的には死んだことにした。姫はその扱いに不満はなく、むしろ歓喜したという。
姫は召使いたちに命じて世界各地の本を蒐集し、読み耽る。そんな生活に大いに満足していた。
しかし————。
「——姫は恋をしてしまった。塔の外、なんとなしにちらと覗いた地上の景色の中には、麗しい青年がいた」
夕暮れの橙がわずかに格子窓から差し込んでくる。薄暗くなった図書館塔の頂上の一室には、ながいながい白髪の少女が椅子に腰掛けていた。手元には分厚い本。そしてぬいぐるみ。三頭身くらいにデフォルメされた黒髪の王子様。
この部屋の中には同様の、しかし服装やポーズ、小物類の異なるぬいぐるみが大量に並んでいた。
「……ええ。本は好きよ。今も昔も、それは変わらず。けれど、その時私はヒトに本に向けるのと同じだけの愛情を抱いてしまったの。わかる? それが、どういうことか」
視線は本に向けたまま、しかしその言葉は確実に僕に向けられたものだ。
ああ。なるほど。
理解した。
なぜ七奇人伝承などというものが語り継がれているのか。なぜ、わざわざ校則を作ってまで立ち入りを禁じたのか。
魔女の問いに答える。
「本は蒐集し、読むもの。それと同じ……ということだね」
「賢いのね。ますます好きになっちゃった。あなたとなら、たくさん『おはなし』できそう……」
魔女——その呼び名に相応わしい妖艶な表情。妖しく光る赤い
逃げないといけない——! そう直感した。自然、後ずさる。
考えるまでもない話だ。こんな、少なくともこの学園が出来た時からここにいる魔女——人外の化け物からは何をしてでも逃げるべきなのだ。たとえ、この図書館塔の頂上の部屋の窓、そこから飛び降りることになったとしても。
あるいは————いっそのこと、ここに核爆弾が投下されてこの図書館塔ごと学園施設のすべてを更地にしてほしい——そんなことさえ心の底では願ってしまっているのかもしれない。
僕だってこの学園に通う健全な生徒だ。大切な友達もクラスメートも相互理解不能な敵もいる。僕にとって学園は世界だ。だが、目の前に直面しているのは世界の中の異物。あるいは、遥か過去よりの遺物。理解不能という言葉でくくることさえ躊躇われる驚異。
これを討つためであれば世界を滅ぼしたって構わない。
本能的に、そんな恐怖心がふつふつと湧き出る。
だが。
僕は魔女——そう呼ばれた少女の手をとった。細く白くたおやかな指に触れて、そのひんやりとした体温を感じて、
「ああ。話がしたいならたくさん話をしよう! だが、お互いに人間としてだ……!」
馬鹿なことをしてると思う。別に「友達がぬいぐるみにされたから」とか「彼女に一目惚れしたから」とかそんなわかりやすい理由はない。
本音を言えば、僕にとっての彼女は徹頭徹尾化け物だし(もちろん、これから先その評価が覆らないとは限らないが)、過去、彼女のような驚異に幾度も遭遇してきてるぶん、むしろ恐怖はその辺の男子高校生よりマシマシだろう。
いや——だから、か。
危険物のような女性には何度も遭遇している僕だからこそ、ここで背を向けて逃げてはいけないのだと、そう思ったのかもしれない。
しっかりと、目を見て、語りかける。
「えっ……あ、えっえっ…………っ!?」
少女は、白い顔を真っ赤にしていた。
……なんだ、随分とかわいらしいなこの子。
「わ、わた、私がお話しても……いいの? お話、してくれ、してくださる……の?」
なんかすごいどもってる。
どうしよう、好みのタイプかもしれない。
危険物センサーが警報音をうんうん鳴らしているけど、たしかに、こういうすぐ
「……あ、ああ! その、君のことをもっと知りたいんだ! 本当に、伝承の通りのことが起きたのか……とか! この部屋のぬいぐるみのこととか……!」
「そ……そんなにたくさんお話してもいいの!?」
「もちろん! なんなら一週間くらいここに泊まり込んだって構わないよ!」
他意はない。決して。
「ええ!? い、一週間も一緒にいてくださるの!?」
「なんなら一ヶ月でも半年でも……いや、一生一緒にいよう!」
「わあい!」
————と、そんなことをノリと勢いで言ったら相手もノリと勢いで承諾してくれて…………それから100年後。僕、いや、私はついに寿命をまっとうした。
「あなた……」
かたわらには、出会った頃のままの、少女の姿をした愛する人。そして、彼女と一緒に作った多数のぬいぐるみたち。
記憶に靄がかかったように、細かいことは思い出せないが……それでも、この一生は幸いに満ちていた。だというのに、なぜ、どうして……君はそんなにも悲しそうな顔をしているのだろう……。
「………………」
なにか、言っている。けれど今際の際にある私には、なにも分からなかった。
◆
「——————ッ!!」
一瞬の白昼夢を経て——ここに戻ってきた。
私……いや、僕はいま、あの日の図書館塔の頂上。夕暮れの橙が差し込むなかにいる。
「なっ……君は……どうしてぬいぐるみにならずに……!?」
