人形師

鷹羽 玖洋

KAC2023 2.ぬいぐるみ

 首を飾るリボンブローチに、揺らめく魔法の灯がともる。黒ボタンの目をぱちくりさせて、純白のペガサスはそのもふもふの翼を羽ばたかせた。

 女の子の高い歓声。虹の粒子をきらきら撒いて幼女の周りを飛ぶぬいぐるみに、彼女の二親までもが感嘆の眼差しで褒めそやした。

「評判は聞いていたが、本当にすばらしい腕前だ」

「まるで本物のペガサスの雛みたい。ありがとう、娘も大喜びだわ。私もひとつ買おうかしら」

「こりゃ助かった、今年のきみの誕生日プレゼントはこれで決まりだ」

「ちょっと!」

「ママ、わたしとおそろい?」

 仲のよい裕福な一家が、金貨を気前よく置いて帰ってゆく。店主の愛想よい挨拶よりも、店内を埋め尽くすふわふわな商品たちの「まいどあり!」「また来てね!」「あたしも連れてって!」大合唱が賑やかだった。

「ひゃっほー、いいお客さんだったねマスター!」

 外まで客を見送って出たアダムは、飛んで帰ってくるなり大はしゃぎだ。よだれを垂らさんばかりに金貨を掴み、重さを確かめるように指に弾いた。ピーンと澄んだ音を立てて宙に舞ったそれを、横から奪い取ったのが店主リドルの大きな手だった。

「おまえのじゃないぞ、アダム。こう見えてうちは余裕がないんだからな」

 もじゃもじゃ栗毛に分厚い丸眼鏡。顎には雑な無精ひげ。でかいクマちゃんアップリケが縫い取られた作業エプロンは、本来三十路すぎの男に似合うとは思えない。しかし、もこもこの毛の塊とファンシーな色合いにあふれた魔法人形店では、不思議と雰囲気によく馴染んで、むしろ売り子の少年のほうが場違いだった。

「けちくさ!」真珠色の唇を尖らせる子供は、女の子と言って通るくらいに整った顔立ちだ。「ぼくだって新しいジャケット欲しいのに。仕立てるのはぼくなんだから素材代だけだぜ、必要なのは」

「高級布地を買うつもりだろ?」

「布は流行りじゃないよ。今は竜革」

「おいおい、近衛騎士団の流行かよ!?」

 陶器人形ビスクドールめいた姿でケラケラ腹を抱える少年に、リドルは疲れた溜息を吐きつつ「少し調整が必要だな」とぼやく。

「えっ」身を引いた少年に手を伸ばし、その背後の棚からリドルは火竜のぬいぐるみを掴み取った。

 ゴワーッ、割れ鐘そこのけの悲鳴。火酒で喉を潰した老吟遊詩人みたいだ。暴れるそいつを押さえつけ、リドルはぬいぐるみが両手に抱えた小石大の黄玉に指を当てた。

 店主のもごもごした囁きに応え〈魂核こんかく〉がほのかな輝きを放つ。ぬいぐるみの周囲に、機械時計の設計図めいた複雑な魔紋が幾重にも浮き上がった。布と糸と綿の塊に命を吹き込むそれへ、リドルは指の長い手を滑らせた。

 アラベスク紋様に似た金線細工を絡ませる円形魔紋の、余人には解らぬ些細な齟齬を手早く修正する。「よし」リドルが頷けば、同時に光の円陣は宙に蒸発。火竜が息を吹き返し、大口を開けて威嚇した。

「きゅゆーん」 可愛らしい声だ。子供向けにふさわしい。

「アンタその技術があるのに、なんでぬいぐるみ屋なのかねえ。こないだの依頼、どうして断っちゃったのさ。せっかく学院が推薦してくれたのに。王城の魔法人形師になれれば、金の心配なんか必要ないじゃん」

 頭の後ろで手を組んで、呆れるアダムにリドルは知らん顔。

「城に勤めたがるやつは他にもいるだろ。俺は俺にしかできない仕事をしたいの」

「子供用のぬいぐるみ職人が? お掃除ホウキの調整のほうが、やることずっと立派じゃね」

「あのな、うちは代々のぬいぐるみ店なの。人形師って仕事が昔は忌み嫌われてたのはおまえも知ってるでしょ? それが今は平和な世の中で、子供のための人形だけ作って暮らしていけるのがどんだけ素晴らしいことか。いわば、うちの店は平和の象徴なんだぜ。俺はこの店を誇りに思ってるの!」

「忌み嫌われてたって、まじ?」

「うちで長年働いてて知らなかったのか!」

「うん」

「やれやれ、昨今の若いもんは」

 リドルはアダムに説明してやる。そもそも社会において少数派の魔術師の存在自体、昔から権力者に抑圧されてきた歴史を。中でも命無き物体に偽の魂を吹き込む人形師は、異端者、神への冒涜者として徹底的に憎まれ、迫害されてきた。

 多くの魔法使いは身を守るためだけに魔法を使ったが、無論、そうでない者もいた。強大な人形遣いは鉄で不死の恐るべき兵士を創り、鋼で傷を負わず牙も砕けぬ人喰い狼を創った。人間そっくりの人形を街に入り込ませ、人々を混乱と恐怖に陥れた。

「すげえっ、そんなの初耳だよ! マスター、あんたもそういう人形創れたりすんの!」

「――それは禁術だ、少年。使えばおまえの雇い主は縛り首だ、くれぐれも口に気をつけろ」

 ふいに割り込んできたのは、低く穏やかな女性の声だった。店主と売り子二人して振り向くと、いつのまにか馴染みの制服姿が店内に入ってきている。都市警官隊、女性巡査長。リドルの幼なじみの金髪美人、フェリファー・ジェン・ダユー。

