お姉さまと銃殺台

間川 レイ

第1話

 1.榊原幸子の日記


 1941年4月18日


 今日は私の誕生日。お姉さまからこの日記帳と、万年筆を頂いたので、折角なので今日から日記というものを私もつけてみようかと思う。普段は鉛筆ばかりで万年筆なんて使ったこともなかったので、慣れるためにもとにかく色々書いていこうと思う。ペン先を潰さないように書くのが中々難しい。


 それにしても、この日記帳と万年筆。お姉さまらしいといえばお姉さまらしいけれど、本当にいい趣味だと思う。日記帳は本革の装丁にクリーム色の紙の対比が本当にお洒落で、これから私の拙い文字で埋めていくのが勿体無いぐらい。表紙の黒革に金押しでDIARYと書かれているデザインもシンプルながらシャープで素敵だ。万年筆だって、何とかと言う有名な外国の商社から出されているそうで、本当に美しい。吸い込まれるように真っ黒なボディと、洋燈に照らされキラキラ、キラキラと眩い黄金色の煌めきを放つペン先たるや!一日中見ていても飽きないほどだ。いや、級友に言われなければ本当に一日中眺めていただろう。


 それは、ただ美しいからではない。お姉さまから頂いたと言うその事実こそが、更なる煌めきをもって輝かせるのだ、みたいな小洒落たことすら言いたくなる。実の兄様から貰ったルビーのネックレスだって、お姉さまからの頂き物の前では心なしかくすんで見える。なんて、こんな事を書いていると知られたら兄様にきっと怒られてしまうだろう。あるいはお姉さまにも。贈り物とは、比べるものではありませんよ。なんて。だから、この思いは私の胸だけに留めておく。


 1941年5月14日


 それにしても、お姉さまはやはり凄いお方だ。それこそ、お姉さまの「妹」になれたことをもって、この女学院に入学できたことの最大の幸運と言っても過言ではないぐらい。お姉さまの魅力は多々あれど、やっぱりその最大の魅力は気品だろう。さすがは華族出身と言えばいいのか、動作の一つ一つに気品があふれていて、私みたいなぽっと出の新興の商家上がりの娘とは大違いだ。格が違うとはまさに、お姉さまと私のような人間の間に使うのがふさわしいのだろう。いや、そもそも核からして違うのではないか、なんて。そんな僻みにも似た思いすら抱いてしまうほどだ。


 現に、お姉さまは何でもできる。料理、裁縫、お琴にお茶、お花だって。お姉さまはほんの嗜みよ、なんていうけれど、護身術も相当の腕前だ。この間上野のお山にハイキングに上がった際、私たちを女学生と侮って絡んできた酔いどれ三人を瞬く間にのしていた。それは最近流行りの映画のごとく。お姉さまが誰かに遅れをとる姿なんて想像だにできないし、今後の人生においても無いのではないか。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花なんて言葉は、お姉さまにこそ相応しい。


 さらにお姉さまは美貌にだって優れている。その英知にあふれた瞳はくりくりとしていて麗しく、鼻梁もすっと通っている。桜色の唇はいつだってぷりぷりとみずみずしく、烏の濡羽色のごとき御髪はさながら絹糸のごとく細く艶めいている。そのお身体は華奢でありながら凛と一本芯が通っていて、湯浴みの時間にご一緒させていただいた時拝見した裸体など白亜の大理石の如く。教科書で学んだミロのヴィーナスもかくやといった方こそがお姉さまだ。


 だからこそ思ってしまう。私ごときが「妹」に選んで頂いて良かったのだろうか、だなんて。我が校の伝統では新入生の学園生活や寄宿舎生活を支えるため、私たち新入生一人一人に上級生が「姉」としてつく事になっているけれど、正直な所お姉さまが私に何を見出して私を「妹」にして下さったのかがわからない。所詮私は新興財閥の娘に過ぎない。それこそ、お姉さまの「妹」になることを切望していた近衛のお嬢様など並み居るご歴々に比べれば、私など吹けば飛ぶような塵芥も同然だ。お姉さまの「妹」になるためなら大枚をはたいても惜しくはない生徒などざらにいるだろうに、何故私を選んでくださったのか。お姉さまは、その理由について教えてくださらない。米国では、そのような女性のことを「ミステリアス」な女性と言うのだと言う。


 私はお姉さまのことを心底敬愛している。私に様々な事を教えて下さる大恩あるお方でもある。でも、時折見せる「ミステリアス」なお顔は、少々恐ろしい。


 1941年6月5日


 お姉さまは凄いお方だ。お姉さまを見るたびにそう思う。お姉さまは何でもできる。それは勉学においても例外では無い。この間の中間試験でもまたもや学年主席の座に輝いたと耳にしたし、この間など英語科のウィリアムズ先生に、本国でも充分通用するクイーンズだとお褒めになられている姿を目撃した。時節柄難しいかもしれないが、落ち着いたら是非本国に一度来てみないか。紹介状なら用意するとも。本当に素晴らしいことだと思う。あのような方が私のお姉さまであることは本当に恵まれた事だ。周囲はそう思っているだろうし、私自身もそう思う。本当だ。


