【KAC20237】書店員はいよいよあの力に目覚める

宇部 松清

第1話

 はて、ここはどこだろうか。

 見知らぬ部屋である。

 こざっぱりと片付いているが、視界の隅に見えるのは、ダンベルと、それから、プロテインの袋。

 

 私の名前は遠藤芽理衣めりい。クリスマスの今日、この世に生を受けたJ女子D大生である。私をこの日に産んだお母さんも、メリーなんてトチ狂った名前を付けてくれたお父さんも、まさかこんな聖なる日に似つかわしくない腐女子アンデッドに成長するとは思っていなかったに違いない。ごめんね。私自身は腐敗してるけど、人生は輝いています。


 さて、そんなことを言っている場合ではないのである。


 キリストの生誕祭にして、私の生誕祭であるこの日、私は神に祈った。神にというか、サンタさんに、だ。もちろん信じているわけではなかったけど、クリスマスに祈るなら、神様じゃなくてサンタさんだと思ったのである。


 どうか、一度で良いから、推しの壁になりたいです、と。


 小売店勤務にクリスマスは関係ない。

 この『関係ない』というのは、良くも悪くも『いつもと同じ』という意味である。特にウチの店は、働いているのが、勤続10~20年選手のおばさんが多い。つまりは、「家族でクリスマスやるので休みをください」という人がいないのだ。彼女らのお子さん達はとっくに『家族でクリスマス』を卒業しているのである。なんなら新しい家族を作ってるパターンも多い。


 なので、シフトは良くも悪くもいつも通り。私はたまたま土曜が固定休だったのだ。とはいえ。恋人のいない腐女子である。クリスマスといったって、することと言えば、推しのアニメを観賞しながらコンビニで買ったケーキやキチンを食べるくらいなものだ。心躍るイベントなんて何一つない。


 じゃあもう、推しの壁になりたい。


 そう思うのはごく自然なことと言えよう。


 そう、推しと言えば、三次元の方の推しーズがまさかまさか弟の元クラスメイトなんてことが発覚し、脳内がプチどころじゃない修羅場だったのだが、その推しの片割れ(茶髪君の方)が数日前、青い顔をして我が職場『WALL BOOKS』にやって来た。


「メリイさん! 何か夜宵やよいから聞いてない?」

「ボヘァッ?!」


 やめて! 名前で呼ばないで!

 ていうかなぜ私の名前を知ってるの!?

 あいつか! 初陽か! 貴様! 

 やめてくださいマジで。もう私の名前なんてアレだから! 滅びの呪文みたいなものだから!


「夜宵! わかる? あの黒髪の眼鏡の! こないだほら、助けてもらった」

「わ、わわわ。わ、わか、わわわ」

「最近夜宵が何かおかしいんだよぉ。メリイさん何か聞いてない?」

「わ、わた、私は何も知り、知りませんんん」

「ほんと?! ほんとに?!」


 ずずい、と顔を近付けて来た推し②君が、がしり、と私の肩を掴む。お客様! 当店はお触り禁止でして! クソ、こっちも顔が良いんだよなぁ!


「オギャァ! てっ、天地神明に誓って!」

「ほんと!? ほんとに!?」

「ほんと! ほんとですからぁぁ!」

「わかった。信じる。信じます。いきなり押しかけてすんませんした」


 そんなやりとりがあって、推し②君はとぼとぼと退店して行ったわけなんだけども、もうその背中の小さいこと小さいこと。


 一体推し①と②の間に何があったの!? 修羅場?! そんな! 喧嘩をする推し①&②なんて解釈違いで――いや待てよ。仲直りえっちの可能性もあるな。それならアリだな。むしろ推奨したいくらいだし、教科書に載せても良いやつだと思う。


 いやいやいや、待って。そもそもあの二人、その展開まで持ち込めてるのか?! うん、仮にまだだったとしても、今回のこれがきっかけで、むしろ引き金となって一歩前進の可能性もあるな! 拙者ちょっとしたすれ違いからの仲直りえっち展開大好き侍にて!


 とまぁそんなことがあって、私は彼らの『すれ違い→仲直り』展開をどうしてもこの目で見たくなったのである。それで、良い年こいてサンタさんにお願いしたというわけだ。いや? さすがにね? えっちなところまではね? ちょっとそれは私には刺激が強すぎるというか。いや、違うよ? 違う違う。見たくないわけじゃない。もうズバリ言っちゃったらそれは見たいよ。素直に白状しちゃうとそれは見たい。


 だけどね? 二次元のそれとは違うの。何が違うって、具体的に言うと、解像度っていうのかな。紙面だと白抜き処理とか、謎の黒線で隠されている部分も見えちゃうってことでしょ? それにさすがに私、ナマモノは見たことないから。耐えられるかな、って。壁になったとしても耐えられるかなって。


 大丈夫? 鼻血とか出ない? 出たとしても、壁における鼻ってどこ? って話だから、何か至る所から血がにじんで聖痕みたいにならない? しかもそれが”REDRUMレッドラム(逆から読むとMURDER殺人になるっていう某映画で有名なアレ)”とかだったりして一気にジャンル変わったりしない? せめて卒業式の日の黒板アートみたいな感じでお願い出来ないかな?


 などと色々ハラハラしていたのだが、気付いたら、見たこともない部屋にいるのである。身動きがとれないことから、どうやら意識だけが飛ばされて何者かの部屋の壁になって――と思ったけど、にしては見える景色がおかしい。壁よりはもう少し部屋の真ん中というか。


 もしや、壁ではなく、何かしらの私物的なものに取り憑いているのでは?! だとするとスタンダードなのは、人形とか、ぬいぐるみなんだけど、男子が人形とかぬいぐるみって……いや、ある! そうだ! 当推しはあのはしっコずまいコラボカフェでぬいぐるみがああだこうだと言っていたではないか! きっとその時のぬいぐるみなんだ! いやっほう! 壁ではないけどこれはこれで!