彼女は驚きの表情を浮かべていた。おそらく、彼女はこうなることを——この日に戻ってきてしまうことを理解していたのだろう。
そして、僕が消えてしまうことを予想していた。だから、この日に戻ったこと自体には驚かない。
「……本は蒐集し、読むもの。それと同じように人を愛してしまう君は、その人との人生を蒐集し、保存しているのか。この、部屋中にあるぬいぐるみ……それが、これまで君の愛してきた人々との人生の証なんだね」
「……っ!」
「そして、」
僕は拾い上げる、「いつの間にか」僕の足元に出現していたぬいぐるみを。
「これが、僕と君の人生の証だ」
僕はそれを彼女に手渡してあげた。
「……今まで、その人をぬいぐるみに変えてしまっていたのだと……思っていた。けれど、本当はぬいぐるみが出現すると同時に、人が消えていた……ということ?」
彼女は震える声で問う。
「ね、ねぇ! 私はずっと……ずっと愛した人がこのぬいぐるみになっていると思っていたの! いつか、呪いを解ければ人に戻せると……思っていたの……! だから、気に入った相手を『二人で一生を共にする夢』の中に連れ込むことに、躊躇なんてなかった……なのに……!!」
「……………………」
「どうして、あなたは…………」
「……特異な現象には慣れっこでね。この身はいくつもの呪いに塗れている。その呪いが、世界からの消滅を許してくれないんだろう」
「そう…………」
きっと、あの赤い目を見てからだな。あれから、僕はなんだか妙な思考に取り憑かれていたし、彼女もなんだかやけに上機嫌だったような気がする。だから、あれはもうすでに夢の中だったんだろう。
よく思い返してみれば————あの馬鹿馬鹿しいプロポーズをして以来、僕の人生に驚異という驚異は一つとして現れなかった。まだ解決していない過去の因縁も、これから作られることになるであろう新しき因縁も。
そんなの、僕のこれまでの人生では考えられないことだ。
「……君と過ごし、本を読んで、ぬいぐるみを編む時間は尊いものだった。ありがとう、偽りとはいえ、僕に穏かな夢を見させてくれて」
図書館塔の魔女の真実は十分に確かめた。こうなってしまった理由、魔女のゆえん……そんなことはあの夢の中で聞けたし、特異な力についても身を以て体験した。
もう、これ以上ここに居る理由はない。
「ねえ……私は、これからどうしたらいいと思う……? 教えて、くれるかしら……?」
「そんなことは、僕には分からない。だけど……外に出てみたら、いいんじゃないかな」
「外……?」
少女が顔を上げる。長い白髪がはらりと落ちて、そのかたちの良い顔が夕焼けに照らし出された。こみ上げてくる愛おしさを幻と断じて、僕は近付きたくなるのをぐっと堪えて、
「この図書館塔の外には、僕のような奇妙な人生を歩んでるやつがきっといる。その中にはひょっとしたら、君が愛し、どこかへ消えてしまった人々の行方を知っている人、取り戻すすべを知っている人もいるはずだ。
……もちろん、どう足掻いても取り戻せないということが分かるだけかもしれないけれど……」
無意味に、希望を持たせるようなことを言いたくはなかった。
「でも、ひとつだけ。……あの夢の中の日々は、すべてが幻だったけれど楽しかった。あんな優しい夢を見せてくれる君を、僕はもう魔女だなんて呼びたくない。そう思うくらいに、良いものだった。
だから……だから、君のこれからが幸いに満ちていると良いと……そう、思う」
「……………………」
「折を見てまた、会いに来るよ。今度は現実で、なんてことのない雑談をしよう」
言って、僕は部屋から出ていく。
……それからしばらくして、図書館塔の魔女の伝承——いや、噂は変質することになる。
教室の中。黒板の前には、床に髪がとどかんばかりのロングヘアをした、白髪の少女が立っていた。瞳の色は赤で、学校指定の鞄にも制服にも、たくさんのぬいぐるみをくくりつけている。
担任の先生が真偽の怪しい編入理由を軽く説明して、僕の隣の席に座るよう、その少女に告げた。
僕の隣りに腰かけて、彼女はにっこり微笑むと一個のぬいぐるみを手渡してくる。それはあの日、白昼夢から戻ってきた僕が拾い上げたものだった。
「これ、あなたが持っていてください。それが私との人生の象徴だと言うのなら……あなたには、私と過ごした日々を、忘れてほしくないから。
それはそれとして、これからは教室でもどこでも一緒にお喋りして、一緒に本を読んで、一緒にぬいぐるみを作って……本当の人生の中で、たくさんの思い出を、作りましょう?」
彼女の微笑みはあの日の妖艶さを残していて、僕は、ここがまた白昼夢の中ではないという確証も持てないまま授業の準備を始めた。
(了)
図書館塔の魔女とぬいぐるみ 砂塔ろうか @musmusbi
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