 それに引き換え、私の方の成績は良好とはいい難い。いや、決して落ちこぼれているわけでは無いのだが、今一つ勘を掴み損ねていると言うか、伸び悩んでいるのもまた事実。これまではずっと首席か、その周辺にいただけに現在の状況には歯痒いものがある。勉強時間が足りていないわけでは無い。勉強量が足りていないわけでも無いと思う。それだけに、成績が伸び悩んでいる事が無性に歯痒い。実家も煩く言ってくるようになった。何とかしなければ、という意識はある。だけど、どうすればいいか。その方法がわからない。


 いや、正直に言おう。日記の中でまで意地を張る必要もあるまい。私はこれでも「ベスト」を尽くしているつもりだ。それなのに結果が伴わないのは酷く辛い。実家が煩くいう理屈も頭では理解できるが、頭ごなしに言われるのは腹が立つ。一応友達と言える子もできたが、出会ってまだ二ヶ月にも満たない。どこまで踏み込んでいいかお互い探り探りの状態だ。とても親友とはいい難い。この辛さを打ち明けられる人が誰もいないのが辛くて辛くてたまらない。死にたい、とか考えるべきでないことは頭では理解している。だけど、こころの、心臓の温度がどんどん下がっているような、こころがどんどん虚ろになっていく感覚がある。私が私ではなくなっていくような。別に、今すぐ首を吊りたいわけじゃない。でも、生きていきたくも無い。気づけば、どうすれば楽に死ねるか、なんて考えてしまう自分がいる。身体に鉛を詰め込まれたような倦怠感がずっと続いている。本音を言う事が許されるのなら、息をする事だって辛い。呼吸をすることが、生きていくことがこんなにも大変だったとは知らなかった。叶う事なら殺して欲しい。苦痛なく。速やかに。駄目だ、そんな事を考えるべきではない。私が壊れていくのがわかる。私が失われていく。どうか神様。私を助けて。


 1941年6月5日 追記

 お姉さまがホットミルクを持って来てくださったので少し落ち着いた。蜂蜜を垂らしたホットミルクはとても美味しかった。少々パニックになってしまったようだ。我ながら恥ずかしい。誰でも今の時期は「ナーバス」になるものよ、なんてお姉さまは仰って下さったけれど。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。それに、温かい甘いものを飲んで気が緩んでしまったのか、大泣きした事はもっと恥ずかしい。お姉さまが野次馬を散らしてくださらなかったら、とんだ恥をかく所だった。


 それにしても、まさかこの私があそこまで大泣きする事になるとは。それも他人に縋って。優しく抱きしめて下さったお姉さまが、とても柔らかくて温かくて。何だか懐かしい感じがしたからかもしれない。泣きじゃくる私の背中をさする手が、とても優しかったことをよく覚えている。随分泣きじゃくってしまったので喉が痛い。成績が上がらなくて辛い事、実家に腹が立つこと。死にたい事。死にたいなんて考えてはいけないこと。そしてお姉さまの真意が見えなくてちょっと怖い事。なぜこんなに出来が悪い私を「妹」に選んでくださったのか、なんて。今からでも遅く無いので他の子を選んで下さいと泣きついてしまった。お姉さまは黙って私の言葉を聞いてくれた。咽び泣く私の背中をやさしく撫でて下さった。


 お姉さま曰く、私は頑張り屋さんが好きなのとのこと。限界を超えて、その先に進もうとする子が好きと。そして私はそんな子に見えた。現に、限界を超えて頑張ろうとしている。そんな素質を見込んで選んだのだと仰って下さった。でも、もっと私を気にかけるべきだったとも。私がそんなにも抱え込んでいる事に気づけなかった、ごめんなさい、とも謝って下さった。そんな事はないのに。碌な相談すらしなかった私が悪いのに。


 それに、私のどこをみてそんな風に思って下さったのかは正直わからない。だが、今日の事を私は一生忘れないだろう。お姉さまは私を見ていて下さった。私が1番辛い時、そばにいて下さった。私を見込んで下さった。こんな所でへこたれていてはお姉さまの顔に泥を塗ってしまう。だから私は頑張るのだ。それに、お姉さまがこれから私の勉強を見てくださるという。なんとありがたいことか。私はお姉さまの事を少々、誤解していたのかもしれない。

 

 1941年7月26日


 お姉さまは凄いお方だ。私はいつだって思っているし、今後の人生においてもずっと思い続けるのだろう。そんな予感がある。だってお姉さまは何でもできるし、美貌にだって優れている。


