なんでも切り裂く☆デスクロー
丸毛鈴
なんでも切り裂く☆デスクロー
「なんでも切り裂く☆デスクロー」
そんなキャッチフレーズをつけて、クマのぬいぐるみ「デスクロー」を制作したのは、美大生のとき。
もこもこしてまるっこい形をしていているけれど、口のあたりにも、ふわふわのお手てにも、血のりがべったり。そのうえ、ふわふわのお手てには、黒くてまがまがしい鉤爪がついている。
この鉤爪にはこだわった。
まがまがしく光っているけれど、肌を傷つけないもの。プロトタイプはポリカーボネイトで作ったんだっけな? もう覚えていないけれど。
キュートでキッチュ。コワかわいい。とかなんとかもてはやされて、量産されて、けっこう売れた。
「人畜無害な顔をしている女の子たちも、心の中ではぎったんぎったんにしてやりたいって思ってることがいっぱいあるんですよ」
「そんな女の子たちの味方って思って、これをつくりました!」
当時の雑誌のインタビューでは、そんなことを得意げに語ったっけ。「ガールズパワー」なんてことばが注目されていた時代だった。
その実績をひっさげて、わたしはファンシーグッズのメーカーに入社した。
わたしに求められたのは、女の子たちにウケる、「きもかわいい」「こわかわいい」キャラクター。
それはそれで楽しかったし、わたしの狙いは当たった。「ぞんびーぬ」って知ってるでしょ? 太くてシンプルなラインで描かれた、かわいいダックスフント。だけど、柄に見えるのはよく見りゃ臓物って、あれ。あれもわたしが作ったんだ。
三十五になるのを前に、「もう“キモ”とか“毒”とかでもないよね」と、「まるでねこ」シリーズを作ったら意外にウケた。かまくらみたいな形のふんわふんわの被毛に、やたらとリアルな猫の顔がついているぬいぐるみ。そんなわけで、わたしは女の子に向けたファンシーグッズ作りというものを生業にしている。
今日はクリスマス。会社を引けたわたしは橋をわたって、下町から都心へ向かう。下町には、おもちゃメーカーが多く、わたしの勤める会社も例外ではなかった。わたしが企画したぬいぐるみや、そうでなくても同僚が苦心して作ったグッズを、女の子たちがうれしそうに持っている。それを見るのが、一年に一回の何よりの楽しみ。
雪がちらついてきた。川の両側に立ち並ぶタワーマンションが、キラキラしている。あの中でも、みんながクリスマスを祝っているのだろう。ひょっとしたら、その団らんの輪の中に、わたしたちが作ったぬいぐるみだってあったかもしれない。
わたしは橋を渡っていた。そして、信じられないものを見た。
***
「なんでも切り裂く☆デスクロー」。
つるつるした紙に、そう書いてあった。パステルブルーの背景に、ど派手なピンクの文字で。その紙が、ふわふわしたクマのぬいぐるみの耳のあたりに、縫いつけられていた。
なんであいつがそれを持ってきたのか、わたしにはよくわからない。ぬいぐるみはなんだか汚れていたし、ふっと生ごみのにおいがただよったから、きっとゴミ捨て場から拾ってきたんだろう。
それでもたちまち、その「デス九郎」は、わたしの宝物で、お友達になった。デス九郎って何かって? いまもわたしの腕の中にいる、この子の名前。「デスクロー」だから、「デス九郎」。笑っちゃうでしょ。でも、子どもなんてそんなもの。
デス九郎はふわふわ。抱っこすると、ちょっとだけうれしい気持ちになった。そのうえ、強そうな鉤爪と、血のりだってついてる。かわいいだけじゃない、強いヤツなのだ、デス九郎は。
わたしはひとり、デス九郎に話しかけた。いつここ、出られるのかな。パパとママのところに、また帰れるのかな。
「それ」をされるときは、デス九郎をそばに置いて、わたしはそっと鉤爪をにぎってた。
なんでも切り裂くデス☆クロー。いつかこいつを切り裂いて、それでわたしを外に連れ出して。
股から血が出るようになった日。
「セイリが来たのか」といまいましそうにあいつは言って、部屋を出て行った。
通販の箱を開けようとしていたカッターナイフを放ったままで。
わたしはそれに手を伸ばして、途中で折った。セイリのことは知らなかったけれど、カッターを折ることは知ってた。図工の時間に習ったから。
なかなか上手く折れない。手をケガしても、きっとこのたくらみがバレてしまう。階下の玄関が開き、あいつが帰ってくる音がする。
「ふん!」
やっと折れたカッターの刃を、とっさに「デス九郎」の手にある縫い目に隠した。
縫い目はほつれたけれど、鉤爪がいい感じに隠してくれた。
そのカッターの刃をどうしたかって?
