ぬいぐるみのお医者さん

月代零

ぬいぐるみのお医者さん

 そこには、ぬいぐるみのお医者さんがいました。

 傷ついたぬいぐるみたちは、真夜中になってご主人が寝静まると、短い脚でてほてほと歩いてお医者さんのところへ向かいます。お医者さんがいるところまでの道は、ぬいぐるみたちだけが知っています。

 とことこ歩いて辿り着いたドアを叩くと、ビンの底のようなメガネをかけた、どこかぼんやりした雰囲気の男の人が出迎えてくれます。そこでぬいぐるみたちは、破れたところを直してもらったり、汚れをきれいにしてもらったりするのです。


「いらっしゃーい」


 ドアを開けたお医者さんは、間延びした声でぬいぐるみを迎えます。今宵の患者は、幼い子供の背丈くらいある、大きなクマのぬいぐるみです。年季が入ったもののようで、茶色の生地はやや煤けていました。


「こんばんはです。よろしくお願いしますです」

「どうぞー。入って入って」


 お医者さんはクマさんを迎え入れると、診察台に座らせます。


「今日はどうされました?」

「えっとですね、ココ、ほつれたのを直してもらいたいのと、」


 クマは、腕の付け根を差しながら言います。


「それと、全体をきれいにしてもらいたいのです」


 ふむふむと頷きながら、お医者さんは状態をカルテに書き込んでいきます。話をするクマは、どことなく楽しそうでした。


「その腕は、どうしたんです?」


 お医者さんがすっと目を細めると、クマはちょっと慌てたように首を横に振りました。


「あ、違うんですよ。乱暴に扱われたとかじゃなくてですね。今のご主人は、わたしのことをとっても大事にしてくれてるんです。でも、月日が経つと、やっぱりどうしても綻びができてしまって」


 それから、とクマは言葉を続けます。


「今度、赤ちゃんが生まれるんですよ。その子とも遊んであげたいから、一度きれいにしてもらおうと思って」


 クマはふふ、と嬉しそうに笑います。


「なるほど、わかりました。それでは、腕から直していきましょうね」


 失礼しますよ、と言って、お医者さんは針と糸を取り出すと、ほつれた腕の付け根を器用に縫い合わせていきます。それが終わると、クリーニングです。

 たらいにぬるめのお湯を用意して、そこに石けんを少し入れ、クマを浸します。優しく押し洗いすると、お湯が黒く濁っていき、代わりにクマの黒ずんだ身体は、元の明るい茶色になっていきます。

 その後はしっかりすすいで軽く絞ったら形を整え、風通しのいいところでしっかり乾かします。

 中の綿もふわふわになって石けんの香りをまとい、クマはすっかりきれいになりました。


「わあ、ありがとうございますです」

「どういたしまして」


 クマは感嘆の声を上げ、何度もお礼を言ってお医者さんの元を後にしました。

 乾くまで時間がかかったように思いますが、ここは人の世界とは時間の流れが違います。朝になることには、あのクマは家でいつもの場所にちょこんと座っていることでしょう。




 そして別の日。今日もまた、お医者さんのところに、新しい患者ぬいぐるみがやってきます。


「……キミ、少し前にも来ましたよね? こんな短期間にまた、どうしたんですか?」


 本日の患者は、胸の前に抱えられるくらいの大きさの、薄いピンク色をしたウサギのぬいぐるみでした。ところがこのウサギ、首の縫い目が大きく裂けて、中の綿が飛び出しており、耳や腕はちぎれてぶら下がり、赤い目も取れかけています。

 以前訪れた時もこのウサギがボロボロだったことを、お医者さんは覚えていました。それも、ほんの数週間ばかり前のことです。経年劣化による傷でないことは、明らかでした。


「どうしてそんなことになったのか、今日は話してくださいね? でないと、治療はしかねます」


 前回このウサギがやってきたとき、お医者さんはどんな状況で傷ができたのか尋ねましたが、ウサギは固く口を閉ざして教えてくれなかったのでした。

 お医者さんにじっと見つめられて、ウサギは観念したように話し始めます。


「……ご主人が、乱暴するんだ。叩いたり、引っ張ったり、――ハサミで切ったり」


 ウサギさんは、ぽつりぽつりと悲しげに言葉を紡ぎます。

 曰く、ウサギさんの持ち主は、何か嫌なことがあると、そのはけ口として、ウサギさんを傷付けているようなのです。

 そんなことでは、直してもまた同じことになってしまうでしょう。


「もしよければ、うちに来ませんか? ちょうど助手がほしいと思っていたところですし」


 お医者さんは言います。ウサギが家に帰り、再び傷付けらないようにするためでしたが、ウサギは首を横に振ります。


「僕がいなくなったら、あの子はひとりになっちゃうから。……悪い子じゃないんだよ。普段は優しいし、破いたところも直そうとしてくれるんだ。不器用で、上手くいかないんだけどね」

「……キミが帰ると言うのなら、止める権利はありませんが」


 お医者さんは話を聞き終えると、よいしょと立ち上がり、ウサギの治療修繕を始めます。

 こぼれてしまった綿は少し足りなさそうだったので新しいものを足し、破れた布地を縫い合わせていきます。なるべく縫い目が目立たないよう、丁寧に、丁寧に。

 手を動かしながらも、お医者さんはウサギの話を聞きます。初めて買ってもらったぬいぐるみを、その子はとても喜んでいたこと、初めは優しくて、幸福な日々が続いたこと。でも段々と何かがずれて、おかしくなっていったこと。それでも、持ち主が大好きで、そばにいてあげたいと思っていること。

 ぬいぐるみたちの言葉を聞くのも、お医者さんの役目でした。昏い気持ちを抱えたままでは、持ち主に害をなす悪いものになってしまうかもしれないのです。


「はい、できましたよ」


 ウサギは、元のようにとはいきませんが、破れた部分を繕われ、汚れも拭いてもらい、きれいになりました。


「ありがとうございます」


 頭を下げると、長い耳がぴょこんと揺れました。丸いしっぽを左右に揺らしながら、後姿が遠ざかっていきます。

 それを見送りながら、お医者さんはあのウサギと持ち主が、どうか幸せに暮らせますようにと祈るのでした。

 どんなに粗末に扱われても、持ち主のことを嫌いになれない。それが、人に作られしもののさがなのだから。


「嫌いになれたら楽なのに……ね」


 お医者さんはそっと、悲しそうに呟くのでした。


                                    了

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