 だけど、お姉さまの真価はそんな所には無い。お姉さまの輝きは、そんな所から生じているのでは無い。お姉さまがお姉さまたる所以は、やはりそのお人柄にあるのだろう。富者に厳しく、貧者に優しく。勇なきを許し、争いを厭う。その在り方はさながら聖者だ。それはジャンヌ・ダルクの再来の如く。時節柄が時節柄にも関わらず、己とはかくあるべしを貫けるその姿は私のような凡人にはあまりにも眩しい。私のような人間は、百回死んで生まれ変わってもお姉さまの様にはなれまい。お姉さまは例えるならば太陽だ。それも元始の太陽だ。そしてここだけの話、その輝きはこのご時世の中であまりにも危険だ。学内でならともかく、学外でのお姉さまの評判は必ずしも良く無い。我が家でも叔父様が、「女の癖に」と毒付くのを聞いたのも一度や2度では無い。


 だけど、お姉さまは立派な方だ。少なくとも、私だけは知っている。毎夜毎夜、遅くまで私の勉強に付き合ってくださる。その教え方のお上手なことと言ったら!ひょっとしたら、学園の先生よりもお上手なのでは、なんて思ってしまうほどだ。私は案外、お姉さまが冗句好きな事を初めて知った。それも、殿方が使うような下品な冗句などでは無い。機智とウィットに富んだ冗句で、私を笑わせてくださる。それも、私の集中力が切れてきた頃を見計らって。それが大変良いリフレッシュになるのだ。また、時折手ずから淹れて下さるホットミルクの美味しさたるや!シナモンやはちみつ、変わり種ではバニラエッセンスなど、毎回違ったアレンジを加えて下さって、次はどんなお味だろうと密かに楽しみにしている私がいる。お姉さまはそんな細やかな気配りをして下さる優しい方なのだ。お姉さまを悪くいう人がいうような、高慢さやお高くとまったところなんて微塵もない。そんな事をいう人は、お姉さまの事を全然分かっていないのだ。


 だけれども、私は悪い子だから思ってしまう。世界中の人間がお姉さまを嫌えば、お姉さまは私だけのお姉さまになってくださるのではないか、なんて。お姉さまの魅力をもっとみんなに知ってほしい。でも、これ以上お姉さまを慕う人が増えれば、あまり構って貰えなくなるのではないか。こんな事を考えるあたり、私はどうかしてしまっているのかもしれない。いや、これは私だけの日記だ。日記の中でぐらい、自分に正直になろう。お姉さまの温もりを感じながら学ぶ時間を失うのは、今の私にはいささか耐え難い。


 1941年8月15日


 やはりお姉さまはすごいお方だ。学問に秀でているばかりか、小説にも造詣が深くていらっしゃるとは。だって勉強ばかりじゃつまらないじゃない、なんておっしゃるけれど、あれだけの学識を持たれながら小説にまで通じていらっしゃるのはすごいことだと思う。まさか舞姫にそのような読み方があるだなんて夢にも思わなかった。それにポーから夢野久作に至るまで、その読まれる幅の広さったら!私もそれなりに読む方だと自負していたけれど、やっぱりお姉さまと比べればまだまだだ。


 それに、小説を低俗なものとお見下しにならなかったのも最高だ。中にはいるのだ。私たち女学生の中にも、殿方みたいに小説を読む事を小馬鹿にする方が。所詮は婦女子の読み物と。そうした所で、私達女が男になれるわけではあるまいに。だけど、なんとお姉さまはご自身でも小説をお書きになるぐらい小説がお好きなのだという。ほんの手慰みよ、なんてお姉さまは仰るけれど、ちらと見せていただいた短編小説の面白かったこと!思わず息を呑むようにして読み込んでしまった。今すぐに出版社に持ち込んで、万民に読んでもらいたい。そう思えるほど素晴らしい作品だった。なんと言えばいいのか、悲しい物語なのだけれど、独特の余韻と深みがあって。いや、あの読了時の感慨をいい表すのは難しい。上手く言葉に出来ないけれど、とにかく素晴らしかったのだ。お姉さまは常々、私達の紡ぐ言葉には、世界を作り変える力があるなんて仰るけれど、本当にそんな「パワー」を感じるような、素敵な作品だった。


 やっぱりお姉さまは最高だ。ずっとお姉さまと一緒にいられたらいいのに。たとえ生まれし時は違えども、死ぬ時は、なんて。近頃はそんなことばかり考えてしまう。


 1941年9月3日

 お姉さまはすごいお方だ。私どものような女学生と言えば、蝶よ花よと育てられ、温室育ちが相場で世俗に疎いのが常だ。それは私とて例外ではない。第一、私達のような女に世俗に触れているような時間なんてない。幼き頃から礼儀作法を叩きこまれ、お茶やお花といったお稽古におわれるのが常だ。だけどお姉さまはあれほど諸芸に通じていながら、まさか世俗にまで通じていらっしゃるとは。偶には外に出ないとね、なんて今日はお姉さまに東京観光に連れ出していただいたのだ。