 と思ったのだが、肝心要の当推しーズがいないのである。何やら遠くの方で話し声は聞こえるのだが、この部屋に来ないのである。この状態にタイムリミットがあるのかはわからないが、もしあるのだとしたら早くしてくれないと!


 などとやきもきしていると――、


「僕の部屋で良いの?」


 来た!

 来ましたワー!

 推し①! 何やらもじもじしながら②を連れて来ましたワー! 

 二人の間に流れるこの何とも言えない空気感! ヒューッ! 


「いま俺の部屋、散らかってるから」

「僕の部屋だって散らかってるけどね」

「どこがだよ」

「いやほら、あそことか」


 と、指差したのは、ダンベルとプロテインの袋である。

 えっ、あれ散らかってるうちに入る? そんなこといったら私の部屋どうなるの? 汚部屋?


「いや、あんなのは散らかってるとは言えないから」


 だよね! ですよね! でもそうか。てことは推し①の部屋は普段はチリ一つ落ちてないタイプなのね。オッケーオッケー解釈通りです。そんで散らかってる推し②の部屋も解釈通りです!


「ていうかな、ダンベルくらい俺の貸すのに」

「恥ずかしくて言えないってば。これもね、椰潮やしおさんに借りたやつで」


 おい誰だヤシオ。この二人の間に挟まるものは誰であろうと容赦しねぇぞ。そいつ、どんな目的でそのダンベルを貸したんだ。俺のダンベル(意味深)使って良いよ? って? おいふざけんな。いまからお前ん家焼き討ちしても良いんだぞ?!


「兄貴のってことは、ジムの備品のやつだな。いっぱいあるから」


 お兄様でしたかァ――――!!!

 推し②のお兄様ってことは、未来の義兄ですもんね?! 焼き討ちなんてしたら偉いことだったわ! 芽理衣、コラッ!


 それで、だ。

 いま、当推しーズが、ベッドの上に向かい合って座っている。もちろん正座だ。いいね。この感じからしてファーストトライと見た。やはり初めてはこれくらいの緊張感があった方が良い。どっちかがもう経験済みでイケイケな感じでどかーんと押し倒すのも良いけど、この二人ならこれくらいのもじもじっぷりが逆に良い。もうこんなの何なら一生見てられるやつだから。


 さすがに明るいのは恥ずかしいと①が言って、部屋の照明は落とされたんだけど、「大丈夫全部は消さないから」なんて花丸満点の台詞と共に情けの豆電球は残すというファインプレー。そうですね、こちらとしましても、丸見えは少々刺激が強うございます。でもほら、見たくないわけじゃないから。豆電球の淡い明かりに趣を感じるというか、いとおかし。


 で、何やらぽつぽつと可愛らしい会話の後で、触れる程度のキス!

 

 正解。

 初めてのアレの導入としてこれほど正しいやつもないですよ。


 あーもうはいはい、ほんとありがとうございます。いま通帳持ってたら危なかった。認印とセットにして君達に投げつけてたよ。ほんと危ない。全財産投げ出す覚悟だった。と思ったら、行ったァ! 押し倒したァ! 成る程、やはり②が攻めね! 不良攻めってわけね! オッケー大丈夫です! 大好物のやつです! 


 と。

 完全に雄の目になっている②がこっちを見た。ばっちり目が合う。


 ヤベッ。バレた?! えっ?! こういうのってバレるもんなの!? いや、違うんです、ごめんなさい。あの、マジで言い訳させてください。ほんとあの、悪気があったわけじゃなくて、ていうか、まさかこんなことマジで出来るとも思ってなかったっていうか。いや、弟に出来たなら私ももしかしたら? とは思ってましたけど、いやでもあの。


「悪いけど、ここから先はお前にも見せらんねぇから」


 その言葉と共に、視界が暗くなる。どうやらやはり私はぬいぐるみで、それで、②の手によって伏せられたらしい。


 優勝――――――――!

 

 こんなのもう首席で卒業出来るやつでしょ!

 俺の可愛いこいつのアレな姿は誰にも見せたくないってやつでしょ! 例え相手がぬいぐるみであっても! その独占力たるや! 不良攻め、独占欲強め! アブラカラメ! ニンニクマシマシ!


 良いの良いの。私はね、むしろ視覚情報なんかなくたって大丈夫なの。聴覚さえ残ってれば! もうね、ウチにはそういうの(BLCD)いっぱいあるから! むしろ映像は脳の方で処理しますんで!


 ウホウホと耳を澄ませていると、推し①君(黒髪受け)が、おずおずと彼の名を呼んだ。


「どした」

「あの、声、出ちゃうから、その」


 声出ちゃうから?!

 声出ちゃうからナンダッテ?!

 むしろそこは出してこ?! 声張ってこ?! ここが君らの甲子園だから! そこはガンガン出してこ?!


 心の中で拳を振り上げてそう叫んでいたのだが、彼の訴えからすべてを察したらしい推し②君(茶髪攻め)によって私は場外追放となった。


 どうやらリビングに移動させられたらしい。


 良いの、大丈夫。

 もうね、最初のキッスだけでね、もう全然。


 その後私はタイムリミットの0時まで、ただひたすらに二人の幸せを祈っていた。二人に幸あれ。おい、誰か神父呼んで来いや。

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