カラスなぜ鳴くの

物部がたり

カラスなぜ鳴くの

 河川敷の草むらに、黒い塊を発見したのは学校帰りのことだった。

 草むらに溶け込むように隠れていたは、自然界には珍しい黒という色の特性上、とても浮いて見えた。

 れいは河川敷の階段を駆け下りて、恐る恐る黒い塊の元に向かった。

 鋭い草の刃がれいの素足を切るが、れいは意に介すことなく、打ち上げた野球ボールを追う外野のように、予測をたてた場所まで一直線に向かった。


 れいの予想は的中し、開けた草むらに黒い塊を発見した。

「ゴミ袋だろうか?」と思ったものの、すぐに気が付いた。

 艶のある黒い翼に頑丈そうなくちばし、鋭いかぎ爪――カラスだった。

 カラスはれいを見ても逃げるそぶりを見せず、抵抗する以前から観念したように野垂れていた。

「どうしたの……」

 れいはゆっくりカラスに近づき、普段遠くからしか見たことのない不思議な生体を目を丸くして観察した。


「ケガ……してるの?」

 こういう場合どうすべきなのかわからず、れいはカラスの周りをクルクル回っていた。

 すると何かを思い立ったのか「よし」と気合を入れるかのような一声を挙げ、れいは「怖くないよ……」といいながらカラスに触れた。

 カラスよりもれいの方が怖がっている。

 暴れないことを確認すると、れいはカラスの体をクレーンゲームのクレーンのように挟んで持ち上げた。


 猫位の重さを想像していたが、見た目に反して軽かった。

 れいは一目散にカラスを抱えて家に帰った。

 途中、誰にも出会わなかったことは幸いだったというべきだろう。

 れいは家に帰ってくると、自分の部屋に連れて上がり、はてさてどうしたものかと途方に暮れた。

 連れて帰って来たは良いが、これからどうするべきなのだろう?

 どう見てもカラスは弱っている。

 お腹が空いているだろうと思って、れいは家の冷蔵庫から魚肉ソーセージや生肉、キャベツ、トマト、水などを手当たり次第持ち寄って、あげてみることにした。


 その日は警戒して食べてくれなかったが、カラスを保護して三日後に生肉を食べた。

 れいはカラスに「くろすけ」と名付け、両親に内緒で飼うことを決めた。学校の図書室でカラスについて勉強すると、身近な生物にもかかわらず知らなかったことをたくさん知った。

 今まで動物を飼ったことのないれいは、動物を飼うという行為が楽しくてならなかった。

 カラスを飼いはじめて一週間が過ぎようとしていたとき、家に帰ってくると玄関に母親が待ち構えていて、くろすけが見つかってしまったことを悟った。


「あなたの部屋にいるはなに……」

「カ……カラス……」

 れいはこれから飛んでくるであろう、お叱りの言葉に戦々恐々としながら答えた。

「猫や犬ならまだしも……なんてもの拾ってくるの……」

 母は怒るを通り越して呆れてしまい、怒鳴ることはなかったが「元いた場所に還してきなさい……」と言われ、れいにとっては叱られるよりも、もっと酷い事態だった。


「そ、そんな……あの子ケガしてて飛べないんだよ! 今還したら、死んじゃうよ……」

 母親は心を鬼にして「還してきなさい……」と同じ言葉を繰り返した。

「いやだ!」

「あのね……野生の動物や鳥はね、法律で飼っちゃいけないことになってるの。もしカラス飼っていることがバレたら、家族みんな捕まっちゃうんだよ。それでもいいの?」

 母渾身の脅し。


 だが、母の予想に反してれいは「捕まえるのは駄目だけど……保護なら、保護ならいいんだよ! くろすけはケガしてるもん。保護だよ! ケガが治って飛べるようになるまで保護できるんだもん!」と反論した。

「そんな知識どこで覚えて来るの……」

「本に書いてあったもん!」

「本に書かれていることすべてが本当とは限りません……元いた場所に戻してきなさい」

「やだ!」

 父と母どちらに似たのやら、れいは一向に意見を曲げようとはしなかった。


 手を焼いた母はその夜、父に相談してきつく言ってもらうことにした。

 だがこれも、母の予想に反して父はカラスを保護したという事件を知り子供のようにはしゃぐのだった。

「ほんとだ! こんな近くで見るのはじめてだぞ」

「ねえパパ、あなたからも言ってやってよ」

「何を?」

「だから『元いた場所に還してこい』って」

「飛べないのに返したら死んじゃうだろ。ママは血も涙もないのか」

「あん?」

「いや……なんでもありません……。でも怪我が治るまで、面倒見てやらないと死んじゃうだろ……。れいの言う通り、保護なら大丈夫だと思うし。明日役所に行って、事情を説明してみるから」