 お昼ごろ学院を出た私たちは、まず資生堂パーラーでお昼ご飯を食べた。資生堂パーラーの名前は勿論知っていたけれど、洋食など軽佻浮薄というお祖父様の方針で行ったことがなかったのだ。そこで食べたオムライスの柔らかさたるや!ふわふわ、とろとろとしていて、何と言ったらいいか分からないけれど、兎に角美味しかった。ほっぺたが落ちるかと思ったほどだ。思わず両手で頬を抑えてしまったのは私とお姉さまだけの秘密だ。そんなことしなくても、ほっぺたは落ちないわ。なんて笑ってくださったお姉さまの笑顔はとても可愛かった。


 また恥ずかしながら私は、そこで初めてパフェを食べた。我が家で出されるお菓子はもっぱら和菓子一色だったから。パフェとはアイスクリームや沢山のフルーツの乗った洋菓子のことで、とても冷たく甘く、そして大きかった。和菓子の控えめな甘さとはことなり、強烈な洋菓子特有の甘さと、洋酒の香りが印象的だった。さすがに一人では食べきれなかったので、お姉さまと半分こして食べた。お姉さまと食べるパフェは、何倍も甘露に感じた。


 その後はお姉さまと映画を見た。日活の恐怖映画だった。殺人鬼を主題とした映画で、震え上がってしまうほど恐ろしかった。お姉さまがこんな所謂悪趣味な映画を好んで見るのは意外だったし、思わず小さく叫びそうになるほど怖かったけれど、私の手を握って下さったその手はマシュマロのように柔らかく、温かかった。また、浅草の雷門も見た。噂に聞くよりも大きくって、人も多かった。人ごみに酔ってしまった私の額に「大丈夫?」とあててくださった手のほのかに湿った手の感触と、気遣わしげな眼差しの美しいこと!見惚れてしまいそうなほどだ。その後は牛鍋を食べて帰った。まるで明治の女学生ね。そう言って口に手を当てて微笑むお姉さまは本当にたおやかで。時よ止まれ、なんて思ってしまう。お姉さまといると、心がぽかぽかしてくる。満ち足りて、穏やかで。これが幸せというものなのだろう。ずっとこんな日々が続けばいいのに。


 1941年10月26日


 お姉さまは本当に凄いお方だ。諸芸や学問に秀でているばかりではなく、昨今の国際情勢についても通じていらっしゃる。私は、正直なところ昨今の情勢に明るくない。欧州情勢が緊迫している事は知っていても、今一つピンと来ていなかった。そんな私をみかねたのか、お姉さまが複雑怪奇なる欧州情勢についてわかりやすく解説してくださった。しかもそれだけではなく今後の欧州情勢の展開の予測まで教えてくださった。


 お姉さまによると、ナチスのヒトラーはこれまで快進撃を続けてきてはいるものの、イギリスを陥落させることは困難であるらしい。というのも、ドイツの戦闘機は航続力が足りておらず、ドイツがイギリスに上陸するのに必須の制空権を確保できないからである。そして大陸軍の性質を持つドイツからして、海軍国であるイギリスを打ち破り、ドーバー海峡の制海権を握るのは絶対に不可能であるとも仰った。そしておそらくはヒトラーのイデオロギーからして、イギリス攻略は放棄され、攻撃目標をソ連に変えることになる。


 そうなればヒトラーとスターリンという二大独裁者によって引き起こされる戦争は、相手の生存を決して許容出来ない泥沼の絶滅戦争の様相を呈する事になるとも。そしてルーズベルト一派の政治的スタンスからして、軍事、経済的支援をアメリカがソ連に行う事は必至であり、アメリカの支援を受けたソ連を落とすことはさすがのドイツにも不可能であると。そして、何年後かはわからないが物量差の前にドイツはソ連、アメリカ連合の前に敗北するとの見解を示してくださった。


 そして昨今の我が国の南方進出政策を見るに、フィリピン、太平洋方面に利権を有するアメリカとの対立は火を見るよりも明らかで、我が国はアメリカと戦争になるかもしれないと。情勢次第によっては、いくら日ソ中立条約があるとは言え、ソ連も油断ならない動きをするかもしれないとも仰っていた。そもそも、日露、日ソ間の関係はひどく悪い。日露戦争はいうまでもなく、その継承国家であるソ連との間にもシベリア出兵や国境紛争など様々な火種がある。支那事変も片付いていないのに、信頼できない隣人を抱え込む余裕はあるのかしら。そう微笑んで言ったお姉さまの表情が目に焼きついて離れない。


 私は正直ゾッとする思いがした。お姉さまのおっしゃることをすべて理解できたとは思わない。だがその予想がもし正しいのなら、我らが皇国はドイツ敗北後、単独でアメリカ、ソ連という二大国を相手にすることになる。お姉さまが仰るように、支那事変も片付いていないこの情勢下でだ。我が国が負けるとは思わない、思いたくない。だがかなり厳しい状況に追い込まれることは必至だろう。どうすればいいのかとお姉さまに聞いた。お姉さまはただ微笑むばかりで答えてくださらなかった。


