傍にいてね

桝克人

傍にいてね

「ちちおやとははおやがしんだんだよ」


曾祖母と言う人が怖い顔で怖い口調でゆっくり告げた。にこりともせず、目線を合わせるために屈むこともせずに私を見下した。

黒い服の大人たちがわあわあと泣いたり、遺された子供に憐憫と厄介者を見る視線を送ってくるのが怖くて、私は言われた通り、仲良しのくまのぬいぐるみを傍らに置き、長机の一番裾で正座を崩して座っていた。出されたオレンジジュースは初めの一口だけ口をつけてから、そのまま置いてある。大好きなジュースなのに味がしなかったからだ。ただ世界が黒でつつまれた中でそこだけが彩られており、見ていると不思議と心が凪いだ。


そんな中で曾祖母が私の傍にやってきて名前を呼んでからそう告げた。私は目をぱちくりとさせた。ゆっくりと話してくれたおかげで一言ずつゆっくり耳に入った。しかし脳に到達してもその言葉が理解できなかった。

他の大人たちは「可哀そうにね」とか「パパとママはお星さまになったのよ」とか「いつまでもあなたのこと心配してみてくれているよ」とそう言った言葉で私に話しかけた。当時の私は『死』というものがどういうのもかは全く理解ができなかったが、お星さまになることは、もう会えないことだとなんとなく理解は出来た。祖母が亡くなった時に、父がそう言ったからである。


「あなたを成人するまでは面倒を見ましょう。それが私たち大人の義務ですからね。皆さん、この子は私が引き取ります。良いですね」


この時すでに年は八十を超えていた。そんな申し出、他の大人たちは首を縦に振らなかった。これから面倒を見てもらう立場の人間が子供の面倒を見れるわけないだろう。

しかし曾祖母はぴしゃりと「黙りなさい」と一喝した。先程の威勢は幻か、曾祖母の子供やその子供たちは言われた通りに口を噤んだ。


「この子は私の長男筋の子供です。私の管理下に置きます。あなたもよろしいですね」


私は声にださずにこくりと頷いた。

他の大人たちも渋々頷くしかなかった。此処では最年長の曾祖母がルールだ。しかし老体には違いない。子供の世話なんて出来るはずがない。すぐに音を上げて頼ってくるだろうと誰かがこそこそと呟いた。


それから私は家族で住んでいた家を引き払い、曾祖母の大きな屋敷に引っ越して来た。持ち物は子供服と、くまのぬいぐるみだけだった。曾祖母は六畳の部屋を与えた。そこには勉強机と本棚、ベッドが用意されていた。


「自分のことは自分で出来るようになさい」


これまで着替えも歯磨きも母親が手を貸してくれていたので、一人でやることに心細さを覚えた。言葉の通り曾祖母は何も手伝わなかった。ボタンをかけ間違えていれば指摘し、洗面所をびしょびしょにすれば、また指摘した。その度に私は自分で直して、布巾を借りて拭いた。

辛かったのは寝るときだった。それまで親子川の字で眠っていた私は、人の気配のない夜を独りで眠るのに時間がかかった。怖い夢を見た時は曾祖母の部屋に行って一緒に眠ってと泣き言を言うと「いけません」と跳ね返された。ベッドまで手を引いて、くまのぬいぐるみを抱かせるとすぐに部屋を出た。

私は小学校にあがるまでの二年は、毎晩泣いて暮らしていたと思う。


小学校にあがる頃には寂しさは和らいでいた。毎朝仏壇の花の水をかえ、ご飯とお茶を備え、御鈴を鳴らし拝んだ。それから曾祖母が用意してくれた食事をし、学校へと向かう。曾祖母のしつけのおかげで私は背筋を伸ばして挨拶をする礼儀正しい子供に育っていた。学校での評判も良かった。家庭訪問では必ずいい子ですと褒められた。

厳しく育てられたが、娯楽には規制をしなかった。流行りのアニメや音楽番組を見ることを許してくれた。おもちゃも年に二度———誕生日とクリスマスに買い与えてくれた。おかげでのびのびと生活出来ていた。


そんな生活が当たり前になって七年、曾祖母は体調を悪くし突如入院することとなった。それまで杖もつかないしゃんとした曾祖母が倒れたことに私は動揺した。父の妹が私の面倒を見に屋敷に来てくれたおかげでまともな生活は続いたが、曾祖母のいない生活は非常に寂しかった。

私は学校の帰りに毎日見舞いに行った。曾祖母はそんな私を心配するなと励ましてくれていたが一か月経つ頃には、しゃんとしていた面影はなくなっていた。残された時間が少ないことを察した曾祖母と私は限られた時間を出来る限り長く過ごすようにした。

中学校に上がる直前になって曾祖母は亡くなった。


それからは叔母家族が屋敷に転がり込んできた。残された遺産の半分以上を叔母が引き継いだ。孤児みなしごになった私の面倒を見ると親戚に触れ回って、世話をする代わりにと多くの財産をもぎ取ったのである。

実際に養育費はそれなりに出してもらったし文句はなかった。というより文句を言うと私が育ててやってると恩着せがましいことを言って私の言葉を封じて来た。


叔母の家族は多額の遺産を手にして生活は一気に潤ったと贅沢を始めた。叔父はギャンブルを始め、叔母は使いきれないほどのブランドを買いあさり、従兄弟たちもお小遣いをせがんでは好き勝手使った。反して私は慎ましい生活を送った。多くを望まなかった。最低限の生活が出来ればいいと伝えると叔母は鼻を鳴らして「当然よね、孤児を育ててやってるんだもの」と私を見下した。


決してそれは苦ではなかった。自分のことは自分でする、曾祖母に教わった生き方は私を助けてくれた。自堕落になった叔母家族は日々の生活もおざなりになっていったので、家事は自分でするようになった。辛かったことは唯一曾祖母を亡くし独りに戻ってしまったことである。私は毎夜くまのぬいぐるみを抱いて眠った。


いくら多額の財産が入ったとはいえ無限ではない。五年で底がちらつくようになってしまっていた。叔母は家にあった曾祖母の着物や茶道具を売り始めた。それなりのお金になったが、お金が入れば使う生活を止められなかった。金目のものと家中、蔵中をひっくり返し、ついに私の部屋にまでやってきた。箪笥も本棚もベッドの下まで引っ掻き回した。それでも私は反論ひとつしなかった。


もう必要のない家だったからだ。曾祖母は死ぬ間際私にしきりに伝えてきたことがあった。


「これから貴方はつらい生活がまっているはずです。残念なことですが、親戚たちはお金に目が眩み、私やあなたの財産を奪い、あなたに譲ることはないでしょう。あなたは子供です。どんなに歯向かっても太刀打ちできないでしょう。貴方に出来ることは、あの親戚に関わらず慎ましく真面目に生きることです。いいですか。どんなに何を言われても反抗せずにいなさい。そして高校を卒業すると同時に家を出るのです。ご両親が与えてくれた、くまのぬいぐるみこの子と一緒にね」


曾祖母の言いつけの通り、誰も来ない卒業式と同時に家を出た。遠い土地で新たな生活を始める。ボストンバッグに必要最低限の荷物を詰めて電車に飛び乗った。

鞄の中に納まってるくまのぬいぐるみのことを思い出す。背中には丁寧に縫合されている。この中には曾祖母が隠した銀行の判子が入っている。門出を祝う天国の曾祖母からの贈り物だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

傍にいてね 桝克人 @katsuto_masu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