 その話を聞いたれいは「いいのパパ!」と父に飛びついて、あり余る感謝を示した。父が娘に甘いというのは世の常である。

「まったく……」 

 諦めたようで母もそれ以上反論はしなかった。

 保護反対派一、保護賛成派二ということになり、賛成多数によりこの日より正式にカラスを保護することになった。

 翌日、動物病院に連れて行くと、翼の骨折という診断結果が下された。

「安静にしていれば、治ると思います」とのことだった。


 れいはかいがいしく、くろすけの面倒を見た。

「あまり世話を焼き過ぎちゃダメよ。ケガ治ったとき野生復帰ができなくなっちゃったら困るから」

 と、母はれいをたしなめるも、幼いれいには母の言葉の意味を深く理解することができず、必要以上に世話を焼くのだった。

 くろすけは日に日に良くなり、初日は身動きをほとんどしなかったが、今では飛び跳ねるようになっていた。

 翼をバタバタさせて、ハンガーラックに泊まったり、電線のように吊るしてやっている紐の上に泊まったりと、家の中を我が物顔で跳ね回るまで回復している。


 れいが「くろすけ」と呼ぶと、自分の名前を知って反応しているかのように、それとも餌がもらえるものと思っているのか「ガァ」と返事をする。

 そんな賑やかな日々が過ぎ、カラスを保護して丁度一ヵ月になるころには、くろすけのケガも飛ぶのに支障をきたさないほど治っていた。

 だが、カラスと仲睦まじく戯れるれいの姿を見て、両親は別れの日が迫っていることを告げるのが心苦しかった。

 カラスを野生に還すと打ち明ければ、れいを少なからず傷つけることになるだろう。


「あなた……」

「ああ……」

 生き物を飼うということは、必ず別れを伴うということを身をもって実感させる良い学びになると考えて、父はカラスを保護することを許可したのだ。

「もうそろそろ、くろすけを自然に還しあげよう……」

 父はカラスの入ったゲージの前でお絵描きをしているれいに告げた。

 れいは呆然と父の顔を見返したが、何事もなかったようにすぐ絵に顔を戻した。


「ケガが治るまでの保護っていう約束だっただろ。もう、くろすけのケガは治ってる。わかってるだろ……」

 れいは無視を貫いて色鉛筆を動かしている。

「おい!」

 父は声を荒げて言うと「わかってるもん!」とれいは今にも泣き出しそうな歪んだ顔で父を睨んだ。

「だけど、もうちょっとだけ……。あと、ちょっとだけ……」

 父はれいの泣き顔を見て、それ以上言うことができず「ヘルプ!」というように母の顔を見た。


 たく……男は……と呆れ果てた母が颯爽と割り込んで、れいの肩にやさしく手を置き目線を合わせた。

「あのね。ママも昔動物を飼っていたから別れが辛いのはわかるよ。だけど、くろすけの幸せを想ったら放してやるべきなのよ。自分の立場で考えてみて。もし、こんな檻の中に閉じ込められて、人間として生きる世界から隔離されたらどう?」

「だけど……もし、ケガが開いちゃったら……ご飯が取れなかったら……くろすけ死んじゃうよ……」


「うん、だけど、このままグズグズ時間が経っちゃたら、野生に帰れなくなっちゃうんだよ。カラスの世界も人間の世界と同じで大変だろうけど、カラスはカラスの世界で生きる方が幸せだよ。あなたがやれることはすべて全うしたの。後はくろすけを信じてあげなきゃ。くろすけの人生はくろすけのものだよ。放してあげよ、ね」

 れいは涙を拭いながら「うん」とうなずいた。

 れいはくろすけと出会った河川敷に、再びくろすけを連れて来た。

 持ち運びゲージからくろすけを出すと「じゃあね。くろすけ……」とれいは背を向けて歩み出した。


 もう飛び去っただろうと、十歩ほど歩いたところで立ち止まり振り返ってみると、くろすけはれいの後をついて来ていた。

 黒い目が不思議そうにれいを見上げ、首をかしげた。

「ついて来るな!」

 れいは走ってくろすけ距離をとるが、くろすけは飛んでれいを後をついてきた。

「ついて来るな……!」

 れいはくろすけと向かい合い、心を震わせながら叫んだ。


「おまえは仲間の元へ帰らないといけないんだ!」

 けれど、くろすけはとぼけたような顔をしてれいを見ていた。

 れいは足下に落ちていた小石を掴んで、くろすけのとなりに投げた。

 くろすけは「ガァッ!」と驚いて飛び立った。

「さようなら……」

 れいは空高く飛び立ち、小さな点になり旅立つくろすけの後ろ姿を見えなくなるまで見送った。

 

  *              *


 あれから、数年の時が流れた。

 成長したれいが友達と帰宅路を歩いていたとき、ふと昔一月ほど保護していたカラスのことを思い出した。

「ねえ、私ね、昔、カラスを保護していたことがあるんだよ」

 と、誇らしげに友達のふうに打ち明けた。

「カラスって、あのカラス」

 ふうは、信じられないな~というように電線に停まっているカラスたちを指さしていった。

「嘘じゃないって」

「はいはい。嘘だって言ってないでしょ」

「くろすけって言ってね」


 れいが「くろすけ」と名を呼んだとき、電線の上に停まっていたカラスの一羽が「ガァ」と鳴いた。

 鳴き声につられて見上げたれいとカラスの眼が一瞬合った気がした。

「ほら、あれ、あれがくろすけ!」

 半信半疑のふうに、証拠を見せるように電線の上に停まるカラスを指さした。

「はいはい。わかったって」

「あ~……信じてないでしょ。あれがくろすけだって」

 電線の上のカラスは、友達と一緒に歩み去るれいの姿を見送っていた――。

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