あいつが寝ているとき、喉を切ろうとして――。バカだった。わたしのくわだては、わたしの顔に消えない傷をのこして終わった。
それは突然終わりと告げた。ある日、知らない人がどやどやと部屋に入ってきた。そのひとたちはわたしの名前を確認して、もうだいじょうぶ、もうだいじょうぶと声をかけ、わたしを担架に乗せた。
担架の上から、玄関の外が、やたらと明るく見えたのを覚えている。
やっと外へ出られたというのに、安堵よりも、不安を感じていた。
外の世界が。すべてが。怖かった。
ここへ来て、五年が経っていたことは、あとから知った。
「もうだいじょうぶ」だったことは、あの日から一度もない。あの部屋に連れていかれた日から、一度もない。担架に乗せられて、外へ出ても。わたしの「だいじょうぶ」はどこにもなかった。
十八になるまでは定期的なケアってやつがあった。でも、父さんも母さんもお金がなくて、逃げるように引っ越した。わたしがいなくなってから、父さんも母さんもよく眠れなくなって、働けなくなって、仕事が上手くいかなくなって。そうやって引っ越したから、わたしもケアってやつを受けられなくなった。
わたしは外で大人の人みたいにうまくしゃべれないし、あの事件のことは誰でも知ってる。どこにも行き場がなかった。家族三人、一間のアパートに寝起きした。
父さんが日雇いの仕事のために持っていたスマートフォンをいじっていたとき、まんがを読んだ。世界を恨んだ主人公が、爆弾を作る話だ。主人公は、爆弾の作り方をインターネットで調べてた。
案外、そのへんにある材料で作れるもんなんだ。そうか、世界を恨んだら爆弾を作ればいいのか。わたしはすんなり納得した。材料集めのため、わたしははじめて、積極的に外に出るようになった。それを見て、母さんは喜んでいた。どうせ、爆発して死ぬのだと思ったら、世界への怖さがはじめて消えた。
あいつが出てくることを、わたしは弁護士からの電話で知った。電話を受けたのは母さんだったけど、「だからってうちにどうしろと言うんですか」と激しい言い合いを聞いて、だいたいの内容は把握した。
どうせ死ぬなら。わたしはデス九郎を、ひさしぶりに押し入れから出した。母さんは「そんなもの捨てなさい」と言ったから、表に出しておけなくなった。でも、捨てられるわけがない。
わたしのたったひとりのお友達。そのお友達の背中の縫い目をほどいて、わたしは爆弾を隠した。
わたしは歩いた。お金がないから、西から東へとひたすらに。スマートフォンを持っていないから、あいつがいる場所は、だいたいしかわからない。ところどころにある住宅地図を見て、方向をたしかめる。とにかく歩いて、そして明日の出所日まで出入り口を見張ろう。
雪がちらつく。綿がつぶれてぺしゃんこになったジャンパーでは寒い。
橋へさしかかると、さらに冷たい風が吹き上がった。デス九郎をぎゅっと抱く。
「あー! デスクロー」
前から歩いてきた女の人が、突然、デス九郎を見て声を上げた。薄い茶色のコートをひるがえしてパンプスを履いた、いかにも大人の女のひと。足早に近づくと、ちょっとかがんで、わたしの手の中にあるデス九郎を見た。
「まだ大事にしてくれている人、いたんだ!」
わたしはこわくて寒くて、足がすくんでいた。わけがわからない。
「あっ、ごめんなさい、わたしね、この子を作った人」
そのひとは自分自身を指して、大人の女性と思えない、くしゃっとした顔で笑った。
「作ったって、工場、とか、ですか」
「ちがうちがう! なんていうの? 発案者。産みの親」
LEDの街灯が、女のひとを青白く照らす。口紅、赤いな、とわたしは思った。記憶がまともにあるのは、ここぐらいまで。
そのひとはいろいろ一気にしゃべってた。
「流行ったのって、だいぶ前だから。大事に持ってくれてるの見て、うれしくなったんだ」
「汚れてるけど、そのぶん、すごくすごく大事にしてくれたんだって思ったら、思わず声かけちゃって」
「なんでも切り裂く☆デスクロー。女の子の味方って思って作ったから」
