我が名はタヌたん

みつなはるね

我が名はタヌたん

 我の名はタヌたん。

 鮭桃サーモンピンク色のぬいぐるみである。


 我はあるじの10歳の誕生日の贈り物であった。


 包み紙から出てきた我を見た幼き主は、それはそれは大喜びし、我に名を与えた。


 物というのは、名を与えられると命が宿る。


 我は”タヌたん”と名付けられた時に、この世にその存在を肯定され、ここに生まれた。






 我の居場所はあるじの寝所。


 冬の寒き日は身を寄せ合って眠り、夏の暑き日は足元で過ごした。


 怖い映画を見る時も、主の耳目を塞ぎ護るのは我の役目。


 主が喜べば共に喜び、主が泣けば寄り添い、話しを聞いて慰めた。


 我らぬいぐるみは、そうやって己の主人に尽くして生きる。






 我らと違い、人は育つ。


 育つと共に、役目を終えた我らの多くは、主たちより一足先にこの世を去る。


 主の妹たちに仕えていた同胞たちぬいぐるみも、気づけば多くがその姿を消していた。


 悲しいかな、いつかは我もその時が来る。


 ところが、成人した主が生家を出る時、我もこれにてお役御免かと思っていたが、主は我と共に住まいを移した。


 さらに時が経ち、主は生涯の伴侶と定めた男の許へ往く時も、我をつれて嫁いでいく。


 ここでも我は夫婦の寝所に居場所を与えられ、そこで他の同胞ぬいぐるみたちと主夫妻を見守りながら、ユルユルと時を過ごした。






 ある日、我は自身の重大な真実を知った。


 かねてから夫君は我に、「タヌたんは狸っぽくない。しかし、アライグマでもない。なんだろうか」と言っていた。


 主はその度に「タヌたんはタヌキだからタヌたんなの」と反論していたのだが、近所の動物園に行った主が、部屋に駆け込み我を抱き上げてこう告げた。


「タヌたん大変だ。おまえはタヌキではなく、レッサーパンダだったよ」


 それを聞いて我も驚いた。我も長らく自身がタヌキ手本モデルとしたぬいぐるみであると思っていたのだ。


 そうか、我は小熊猫レッサーパンダ……であるか。レッサー。






 幾度も季節が巡り、命を与えられたあの日から、半世紀以上は経っただろうか。


 存在はやがて、姿と形を変えて失われる。


 人も物も永遠はない。


 主の姿も随分と変わり、我の鮭桃サーモンピンク色の毛も色あせ、中身の綿も随分痩せた。


 それでも主は我を、とうの童の頃と同じように慈しみ、我は変わらず枕元に侍る。


 穏やかに時が過ぎ、今、主の生が終わるその瞬間も、我は傍らに寄り添う。


 ”タヌたん”と名付けられたあの日から、我の命は主と共にある。


 生涯のぬいぐるみとして主に仕え、永らく世に留まり、我は誠に幸せであった。なにより主と共に逝けるなど、ぬいぐるみ冥利に尽きるというもの。


 嗚呼、我の生涯これほどの慶福であったとは。誠に目出度く、天晴である。


 主よ、最期の瞬間もその先も、我は主と共にいようぞ。故になんの心配も不要。さぁ、刻が来た。黄泉路へ参ろうか。





おわり

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我が名はタヌたん みつなはるね @sadaakira

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