 お姉さまは言っていた。そこから先はあなた自身で考えることよと。殿方は女が学問なんてと言うけれど、私はそうは思わない。いつか女性にも学が必要な時代が来るとも。


 だからあなたはどんどん学んでいきなさいと二冊の本をくださった。それは、マルクスの資本論と、J・S・ミルの自由論だった。


 世俗に疎い流石の私も知っている。この二冊はこのご時世下、相当に「不味い」本である事を。誰かに見つかればただではすむまい。それこそ特高の刑事さんや憲兵さんがいつ乗り込んで来ても不思議ではないような代物だ。でも、この日記帳と同じくお姉さまからの贈り物だ。大切にしていきたい。


 それに。こんな時だというのに少し、胸の高鳴りを覚えている私がいる。お姉さまだって、この本が相当「不味い」本である事は当然ご存知のはず。手に入れ、保管する苦労も並大抵のものではあるまい。そんなものを私に預けて下さった。それは、私を多少なりとも信用して下さった、見込んでくださったという事ではないのか。ただの「妹」としてではなく、秘密を分かち合うにたる「同志」として、だなんて。流石にそれは自惚れすぎというものか。だけど、いつか私も認められたい。お姉さまの背中を預けるに足る、戦友として。同志として。ただの「妹」以上の存在として、見つめて欲しい。お姉さまのみている世界を、私も見たい。その為にも私はもっと研鑽を積まないと。もっと、もっと。これまで以上に。


 1941年11月1日


 お姉さまはすごいお方だ。いつだって思っているし、未来永劫思い続けるだろう。ただ最近のお姉さまは少しおかしい。酷く何かに焦っているように見える。文通の量が明らかに増えているし、夜遅くまで電話室に篭って電話で何事かを話されている姿もたびたび見かけるようになった。私としてはともにお過ごしできる時間が減っていることが寂しい。また、鴎外や漱石についてのご意見を伺いたかったし、お姉さまの描く短編を読んでみたかったのに。


 だが、お姉さまの様子を見るに、到底そんな事はいい出せそうにない。お姉さまが、何か壮大な事の為に動いているのは何となくわかる。私とて、いつかお姉さまの同志たりたいと願う身だ。だから、お姉さまと少しばかり会えないからと言って、へこたれるようでは駄目なのだ。背中を任せてもらえるには程遠い。お姉さまも戦っておられるのだ。銃後を任せてもらえるぐらいにはならないと。頭ではそうわかっているのに、溢れる涙が抑えられない。こんなのでは駄目だ。そうわかっているのに。わかってはいるのに。


 お姉さまの淹れてくださるホットミルクが恋しい。



 1941年11月12日

 お姉さまはすごいお方だ。私ごときがお姉さまの心配をするだなんて、烏滸がましいにも程がある。それはわかっている。わかっているのだ。だが最近のお姉さまの様子はあまりにも気がかりだ。私が話しかけても、物思いにふけられていることもあるぐらいだ。今までそんなことなど一度もなかったのに。文通やお電話の量はますます増え、とてもお忙しそうにされている。お肌も少し、荒れていらっしゃるようだ。


 これからは私の勉強をみるのも難しくなるとこの間など言われてしまった。その代わりに私のまとめたノートを見てもいいし、部屋にある本は自由に読んで構わないと。確かに、お姉さまの努力の結晶であるノートを拝見できるのは素直に嬉しい。だけど本当は、お姉さまともっとお話していたかったし、触れ合っていたかった。正直にいうなら、お姉さまには少し休んで頂きたい。今のお姉さまは、あまりにお疲れに見える。また映画を見にいきましょう。またパフェを食べにいきましょう。温泉にでも浸かって、ゆっくりしてください。だがそんなことを言える雰囲気では到底ない。それに、私は同志たりたいと願った身。守られるべき「妹」としてではなく、戦友たりたいと思ったのだ。だからいつか私はお姉さまが秘密を打ち明けてくださる日を待っている。


 だが、それでも、この日記の中ぐらいでは弱音を吐くのを許して欲しい。2度と言わないから。2度と、泣かないから。


 ああお姉さま。お姉さまは一体何をなさっているのです。


 1941年11月15日

 お姉さまはすごいお方だ。私は、死ぬまでいい続けるだろう。例えどのような辱めを受けようとも。


 だけど、最近のお姉さまは酷くやつれているように見える。正直、かつての輝きを間近で見ていた私としては、もう、見ていられないほどに。痛々しい、という言葉こそ相応しい。


 お姉さまが秘密を打ち明けてくださるまでは黙っていようと思ったけれど、もう、これ以上黙っているのは無理だった。このまま放置していては、お姉さまは身体を壊して死んでしまう。


 だから、私に何かできることはありませんか、と聞いた。私はお姉さまのためなら何でもしますと。命だって捧げます。好きに使い潰してください。誰かを殺せというなら喜んで殺します。誰かと寝ろというなら喜んで寝ます。死ねというなら死にましょう。お姉さまのために死ぬのなら本望ですと言った。言ってしまった。


 お姉さまは激怒された。それこそ見た事がないぐらいに。馬鹿なことを言わないでと引っ叩かれた。胸ぐらを掴んであなたは何があっても生き延びなさいと怒鳴られた。すぐにはっとしたように私に謝ってくださったけれど、あそこまで感情をあらわにするお姉さまを見るのは初めてだった。


 涙が溢れて止まらない。打たれたほおが痛いからでは断じてない。痛いのは勿論いたいが、何より心が痛い。お姉さまは命を捨てるつもりだ。それがわかってしまったから。私を置いていく気だということも。


 私は神様にお祈りする。どうか、神様。お姉さまをお助けください。お姉さまの計画をお導き下さい。お姉さまを、生かして返してください。どうかお願いします。私の死後の魂を捧げます。未来永劫解脱出来なくても構いません。地獄の業火にだって焼かれます。もし必要なら私の未来を、過去を捧げます。それでお姉さまが助かるのなら、私は全てを捧げます。


 だから神様。お姉さまをたすけて


 1941年11月30日

 特高警察がお姉さまを逮捕した。私のところにも出頭命令が来た。私は何かの間違いだといった。お姉さまが特高の世話になるような事をするわけがないと。それが大嘘だと、心のどこかで理解しながら。私のところに来た特高の刑事は首を振っていった。君のお姉さまには大逆罪の容疑がかけられていると。君にも聴取したいことがあるので出頭されたしと言った。心に鉛を詰め込まれたような心地がする。お姉さまがかの悪名高い特高にとらえられるなんて。お姉さまの計画は失敗したのか。誰かが裏切ったのか。お姉さまはどうなるのか。分からない。心が冷えていく。足元がバラバラに崩れていく感覚。もうどうすればいいのかわからない。

 


 1941年12月1日

 今日から取り調べが始まった。私たちの部屋は徹底的に家探しされたらしい。机の上に置かれた、マルクスの資本論とミルの自由論。その二冊の本は貴様の「姉」から受け取ったものだなと問い詰められた。拾ったのよと答えると、嘘をつくなと頬を張られた。婦女子は守るものと教わりながら、女子供に手を上げる屑。日本男子の風上にも置けぬやつと思って睨んだら、もう一度殴られた。ついでにお腹も力一杯。首だって締められた。息が出来なくて、苦しくて。視界が赤黒く変色する感覚は、正直そう何度も経験したいものではない。


 だが、きっとお姉さまはもっと厳しい責苦にあわされている。それに比べれば、こんな物蚊に刺されたような物だ。私は決してお姉さまを裏切らない。たとえこの命尽き果てようとも。それに、何が我々もこんな事はしたくない、君が正直になれば直ぐに解放する。傷の手当てだってしよう、だ。口先でどれほど綺麗事を言おうと、嗜虐心に緩むその口元だけは隠せまい。そんなに女学生の髪を掴んで机に叩きつけるのが楽しいか。手を手錠で繋がれてさえいなければ、力一杯引っ掻いてやったのに。まあ、そんな私の思惑は先方もとっくに承知のようで、今日の取調べの最後に生意気な目をしやがってと再び顔を殴られた。


 そんなことはまあ正直どうでもいい。お姉さまは無事なのか、お姉さまはどこにいるのかだけが気がかりだった。酷い目に合っていないと良いと心から願う。ただ本格的に取り調べられていない私にすら平気で手を上げる屑どもだ。お姉さまがどんな目にあわされているかを思うと不安で不安で仕方がない。


 1941年12月2日

 翌日も早朝から呼び出された。私がお姉さまからどん話を聞いたかを白状するよう迫られた。


 お前たちに教える義理はないといったら木刀で腕を力いっぱい殴られた。その激痛たるや。骨がいっぺんに粉々になったのではないかと思うほどだ。悲鳴をあげてこの「サディスト」どもを喜ばすまいと思っていたけれど、流石に無理だった。腕がぐちゃぐちゃになるのではないか、なんて思うぐらい殴られた。きっと本当に骨は粉々になるだろうとさえ思った。だが、連中曰く打ち身にはなるが、骨は折らないようにしている。折る寸前で殴るのが、1番痛みを与えられるからとのこと。流石は「サディスト」揃いの拷問狂の巣窟だ、と言ったらカンカンになって私の頭を壁に何度も叩きつけた。馬鹿め。そもそもお姉さまにどんな容疑がかけられているのか知らない。私はお姉さまが何をしようとしていたのか私は知らない。それを悲しく思ったこともある。


 だけど、今の状況を考えればそれは正解だったのだろう。だから、躍起になって連中は私を痛めつけるけれど、所詮私からもたらされる情報と言っても微々たるものだ。だけど連中は白でも黒と言い張れる人間。万が一私の漏らした情報がお姉さまに不利益に働いたら。そう考えるだけで恐ろしい。それに比べたら私が殴られることぐらいなんだというのだ。それに、ここまで必死に私を痛めつけるということは、お姉さまから情報を全然引き出せていないに違いない。だから私を落とそうと躍起になるのだ。お姉さまはいまだに戦っておられる。同志ある私が頑張らなくてどうするのだ。それに私が頑張って連中の手を引きつけていれば、お姉さまにかかる負担も多少は軽くなるかもしれない、なんて。それは自惚れか。せめて夢の中でぐらい、お姉さまと一緒にいられますように。


 1941年12月3日

 連中は私がだんまりを決め込むとみて作戦を変えたらしい。いかにお姉さまが酷い女で私を誑かしているかということを滔々と説いてきた。


 馬鹿めと言ってやった。この4月に入学して以来、お姉さまとは一年にも満たない短い付き合いでしかないけれど、お姉さまを最も身近で見てきたのがこの私だ。お姉さまがそんな女じゃないことは、この世界で一番よく私が知っている。お姉さまを馬鹿にするなと言ったら、皇軍を女学生風情が愚弄するかと言って殴られた。どうやら今日は憲兵による取り調べだったらしい。私のはだけた胸を見て喜ぶような屑だったから、ついいつもの連中だと思ってしまった。服装を変えようと屑は屑よと言ったら昨日のように沢山殴られた。


 殴られた場所はジンジンと熱を持つように痛むのに、身体の芯はどんどん冷えていく感覚がある。体力が尽きてきているのかも知れない。この所ろくに寝れてもいないから。暖かい私たちの部屋が恋しい。シャワーを浴びて、あの清潔なふわふわのベッドに飛び込めたらどれだけ幸せなことか。いや、私だって分かっている。私はあの部屋に帰れない。良くて退学のちの座敷牢生活、悪くてここで死ぬか、実家に戻され私なんて「いなかった」事にされる。家名に泥を塗った咎で。それが私の選んだ道。だが、後悔はない。お姉さまの同志たらんと願った時点で、人並みの幸福など望まない。願わくは、ただお姉さまのそばで眠れたら。


 1941年12月4日


 連中はまたも作戦を変えてきた。私が白状しないとみて私の隣の部屋でお姉さまを取り調べることにしたようなのだ。耳に残るのはお姉さまの殴られる音とお姉さまの押し殺した悲鳴。お姉さまの悲鳴が耳にこびりついて離れない。お願い。やめて。お姉さまを殴らないで。殴るのなら私にして。どうか、お願い。どんな責苦でも受けますから。どんな辱めでも受けますから。神様でも仏様でも悪魔でもいい。欲しいものなら何でも差し上げます。魂でも、お金でも、それこそ貞操でも。だから、誰か。お姉さまを助けて。


 1941年12月5日

 今日は終日殴られっぱなし。連中加減というものを忘れたようで、裸に私を剥いた挙句何度も何度も殴った。何度も気を失った。真っ赤に焼いた焼きごては、とても痛かった。だけど、その程度の辱めなどどうでもいい。何より辛いのは、隣室から聞こえてくるお姉さまの悲鳴。次第に弱々しくなっていく悲鳴。お姉さまが死んでしまう。やめさせて。何度も叫んだ。喉から血が出ても。私がどうなろうとどうでもいい。でも、お姉さまだけは。


 連中は私に知っている事を全てはけと言った。そうすればお姉さまへの拷問は中止すると。それは目に見えた甘言だ。連中がそれを守る保障はどこにもない。

 

 なのに私は耐えきれず全部喋ってしまった。私の知っている事全て。お姉さまと話した内容も。お姉さまから教わった内容も。お姉さまから日記帳をいただいた話から、それこそあの日話した欧州情勢の話まで。深夜遅くまで電話されていたことから近頃文通が増えていたことなど、全部。連中は笑っていた。この愚かな女を。一時の情に流された愚かな私を。お姉さまの悲鳴が聞こえてこなくなったのが唯一の救い、だなんて。そんな大嘘はつけない。つまり、私の『自白』でお姉さまを有罪に持っていけるだけの道筋が描けただけのこと。私はお姉さまを裏切ったのだ。私こそがユダなのだ。13枚の銀貨に踊らされた愚か者。そんな愚か者には死こそが相応しい。


 お姉さま、ごめんなさい、お姉さま。私はあなたを裏切りました。同志だと思い上がっておりました。神様。おわしますならどうかこの私を裁いてください。私を殺してください。可能な限り、惨たらしい方法で。あらん限りの苦痛を持って。こんな愚かな人間に、生きている価値などありません。そう願っているのに、私の心臓は馬鹿みたいに元気に動いている。とくとく、とくとくと。さっさと止まれ、私の心臓。


 1941年12月6日

 私たちの裁判が始まったらしい。裁判は自体の重大性に鑑み被告欠席、即決裁判で行われるらしい。私は大逆罪の従犯で重禁錮5年の判決が下ったとか。そんなことはどうでもいい。私で重禁錮ならお姉さまはどうなるのか。


