プレゼント

 ――そして、俺は咲花と大学で再会して。

 彼女の過去を周囲にバラさないことを条件に、これから始まる大学の四年間、彼女を俺の犬にした。


 来週からは、咲花とふたりで暮らす。

 引っ越しの準備を、一応していたのだった。


 そもそも、引っ越してきてまだひと月の家。

 荷ほどきのやり方もよくわからず、放置していた。

 叔父一家も家族も、いつでも手伝いに来ると言ってくれていたけれど、俺は連絡しなかった。……彼らの側もまた、俺の対応には慎重になっているのか、無理に訪ねてくることもない。

 叔父一家も家族も、ただ静かに、俺を待っている――いつのまにか、そんな態度になっていた。


 ……申し訳なさは少々あるけど、まあ、助かる。

 来週から、咲花と二人で暮らすから。

 引っ越し費用は、咲花のお金と、新生活の費用として渡された俺のお金で、どうにかなる。

 ……叔父一家と家族への報告は、どこかで適当にしようと思っていた。


 叔父の家から、少ない荷物を荷造りしてくれたのは、叔父たちだ。

 まだ俺は、中身もろくに見ていない。


 ワンルーム。本が並べていない本棚の、上のほうに置かれた段ボール。

 中身を確認していたら――この犬のぬいぐるみが出てきた。


 記憶が、あふれ出した。

 同時に、……なぜこの犬のぬいぐるみがここにあるのか、俺には、わからなかった。


 ……どうしてだろうか。

 時雨の家から、持ち帰ってきたのだろうか。わざわざ。

 確かに、結局解放される日まで共に過ごしたぬいぐるみだけど――。


 こんな。薄汚れていて。……俺のせいで。


 ……監禁生活は、後の方になればなるほど、記憶が混濁している。

 解放日のことなんか。ほとんど、何も覚えていない――。


「……えみ。これ。覚えてる?」


 おすわりさせていた咲花、いや、……飼い犬のえみに、ぬいぐるみを示す。

 えみは――はっとしたような、びっくりした顔を、見せた。


「……わ、わう」


 犬になって、一週間。

 えみは、多少は、ボキャブラリーが増えてきたようだった。……犬としての。


 犬耳のカチューシャと、肉球を模したミトンはつけたが、まだ首輪は与えていない。

 ……引っ越したら、プレゼントしようと思っている。


「……このぬいぐるみでさ。気持ちいいこと、してみたらどうかな」

「……く、くうーん」


 覚えて、いるのだろう。

 覚えているだろう。覚えていなかったら。やっぱり俺は。……お前のことを殺したくなってしまうかもしれない、咲花。


 だけど、えみは。

 おずおずと、慣れない四つ足歩行で俺に近づいてくると、足元に、頭を擦りつけてきた。


「……くうん、きゅうん」


 頭を、こすりつけてこすりつけて。

 ……申し訳なさそうに。ゆるしを、乞うている。


 ごめんなさい、と言いたくなったときは、くんくん鳴けと。

 負い目があるときには、頭をこすりつけろと。

 俺が。俺がかわいいと思える飼い犬に、したくて。教えたから。


 ごめんなさい、なんて。言ってほしいわけでもない。求めてもない。

 甘く鳴いて俺に頭を擦りつけてくる彼女は、……飼い犬は、思った以上にかわいい。


「……わかった? あのときの、俺の気持ち」

「……きゅうん、きゅうん」


 きっと神さまからのプレゼントだ。

 えみという、これから四年間、俺が飼える飼い犬は。


 これまでの人生、色々あったからさ。

 あげるよって……きっと。神さまが。


 いるはずもない、神さまが。


 ……俺が結局、数えきれないほどの、地獄の夜を隣で過ごしたぬいぐるみ。


 神さま、ありがとう。でも、できれば、……俺が奴隷に、犬になる前に、飼い犬を与えてほしかった。


 俺は、最初から、ただの飼い主でいたかった。


「えみ。犬のぬいぐるみ、あげるよ」

「……わ、わんわんっ」


 俺がそっと犬のぬいぐるみを近づけると、えみは、不器用そうに、だけど口でぬいぐるみを受け取った。


「嬉しい?」


 ぬいぐるみをくわえながら、えみは、くん、くん、と甘えるような声を出す。


 えみ。俺の飼い犬。

 犬に、なれて、いいこだ。

 俺の。……俺だけの、飼い犬に。


 えみの、頭を撫でる――幸せというのは、こんな気持ちなのかなとか思って、いや違うだろうとすぐに打ち消した。

 もうとっくに諦めている。俺が幸せになれることなんて、生涯ないから。


 だから、せめて、いまだけは、えみをそばに置こう。


 えみの頭を撫でる。

 いつも脅えたような顔をする、えみだけど――頭を撫でると嬉しそうだってこと、……えみ自身は、……咲花は、知っているのだろうか。


 俺の飼い犬のえみとなった、咲花は。

 俺が与えたぬいぐるみを。あまりに記憶が沁み込みすぎた犬のぬいぐるみを。かつて自分が手芸部で作ったのであろうぬいぐるみを、口でくわえながら。

 犬らしく、目を細めた。

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奴隷と、ぬいぐるみ。 ~加害者少女は犬になる~ 柳なつき @natsuki0710

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