晴天の砂浜、剣客は妖怪退治と相まみえる

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

晴天の砂浜、剣客は妖怪退治と相まみえる

 ひどく乾いた晴天であった。


 長く伸びた砂浜は、他にひとつの人影もなし。

 浜に寄せる白波は騒々と砕け、枯れ果てるような潮風が、ぬるぬると押し迫る。

 そんな不毛のような場所で、男は――もはやそれが男であったと、判別できるような様相ではないが――一人ずるずると、歩いていった。


 口とおぼしき男の部位が、ぐにゃりとゆがみ、笑い声のような音を響かせた。


「ああ、ああ。はたしておれは、いまだ人間だろうか。それとももはや、妖怪変化になり果てたのだろうか」


 その声らしき音はかすれ、ごぼごぼと泡が立つようにうねった。

 その身もまた、泡立つようにたえず形を変え、黒い沼のようにうねりながら、足跡と呼ぶにはひどくいびつな痕跡を、砂浜に残していった。


「ああ、ああ。返り血を浴びすぎた。分かってはいたけれど、おれは無鉄砲だから、妖怪変化が人を襲うと見るやいなや、がむしゃらに斬りつけてしまうのさ」


 笑うような、なげくような、声らしき音。

 魂の分け身とたずさえていた刀も、もはやどこに忘れていったのか、分からない。


「なあ、教えておくれ。おれはいまだ、人間なのか。それとも斬り捨てるべき、妖怪変化なのか」


 男は正面へと、問うた。


 向かい合う、女。

 剣客であった。

 腰に刀をたずさえ、夜の闇のような髪を潮風に流させ、男をまっすぐに見すえていた。


 女は静かに、口を開いた。


「たとえばかつて、商家を襲う妖怪変化に身を張り挑み、一人娘を逃したとしても」


 すらりと、刀が抜かれた。


「今のあなたは、斬り捨てるべき妖怪変化です」


 波が砕け、騒々と散る。


 男は、女をじいっと――目らしき四つの器官で――見つめた。

 やがて、ぐつぐつと、笑い声らしき音をくぐもらせた。


「ああ、ああ。そうか。妖怪変化か。妖怪変化なのか、おれは」


 ぬうっと、腕らしき器官を持ち上げて。


「なら、斬らなきゃなあ。斬らなきゃいけないよなあ」


 女は、構える。

 男は、腕らしきものを広げる。

 枯れ果てるような潮風が、二人の間を、埋めるようにうんざりと通り過ぎた。


 波が砕け、騒々と散る。


 立ち合いは、白光のようであった。

 殺意をもって繰り出された男の腕を、女は押しのけるように斬り払い、走り抜け、男の心臓をあやまたず貫き、かき回し、血しぶきを上げさせて、えぐり出した。

 外の見てくれは泡立つように変質しても、心臓は見違いようもなく、心臓であった。


 男は倒れ伏しながら、女を振り返った。

 女もまた、男を振り返った。

 見下ろす女の顔は、黒々とした返り血がしたたっていた。


「あほうがよお」


 男はあざけるように、声を出した。


「そんなに返り血を浴びちゃあ、結局なんにも変わらないじゃないかよ」


「構いません」


 女は淡々と、声を落とした。


「すぐにこの身もみずから、斬って果てるつもりですので」


「そうかあ」


 男はべちゃりと砂浜に伏せ、溶け落ちるように広がっていった。

 女はそれを見つめて、ただ押し黙るように、見守った。


 男の口が、ふと開いた。


「梅の髪飾りは、もうつけてないのかよお」


 女はわずかに目を見開き、ぐっとくちびるを噛みしめて、そうして言った。


「なんのことだか、分かりません」


「そうかあ」


 男は崩れていく。

 泥のように崩れて、目ももはや、ぐずぐずに溶けてしまった。

 砂浜に広がりながら、ひとりごつように、ただ声を残し続けた。


「元気にしてるかなあ。商家の娘なあ。長生きして、ほしいなあ。おれが、妖怪退治として、そこに、生きた、証。みたいな。もの。だから」


 男はすべて溶け失せて、砂浜に残るのは、ただ黒い染みだけ。


 女は膝から崩れ落ちた。


「ああ、あああ。ああああ、ああああ、あああああ」


 はたはたと、涙が落ちる。

 ただ冷徹にあろうとした決意は、崩れ去ってしまった。

 男の絶命を見届けて、その胸に突き立てようと決めた刀も、取り落としてしまった。

 それを握り直す意志も、気力も、千々に乱れて、拾い集めることもできなかった。

 黒々とした返り血が、女の肌に、落ちることなく染みついていた。


 砂に落ちた涙は、跡形もなく消え失せていく。

 ひどく乾いた晴天であった。

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