 お姉さま。お姉さまさえ無事でそれでいい。お姉さまを裏切った私にこんなことを思う資格がないのはわかってる。わかってはいるのだ。だか、私は恥知らずにも願ってしまう。どうか、お姉さまの命だけはお助け下さいと。私が代わりに死にますから。どうかお姉さま、私に唆されただけと仰って下さい。お姉さまのために死なせてください。私に判決を告げに来た官吏いわく、お姉さまの裁判は難航しているらしい。検事側のストーリーに無理があったことを願うしかない。奇跡を、どうか。


 1941年12月7日

 お姉さまの裁判が確定した。判決は死刑。銃殺刑の執行は明日の朝だと。私のせいでお姉さまが死ぬ。私が裏切ったから。この恥知らずめ。何で。うそだ。何で誰も助けてくれないの。


 2.1941年12月8日 朝

 

 久々にお会いしたお姉さまは、体の見える部位のあちこちに青あざをこしらえていたし、どことなく草臥れた感じではあったけれど、それでも凛とされていて、美しかった。警吏に護送されていくお姉さまに追いつくと、私は必死に頭を下げる。裏切ってしまって、ごめんなさい。守れなくて、ごめんなさい。私も死にますから。必ず直ぐに追いますから。どうか見捨てないで下さい。嫌いにならないで下さい。


 だけど、お姉さまはふんわりと微笑むと仰った。土下座する私を抱き起こして。


「嫌いになる訳がないわ。」


 と。


「だって、あなたは私の身を案じてくれたのでしょう?」


 そう仰るお姉さまに私は必死に首を振る。違うのだ。私はお姉さまが失われる恐怖に耐えきれなかった。同志たらんと願いながら同志たる事の意味を理解しようとしなかった。背中を守りたいと願いながら恥知らずにもその背中を刺したのだ。私はユダ。否、ユダなど比較にもならぬ卑劣漢。どうかお姉さまの手で終わらせて下さいと涙ながらに懇願した。


 だけどお姉さまは私の涙を拭いながら言うのだ。こんな穢らわしい私に触れながら。


「いいえ、これは私の責任よ」


 そう仰るお姉さま。


「私は私なりにこの国を愛していた。迫り来る破滅から何とか免れようと。それこそどんな手を用いようとも。」


 お姉さまは続ける。


「それが失敗した以上、私はその咎を負わねばならないの。私は死ななければならない。それが、周りを巻き込んでしまった私の責任の取り方よ。どうか私から、責任を取り上げないで。」


 そう言われては私は何も言うことができない。これが最期だと言うのに、折角のお姉さまの顔も涙で滲んでよく見えない。だけれども、私は言った。絞り出すように、振り絞るように。ならばせめてお供させて下さい。私は、お姉さまの居ないこんな世の中で生きていたくなんかありません。


 お姉さまは私の手をやんわり握ると言った。


「ねえ、私があなたを打った日のことを覚えてる?」


 私はこくこくと頷く。だってお姉さまに打たれたのはあの日が最初で最後だったから。


「なら。私の言ったことも覚えているわね。」


 私は何も言えない。よっぽど覚えていませんと言いたかった。そんなこと知りませんとも。だけどお姉さまに嘘はつきたくない。こんな最後の時まで。そんな私に構わずお姉さまはいうのだ。私にとって、呪いの言葉を。


「もう一度言ってあげる。あなたは生き延びなさい。何があっても。生きて、私の分まで幸せになりなさい。沢山生きて。沢山学んで、殿方に負けない立派な女になりなさい。」


 いやいやと私は首を振る。そんな残酷な事を仰らないで下さい。私も連れて行ってください。だけどお姉さまは一度私を強く抱きしめると、踵をかえして自ら銃殺台の方に歩いて行かれる。慌ててその背中を追う警吏達をともに従えるようにして。2度と振り返る事なく。


 お姉さまが銃殺台に縛り付けられる。警吏が目隠しを渡そうとするのを首を振って拒絶しているのが見える。


 憲兵隊長の合図で銃殺隊がさっと銃を構える。お姉さまは最後まできっとした表情を崩されなかった。引き金がひかれる寸前、お姉さまと目があった気がした。私は最期まで目を離さなかった。


 連なる銃声。


 どこかからラジオの音が流れてくる。


「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前六時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり……」


 爆発的な歓声が遠くから聞こえてきたのが、印象的だった。


 3.それから

 榊原幸子はその後東京拘置所へ、のちに熊谷臨時刑務所へ移送。模範囚であったと記録されている。


 なお、榊原幸子は1945年8月15日未明の熊谷方面への米軍機による大規模空襲によって死亡。享年19歳。泣いているような、笑っているような不思議な顔で息絶えていたのが印象的であったと当時の医務官の記録には残されている。


 まるで懐かしい誰かに出会えて喜んでいるような、または親に怒られるのを恐れる子供のような顔であったとも。

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お姉さまと銃殺台 間川 レイ @tsuyomasu0418

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