フラワーブリンガー

kanegon

フラワーブリンガー

 私はぬいぐるみだ。

 かわいい白いうさぎを擬人的に模した深紅の目のぬいぐるみだ。両手には花束を抱えている。あなたに花を届けるのが私の何よりの願い。だからフラワーブリンガー。

 こんなかわいらしい容姿なのだから、誰かかわいらしい女子中学生か高校生くらいに買われて、慈しまれるものだと、ずっと思っていた。

 だが、店先で私を手に取ったのは、いかめしい顔をしたオジサンだった。似合わないことこの上ない。だが、もしかしたら愛娘への誕生日プレゼントとして買ってくれたのかもしれない。

 そういう希望を抱いていることができたのも、飛んだ先の外国で、背中を切り開かれて、白い粉末入りのビニール小袋を体内に詰め込まれて、また改めて縫い直されるまでだった。

 白い粉の正体は何なのか。どう考えても合法的な代物とは思えない。

 私はみじめな気持ちになった。

 そういえば、シシャモの代替魚であるカペリンが、オスであるにもかかわらず腹に卵を詰め込まれ、子持ちシシャモとして売られると聞いたことがある。なんという哀れな運命。でも今の自分も似たような境遇ではないだろうか。

 それからの私は、世界中のあちこちの国を旅して回った。

 白い粉を詰め込まれるのは乱雑な作業で、こんなのでは容易に空港の麻薬検査犬に見つかってしまうのではないかと私は常にビクビクしていた。麻薬検査犬のだらしないよだれだらけの口にくわえられる時こそが、長い私の旅の終わる時だ。

 麻薬検査犬が無能なのか、隠蔽工作が想像以上に巧妙なのか、私は捕まることなく諸外国を飛び回る旅を続けた。これが幸運なことなのか不幸なことなのかは、もう分からない。

 そうこうしているうちに、私は気づいてしまった。

 花束を抱えたうさぎ、という姿の私は、あなたに花を届けたい、という願いが形になったフラワーブリンガーだった。でも、そのフラワーとは、花のFLOWERではなく、白い粉の隠語としての小麦粉のFLOURだったのだ。こんなダジャレオチみたいなことのために自分は生まれてきたのだろうか。私は落胆した。

 ある秋の日に、私の持ち主であるオジサンが私を落としてしまった。

 その時の私は体内に白い粉を仕込んでいない空荷状態だった。

 なので、私を落としてしまったことにオジサンが気づいたとしても、真剣に探そうとはしないだろう。新しいぬいぐるみを買えば済むことだ。

 私は道端に落ちたまま、誰にも顧みられることなく時間だけが過ぎた。

 私を見つけてくれたのは一匹の柴犬だった。首輪を付けているから野良犬ではなく飼い犬なのだろう。首輪には名札のようなものが付けられていて、そこには漢字で一文字「犬」と何故か分かり切ったことが書かれている。飼い主らしき人間が近くにいないのでどこかから脱走してきたのかもしれない。

 柴犬はためらうことなく私を口にくわえた。麻薬検査犬ではなかったが、私は結局犬にくわえられる運命だったらしい。

 私を口にくわえたまま、柴犬は民家の敷地に入り、庭に私を放り出した。地面に転がった拍子に、私の目として顔面に縫い付けられていた深紅の真珠貝ボタンの片方が取れて地面に落ちた。ウインクしているかのように隻眼になった私に向かって柴犬がワンと吠えた。

 呼び声が聞こえたのか、家から出てきたのは中学生か高校生くらいのかわいらしい女の子だった。そう。私は本来はこういうかわいい女の子の持ち物として愛されるはずだったのだ。ようやく、運命の相手と出会うことができた。

「ケンくん、また脱走していたの。あら、それは」

 運命の女の子は、庭の真ん中に寝転がっている私に気づいた。

「うさぎのぬいぐるみ、かな」

 待っていた、この時を。これから私はこの女の子の持ち物になって愛されるのだ。

 幸福量の総量は保存されるという。今まで良くないことが多かったのならば、バランスを取るためにこれからは幸せな時間が私を待っているはずだ。

「ケンくん、変なゴミを拾ってきちゃ駄目でしょ」

 えっ、そんな。私はかわいらしい白いうさぎのぬいぐるみなんだけど。

 一旦家の中に戻った女の子は、明らかに犬のUNKを拾う用の金属のトングを持ってきて私をつまみ、半透明のゴミ袋にポイした。

 何故こんなことになったのだろう。どこで道を間違えたのだろう。何がいけなかったのだろう。これから私はどうなるのだろうか。

 ゴミ袋は満杯になると、きちんと曜日を守って燃やせるゴミの日の朝に出された。

 私に何か落ち度があったのだろうか。私はこれまで何も努力をしてこなかったから自己責任ということなのだろうか。でも私はぬいぐるみであって努力できる要素など何も無いのだ。だから他力本願ではあるが、この状況から誰かが助けてくれる奇跡に期待するしかない。

 雨が夜更け過ぎに初雪に変わって翌朝には積雪になっていたせいで、ゴミ収集パッカー車の運行はいつもよりも大幅に遅れているようだった。地域の環境衛生センター組合の一般廃棄物焼却処理場に運搬されて、大量の燃やせるゴミと一緒に私は焼却されてしまった。誰かが救いの手を差し伸べてくれる、などという他力本願な奇跡など起きるはずもなかった。


***


 何一つ良いことが無いまま終わってしまった私の生涯だった。以下は後日譚である。

 冬が過ぎて春になり、雪がとけると、例の女の子の家の庭で柴犬が吠えていた。漢字一文字で犬と書いてケンという名前のあの柴犬である。

 家から出てきた女の子は、庭の真ん中でケンが吠えかけているものを見て、小さく笑顔を浮かべた。

「わぁ、きれいな花。でも何ていう花なのかな。全然見たこと無いけど」

 庭の真ん中、あの日、ケンが口にくわえてきた私を放り出した場所から、一本だけ草が生えてきて、一輪だけではあるが青い鮮やかな色彩の大輪の花を咲かせていた。花の中央の雄蘂雌蘂部分は黄色で、青系と黄色系の補色関係になっていて美しさを引き立てていた。

 私が外国を旅していた時に、偶然、毛に花の種が付着したのだろう。それが庭の真ん中に落ちて春になって花を咲かせたのだ。女の子が知らないのは当たり前だ。日本には無い珍しい外国の花だからだ。

 外国の花の種が環境の全然違う日本の土壌で芽を出すことができるという偶然があり得るのかどうかは分からない。だが、フラワーブリンガーとして生まれた私が、白い粉ではなくちゃんと花を運んでいたのを、地面に落ちた私の片目が見届けた。

「高校合格をお祝いしてくれているみたい」

 あなたに花を届けたい。その想いは、一人の女の子を笑顔にした。

 私の長い遥かな旅の果てに辿り着いた、最後の最後に起きた小さな奇跡なのだ。

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