なんでも切り裂く☆デスクロー。
たったひとりのわたしのお友達。
《女の子の味方》
「それ」をされるとき、この鉤爪を握ってた。
《大事にしてくたんだ》
わたしはそのお友達の手を切り開いて、カッターを隠した。
背中をほどいて、爆弾を隠した。
いまからこの子とわたしは、バラバラになりにいく。
たったひとりの友達を殺して、あいつを殺す。
どうしてそうなったんだろう。どうしてそうなったのか、わからない。きっと一生、わからない。わたしがなんであんなめにあったのかもわからない。わたしがどうして、こんなことをしたのか、わからない。
女の人が言ったことがぐるぐるして、いままでのことがぐるぐるした。
「うあああああああああ」
わたしは叫んだ。そして、スイッチを押した。
***
薄汚れたぬいぐるみが、デスク脇の棚の上で、うなだれている。正しく言うと、薄汚れているのは、鉤爪がついた右の「手」だけ。爆発した証拠品で、比較的状態がよかった「部分」というか「破片」を入手して、それを「デス☆クロー」のサンプルにすげかえたから。
「破片」を手に入れるのは、とても大変だった。何しろあれは犯罪の証拠品で、わたしはその被害者だったから。
いま思うと、なぜあのとき、彼女に声をかけたのだろう。彼女の服装は汚れていて、表情だって普通ではなかったはずだ。彼女の様子の異常さよりも、かつて作った自分の作品を誰かが手に持っている、ということだけに目がいった。クリスマスで浮かれていたことも大きかったろう。
爆発は、不十分なものだった。何かの成分が足りなかったらしい。だから幸い、わたしは軽傷で済んだ。指にやけどをして、ほおに傷が残ったけれど、化粧をすればわからないぐらいのもの。彼女もケガをし、やけどはしたけれど、重傷というほどのものではなかったと聞く。
彼女の両親から謝罪を受けて、わたしはあのぬいぐるみがどういう遍歴をたどっていたのかを知った。同時に、彼女が巻き込まれた事件のことも。
「大事にしてくれて、ありがとう」
あのときのわたしのあのことばが、あの人に、どう響いたんだろう。わからない。
でも、声をかけなかったら、どうなっていたんだろう。声をかけなかったらよかったとは、わたしにはどうしても思えなかった。
行きずりの人間に、突然、爆弾を爆発させられたんですよ。しかも、あなたの作品のファンに。そんなふうに言われたこともあるけれど、わたしの心は不思議と平穏だった。心療内科に通って、すこし睡眠薬と安定剤をもらってはいるけれど、外へ出てパニックになることは、近ごろはほとんどない。
あの人の目と、叫び声を、わたしはいまも覚えている。その目に宿っていたのは、わたしを傷つけよう、という意志ではなかった。悲しみ、哀しみ、痛み、苦しみ。
それが溢れたところに、わたしがいた。それだけだった。
わたしにとって、それは理不尽なことには違いなかったけれど――。彼女にとっても、それは同じではなかったろうか。あの叫び声は、事件から二年近くが経ったいまも、耳に残っている。
わたしはパソコンのキーを打っては手を止める。どう書けばいいんだろう。減刑嘆願書を書くなんてはじめてだから、よくわからない。ていうか、手書きがいいんだったっけ? こんど、差し入れを託すとき、あの人の弁護士に聞いてみよう。
迷いながら、ついついインターネットのブラウザを開いて見てしまう。知らず、検索窓に「犯罪被害者 支援」と打ち込んだ。あの人の、ご両親の人生は、もっとサポートがあれば変わっていたんだろうか。
わたしは棚の上に置いたデスクローの鉤爪を握る。
「なんでも切り裂く☆デスクロー」
そんなものはこの世にはない。それでも。
「風穴ぐらいは空けてよ、デスクロー」
つぶやいてから、わたしはまた、パソコンに向き直った。
なんでも切り裂く☆デスクロー 丸毛鈴 @suzu_maruke
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