「やあフェリー。巡回中かい、お疲れさん」

「いや、ちょうど仕事が終わったところだ」

「てことはデートのお誘い? やったねマスター、ひゅーひゅー」

「黙れ」

 リドルは少年の頭を笑って小突く。だが幼なじみの屈託ありげな表情に気づくと、分厚い眼鏡の奥にある真鍮色の瞳をわずかに眇めた。

 口元に微笑を浮かべながら彼は問う。「仕事かな?」

「そうだ」やや躊躇いがちに、巡査長。「それもなるべく急ぐ」

「仕事って? フェリファーさん、誰かにうちのぬいぐるみを贈るの?」

「いんや、彼女が欲しがっているのは自分用のウサギのぬいぐるみさ」

「おい!」

 眉をつり上げた巡査長を無視して、リドルは少年の眼前にひょいと拳を突き出した。鋭い音を立てて指を鳴らす。途端にアダムのからだが硬直した。雨季の森を思わせる鮮やかなエメラルド色だった両目が、じわりと不可思議な赤みを帯びる。暮れつつある外の空を映すかのように。雲間から黄金きんの陽光が差すように、硬質なガラス球の表面をアラベスクの片鱗が閃き過ぎた。

 ぱちぱち瞬きを繰り返して、陶器人形ビスクドールが生気を取り戻す。いまや高原に咲く誇りかなラヴェンダー色に変化した双眸が、リドルをはっきり見上げて口を開いた。アダムと同じ顔で、しかし彼の茶目っ気の欠片もない生真面目な表情で。

「おはようございます、マスター。フェリファー巡査長も。わたしが起こされたのなら、仕事ですね。今回はどんなご依頼ですか?」

「そろそろ夜だよ、イヴ。こんばんは、だな」

「正直に言って、おまえの趣味には疑問がある、リドル。なぜ助手の人格をいちいち切り替える?」

 腕組みで苦い顔のフェリファーに、リドルは口をへの字に曲げる。

「きみが自分で言ってたろ。バレたら俺は縛り首だ。アダムは裁縫の腕はいいんだが、口にチャックはできない子だし。俺だって慎重を期してるわけだ」

「それにしても、わざわざ性別まで変えなくても」

「見た目が同じだからさ、違いを作らないと時々混乱するんだよ」

「マスターには、多分にうっかりしたところがありますので」

 アダムのときよりはいくぶん柔らかい、少女の声がクールに付け足してくる。

 なるほど、そうかもしれないなと納得する巡査長に、リドルはぐっと堪えて咳払い。「で、どんな状況? どんな人形が要るんだよ」

「逃がしたいのは二十一歳の女性だ。二件前と似た状況だな。男爵屋敷に奉公に出たら、主に手をつけられて子を孕んだ。嫉妬深い正妻がいて、今までに三回命を狙われている」

「うんざりするなあ。無理矢理か?」

「そこが多少は救いでな。調べたが、使用人にも評判は悪くない男だった。一方で妻の癇癪持ちは有名で、政略結婚の妻と男爵は元からそりが悪かったらしい。寝室は別。母親にべったりの息子が一人。依頼人は男爵にいつも同情していて、恨んではいないそうだ」

「どうあれ、無責任な野郎だと俺は思うがね」

「それもあって彼女は消息を絶ちたがっているんだろう。子供ができて、冷静になって男を見定めたらそう思ったと言っていた」

「多少耳が痛いですな」

「……おまえも身に覚えが?」

「まさか、なんてこと言うのよ!」

 喋りながら三人は、店の奥の作業場の、隠し扉の更に奥へと入っていく。リドルが見向きもせずに壁を指させば、それだけでランプにぽっぽっと灯がともった。

 部屋は人形師の真の工房だ。大小様々な素体の群れが出迎える。無造作に置かれた籠や木箱から、木製人形の腕や足が投げやりに宙を指していた。入り口で少しだけひるんだ幼なじみを置いて、リドルはイヴに細かく指示を出す。壁棚や冷暗箱やガラス水槽の中から、必要な呪法の材料を見繕う。

「客の詳しい外見を教えてくれ。それから、どうやって死んだことにする?」

「使いの途中で川に落ちたことにしたい、と。彼女はサンティ大橋をよく渡るらしいから」

「それじゃ重しを入れないと駄目だな。いつもの素体じゃ水に浮いちまう」

 大昔、魔術師が魔術師であるだけで囚われ、火あぶりにされていたころ。汚れた檻に押しこめられた同胞をひそかに救い出したあと、その身代わりになって焼かれ、水に沈められ、城壁に塗り込められる人形が必要だった。それが人形師、人形遣い、敵には傀儡師と蔑まれ憎悪された魔術師一派が誕生した真の由来。そして現在でも、リドルが身代わり人形を創り続けている変わらぬ理由。

 子供用のぬいぐるみどころでない、生きた人間そっくりの人形を創るには複雑で奇怪な魔法が必要だ。現在では危険な術として禁じられ、王城の埃の積もった魔術書庫に封じられるばかりだが――リドルが秘密裏に代々受け継いできた、傀儡師の血筋だけは別だった。

 フェリファーから情報を聞き出すと、リドルは手頃な魔法石を二対選び出す。身代わり人形の〈魂核〉とする石を少し掲げて、その内部に依頼主と正確に同じ暗い青色の眼球を思い描く。

「じゃ、創ろうか」

 人形師の長い指が高く鳴り、部屋に金線細工の光が満ちた。やがて台に寝かされたいまだ個性無きマリオネットの、木地の指先が偽の命を宿してぴくりと動きだす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人形師 鷹羽 玖洋 @gunblue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