フランケンシュタインにありがとうの花束を

高峠美那

第1話

「ヴィクターは死んだ。ヴィクターが死んだ…」


 この狂気の科学者の手によって、継ぎ接ぎされた俺の身体。どれだけヴィクターを憎んでも、どれだけ俺が苦しんでも、もう伝える術はないんだな…。


 ―――終わりにしよう。


「この冷たい海にしずめば、俺でも死ねるのだろうか…」


 氷と雪の世界、北極。白夜と極夜の見られる極寒の地。


 俺は、絶望の中にいた。青とも黒ともつかない氷の海。手を入れるとすぐに腕の感覚は無くなり、落ちるように頭から暗くて冷たい海に、突っ込んでいく――。


 感じる。冷たい――。痛い――。ああ…、やっと終わる。


「がふっ?!」


 膝に強い締め付けを感じた俺は、、鉛のように沈むと思っていた身体をバタバタと揺らした。


 なんだ……? ホッキョクグマか?


 ぐしゃぐしゃに継ぎ接ぎされた腕は、俺の頭の機能に従いもがく。


 氷の上にあがり、ぜいぜいと両手をついて唸っていると、同じように氷の上に座りこみ、肩を揺らしている人影にきづいた。


 知らない女だ…。


 警戒心が先にたち、ズルズルと後退りした俺に、女はプッと吹き出した。


「なあに? クジラでも見てたら、海に落ちちゃったの? 落ちたらまず、助からないわよ?」


 防寒着を着ていてさえ、冴え渡る美しい顔。赤い唇は自信にあふれ、俺がこれっぽっちも死を望んで海にダイブしたなんて思っていない。


 …俺の醜い姿とは大違いだ。


「とにかく…、そのままじゃあ、凍えて死んでしまうわよ。私の研究所へいらっしゃい」


「研究所?!」


「そうよ。あったかいスープくらいならだしてあげる」


 俺は、恥じた訳ではない…。だが、怯えのない彼女の花のような笑顔に、それでも死のうとしていたとは言えなかった。


 彼女は、氷河で気候のメカニズムを調べる研究と、鯨の一種で、北極域の固有種イッカクの研究をする研究者なのだと胸を反らす。


「私は、シルフィ。あなたは?」


「お、俺は…、フランケン…シュタイン」


「フラン、ケン、シュダ…?」


「言いにくければ、すきによんでくれていい」


「そう? じゃあ…、フランで良いかしら?」


「フラン? 女みたいだな」


「気に入らない?」


「…いや、シル…フィは俺が恐ろしくないのか?」


「あら? 私を襲うつもりなの?」


「違うっ。俺のこの姿は…」


「姿? んー、そうね。そんな薄着で…よく、この北極にいれるのかと思うけど…。さすがに寒いんじゃない?」


「俺は…、ぐしゃぐしゃの出来損ないだ。マッドサイエンティストな科学者が、俺を作った」


 継ぎ接ぎだらけの身体。心臓がない作り物。

 それなのに、同じ科学者でも彼女は氷が溶けるように笑った。


「それがどうしたの? 重要なのは姿や形でなく、どう生きるかでしょ?」


「俺は、化け物だぞ?」


「化け物は、フランじゃなくて、フランを作った科学者でしょ?」


 温かいスープをだしながら、笑顔を絶やさない彼女は不思議だ。

 常に楽しそうに、イッカククジラや氷河の話ばかりする。


「イッカクはね、背びれは持たないの。尾びれは扇形で、身体の大部分は青白い地に茶色の斑点模様があるんだけど、首や頭部、胸びれや尾びれの縁などは黒いの。あの長い牙も、歯が変形したものでね、オスがあの長い牙をもつのよ」


「オスだけ? 知らなかったな」


「ふふ。同じクジラなのに他のクジラとあきらかにちがう。面白いでしょ?」


「…そうだな」 


「ふふ。イッカクは、フランみたいね」


「俺?」


「そう。特別なのよ。フランも、イッカクも特別な存在。尊い命を持ってるじゃない。きっとフランだけができる事があるはずよ」


 そう言って笑うシルフィの方が、特別なんだと思う。

 これがなんていう気持ちかわからないけど、底抜けに優しい彼女が愛おしかった。


 それから俺は、部屋のすみで寝泊まりするかわりに、シルフィの助手を始めた。


 シルフィよりは、寒さには強かったから、氷の調査にも同行した。最初の頃は、顔を隠してシルフィの後についていたが、彼女が「話ずらいから、隣を歩いて」とクスクス笑う。


「それに、身体の大きなフランが横にいると、風よけになるのよ」


 いたずらっぽい笑顔。


「…シルフィが、それで良ければ」


 俺がよくわからない感情をもてあまして、モゴモゴ答えれば、彼女は満面の笑みを返してくれた。


「もちろん!」と。


 それから俺が風上を歩くたびに、彼女は優しくありがとう…と、繰り返した。


「フラン、寒くない? いつもありがとう」


「フラン、コーヒー入れるの上手ね。おいしい。ありがとう」


「フラン…、フラン…。ありがとう」


 その言葉を聞く度に、ないはずの胸が苦しくなるんだ。


「今日は、少し北に行ってみようと思うの」


 ある日、シルフィはいつものように今日の予定を俺に伝えた。


「…あの辺りは、氷が崩れやすいんじゃあないのか?」


「事前調査もしてあるから、たぶん大丈夫よ。フランは無理しなくても良いのよ?」


「行くって、わかってるくせに…」


「ふふふ」


 ……この笑顔を守る為なら、俺はどんな事でもできる。


 だから…、目の前の氷河が崩れるのを見た時、自分の事よりも彼女の腕を引っ張った。


 強い力で引いた為、シルフィの身体がボールのように後ろに転がる。


 反動で、俺は崩れる氷の滝に突っ込んでいった。


「フラン!! フラン!!」


 ああ…。シルフィの声が聞こえる。頭上から降る氷の塊と、冷たい海に身体が投げ出された。


 辺り一帯、氷の海…。


「フラン!!」


 ……シルフィ。


 俺は、自分にしか出来ない事がやれた。これで良かった。

 シルフィの命を救えた俺は、イッカクと同じ特別な尊い存在になれたのかな。


 ありがとう。シルフィ。俺は、君に感謝しかないよ。


 だから、笑って。

 最後は、笑って見送って…。


 こんな継ぎ接ぎされたぐしゃぐしゃの身体でも、俺は…、君を守れた事…を、誇りに思うよ…。


 ありがとう…。


     


           おわり

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フランケンシュタインにありがとうの花束を 高峠美那 @98seimei

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