なんにも出来ない子
あしわらん@創元ミステリ短編賞応募作執筆
なんにも出来ない子
「私は何故こんな処にいるんでしょう」
薄暗い警察の取調室で、先月九才の娘を虐待死に追いやり逮捕された母親が、目前の刑事に尋ねる。
その問いに、
「あんた、自分でやったことを自覚していないのか?」
痩せこけた腕と肩、筋張った首。その上に乗っかる顔を見れば、頬の肉だけでなく表情さえも削げ落ちた顔面に虚ろな眼が一揃い、落ち窪んだ眼窩に埋まっている。
その双眸は不思議そうに、狭い部屋の天井、格子窓、床、ドアノブと順に移り行き、ただそれを繰り返すばかりで、黒部に視線が据えられる気配は一向にない。
こんな不気味で化け物のような母親と暮らし、毎日の行いに耐え忍ぶしかなかった少女の恐怖と無念を思うと、黒部の心臓は捻じり切られるようで、両の拳に力を込めてその痛みに耐える。
「たった一人の娘だろう。どうしてあんな惨いことができたんだ」
「……あの子は何も出来ない子でした。小学校受験に落ち、そのうち地域のゴミを漁るようになり、近所のニートとつるむようになりました。あの子は勉強だけでなく、人として当たり前のことも、友達選びでさえもろくに出来なかったんです。私がしたことは躾です」
溜まりかねて黒部は、綻びの目立つ薄汚れたウサギの縫いぐるみをスチール製の机の上にガンと音を立てて置いた。
被害者の小さな手に滲んだ脂汗と、たくさんの涙を吸ったであろうこのウサギは、隣の部屋から異臭がするとの通報を受けて警察が家宅捜索を行った際、少女の亡骸に抱箕子められていたものだ。
「あんた、これを覚えているか」
死なせてしまった子供への最大の償いは心から悔いることだ。
この母親に良心の呵責というものを分からせなければならない。
「それは私があの子に買ったものです」
「あんたもかつて、優しい母親だった頃があったはずだ」
「でも、あの子は何も出来ない子でした」
黒部は母親を卑下して鼻を鳴らす。
「何も出来ないだって? 一体、自分の娘のどこを見ていたんだ」
黒部はやり切れない思いでウサギの背中に手を突っ込む。
指先に細い線の束が触れた。
黒部が指を掛け線の束を引っ張ると、ズルズルと綿にまみれて四角い器械が顔を出す。その先に丸い部品もついてきて、同時にウサギの片目が空洞と化す。
片手に隠せる程の小型カメラが、黒部の手を離れ、机上にカチャリと音を立てて横たわる。
「さっきあんた聞いたよな。何故自分がこんなところにいるのかと」
母親が虚空を見つめて首を傾げる。
「これがあんたを逮捕する決め手となった証拠だ。こいつの目ん玉のビーズから、あんたの日ごろの行いがつぶさに記録されていたよ。ユキちゃんが絶命する瞬間も。だからあんたは此処にいる」
「こんな物を誰が?」
「あんたの娘に決まっている」
「そんなこと、あの子に出来るわけがないでしょう。だってあの子は何も出来ない子なんですから。作り話で騙すつもりなら訴えますよ」
「作り話なんかじゃない。あんたがニートと呼んだ男は、自宅でパソコン周辺機器の修理再販を行うリサイクル業の経営者だ。男の証言では、年明け、向かいの家の女の子が廃棄部品を持って訪ねてきてこう言った。『お兄さん器械が得意よね。壊れても直せば使えるようになるんでしょ? わたしに修理を教えてくれない?』 真剣な眼差しで頼まれ、男は小型カメラの修理を手伝った。何に使うのかと聞いたが、ユキちゃんは答えなかったそうだ。ただ笑って、『壊れても直してくれる人がいるってすごくいいね』と言って帰って行った。その時のカメラが、この縫いぐるみから見つかったコイツだ」
母親は机上の黒い器械を無表情で注視する。
「あの子は――」
そう言って理由を探すように宙を仰ぐ。
「あの子は裁縫が出来ません。だからそれを縫いぐるみに隠すような真似は出来ません。あの子は何も出来ない。だから私の躾けが必要だったんですから」
「それを仕込んだのがユキちゃんだという証拠を示せというのなら、いいだろう」
黒部はもう一度、ウサギの背中に手を入れる。
今度はカサリと乾いたものに触った。
出てきたのは一枚の手紙。四つ折りのそれを、母親の前に広げて見せる。子供の字で一生懸命に書いた字だ。
ママへ
小学校にうからなくてごめんなさい。
ママをこわしちゃってごめんなさい。
ユキがこわれちゃってごめんなさい。
直してくれる人がいたらよかった。
ユキ
これを読んでも母親は眉根一つ動かさない。
ごめんな、ユキちゃん。
おじさん、何もしてやれなくて。
「言っとくが、犯人を告発して有罪を立証するなんてこたあ大人にだって簡単にはいかねえんだ。それをあんたの娘は、あんな小さな体で、たった一人で考えて行動してやりとげた。何も出来ないなんて、これ以上言わせねえ。言わせてたまるかよ」
なんにも出来ない子 あしわらん@創元ミステリ短編賞応募作執筆 @ashiwaran
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます