【KAC20232】あずかりもの

草群 鶏

あずかりもの

 指先できゅっと握った手はあたたかく湿ってぐにゃりとやわらかかった。きめの細かな頬はぽったりまるく、頭髪は光を含んでそよいでいる。

 黒炎たなびく荒れ果てた当地を、こんなに頼りなくみずみずしい生き物が二本足で踏みしめている。ぽたぽたとおぼつかない足取りすら、頑陵がんりょうにとっては驚異であった。幼子とはこういうものか。話には聞くが間近に接するのは初めてだ。なにしろ頑陵たち鬼は化生のもの、赤子として生まれ出るわけではなく、もとよりこの大きな牙と屈強な四肢とともにある。鬼界にあってはこのところ人の子が迷い込むことがとんと減って、なかには寂しがる者まであらわれる始末。頑陵がこの子どもを見つけたときは、聞きかじった昔話から己が作り出した幻かと目を疑ったものである。

 子どもが口ずさむ歌によれば、勇気というのはりんりんと鳴るものらしい。その声は頑陵とちがい軽やかに澄んで、りんりんと聞こえる。ならばこの子どもはいま勇気を振り絞っているところなのだ。頑陵がつなぐのは左手、もう一方の腕では茶色いけものの人形をしっかりと抱えており、しきりに話しかけるところを見るに子どもを勇気づけているのはこのけものにちがいなかった。

 さぞかし心細かろう、早く元のところへ帰してやろう。頑陵には心当たりがあった。異界の綻び、青く涼しい風が吹き込む裂け目。早いところ修繕せねばと危ぶんでいた場所がある。

「そら、もうすぐだ」

 子どもの声とくらべて、頑陵が声を発すると地響きがする。しかし子どもは怯むことなく、目をぱちくりさせてこちらを見上げた。

「もうすぐ?」

「そうだ。きっとおうちに帰れるぞ」

 近づくにつれ、鬼界にはないざわめきが風にのって流れてきた。他愛のない物音にまぎれて、ひときわ切実な響きがびょうと彷徨う。

「りーん、りんちゃーん」

 子どもがぱっと顔を上げた。

「ママだ!」

 駆け出しそうになったところをその場で足踏みして、子どもは頑陵を見上げる。

「行っていい?」

「もちろんだ。帰るんだろう?」

 極力優しい声を出したつもりだったが、子どもはぶんぶんと首を振った。

「ちがう、そうじゃなくて」

「なんだ」

「ひとりでだいじょうぶ?」

 今度は頑陵が目をぱちくりさせる番だった。さきほどまで引いてきた小さな手が、いまでは頑陵の太い指をしっかりと握り返している。

「さみしくない?」

 念押しするようにぎゅっと力を込める子どもの目は真剣そのもので、頑陵は頷くのをためらった。わずかに首を傾げた様子に、子どもは「やっぱり」と眉を寄せて知恵を絞る。

「心配するな。はやくお帰り」

 慌てて手を離そうとする頑陵を子どもは決して離そうとせず、代わりにうんうん悩みはじめる。ええと、ううんと、と苦しみぬいたのち、ようやく顔を上げると右手のけものを差し出した。

「あげる」

「えっ、だいじなものではないのか」

「いいの!」

 剣幕に圧されて頑陵が手を差し出すと、子どもはふかふかしたけものをぎゅっと押し付けて脱兎のごとく駆け出した。

「あっ」

 子どもはあっという間に裂け目に飛び込み姿を消した。ほんとうに夢幻だったかのようなあざやかな手際、しかし残されたけものの人形には子どもの体温がうつっており、ゆくゆく手のなかで頑陵自身のものと馴染んでいく。

 頑陵は人形をねぐらに持ち帰った。いつかまた、あの子どもに勇気りんりんが必要になるときが来たら、きっと返してやろう。そのときまで、この勇気は大事に借りておく。

 くまのぬいぐるみと頑陵が、大きくなったりんちゃんのピンチを救うのはこの何年も先のことである。

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