【KAC20232】 クマゴロウ
下東 良雄
クマゴロウ
※センシティブな内容が含まれております。
お読み頂く前に必ずタグをご確認ください。
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どこまでも突き抜けるような青い空。
ぷかぷかと浮かぶ白い雲。
見渡す限り美しい草原が広がり、たくさんの葉をつけた大きな木が一本立っている。
人はもちろん、動物も、鳥もいない。
いや、ひとりと一匹がいるようだ。
年の頃、小学校に上がるか上がらないかくらいだろうか。
ひとりの幼い女の子が草原を走っている。
「クマゴロウ! こっちだよ! 早く早く!」
その後ろをちょこちょこをついてきているのは……
「まって~……ハァハァハァ」
「クマゴロウ、遅いよ~」
一匹の子グマ……ではなく、大きなクマのぬいぐるみだ。
女の子に『クマゴロウ』と呼ばれている。
大きな木へ先に辿り着いた女の子。
ニコニコしながらクマゴロウを待っている。
「やっとおいついた……ハァハァハァ」
ヨタヨタと歩きながら到着したクマゴロウ。
ちょっと運動不足のぬいぐるみのようだ。
「ク~マゴ~ロ~♪」
クマゴロウに抱きつく女の子。
もっふもふのふわふわだ。
クマゴロウは、優しい笑顔を浮かべた。
「よし! じゃあさっそくボクとあそぼー!」
「おぉー!」
クマゴロウは片手を上げて、その場でくるくると回り始めた。
周囲から光の粒がクマゴロウに集まってくる。
そして……
ぽんっ
「うわっ!」
大きな音と煙に驚いた女の子。
煙が晴れると、そこにはとんがり帽子と短い杖を持ったクマゴロウがいた。
「クマゴロウ、魔法使いみたい!」
「ふふふっ、よーし、まほうをみせてあげよう! それーっ!」
クマゴロウが杖を空に振り上げると、美しい大きな虹がかかった。
「すごーい! きれいだなぁ〜」
顔がほころぶ女の子。
「じゃあ、これはどうかな? それーっ!」
クマゴロウが虹に杖を向けると、たくさんのお星さまが空の向こうからやってきた。
そして、虹をステージにして、くるくるきらきらと踊り始めたのだ。
「わぁー! クマゴロウ、キレイだね! ありがとう!」
満面の笑みを浮かべる女の子と、笑顔で大きくうなずくクマゴロウ。
そんな楽しい時間が続いた。
やがて、クマゴロウが女の子に語りかける。
「そろそろおわかれのじかんだよ」
「えっ……」
寂しげな女の子。
「またきっとあえるから、ね?」
クマゴロウは微笑んだ。
しかし、女の子は首を振った。
「私、クマゴロウとここにいる」
少し困ったような表情を浮かべたクマゴロウ。
「ここにはずっといられないんだ」
「知ってる……でも、私ここにいる!」
クマゴロウにすがる女の子。
「クマゴロウも私を置いて行っちゃうの? 私、もうヤダよ……」
女の子の頬に涙が伝う。
その時だった。
空にはヒビが入り、カケラとなって少しずつ消えていく。
草原の草は枯れ、地面にもヒビが入り、どんどん崩れ落ちていった。
大きな木も、気が付くと葉はすべて落ち、枯れ木のようになっている。
「ク、クマゴロウ!」
慌てた女の子がクマゴロウに目をやると、クマゴロウは浮かんでいた。
そして、ゆっくりと離れていく。
「クマゴロウ! 行っちゃヤダ! 私も……私も……!」
地面は崩れ去り、もう立つ場所すら無かった。
枯れ木に掴まり、クマゴロウに手を伸ばすも届かない。
「ボクはずっとみまもってるよ」
優しい微笑みを浮かべるクマゴロウ。
「クマゴロウ!」
女の子は必死に手を伸ばす。
「まけないで、キリカちゃん」
「はぁっ!」
キリカは飛び起きた。
汗びっしょりだ。
傍らに目をやると、大きなクマのぬいぐるみがある。
お気に入りのぬいぐるみ『クマゴロウ』だ。
家から持ち出した数少ない自分のもの。
母親から買ってもらった唯一のものでもある。
周りを見渡す。
大きめの部屋の中は暗い。
でも、布団が何組も敷いてあり、子どもたちが寝息を立てているのがわかる。
「……キリカちゃん?」
突然、女性の声で名前を呼ばれた。
顔を向けると、園の女性職員だった。
「どうしたの? 眠れないのかな……?」
「大丈夫です」
「もしあれなら、私と一緒に……」
「大丈夫です」
「無理しなくても……」
「大丈夫です」
強張った表情のキリカからは、同じ言葉しか出てこない。
女性職員も何かを察した。
「うん、わかった。じゃあ、おやすみ……」
「はい、おやすみなさい」
キリカは布団に潜り込み『クマゴロウ』を抱き締める。
女性職員は、そのまま立ち去っていった。
――園長室
コン コン
「はい」
扉の向こうから返事があった。
ガチャリ
扉の向こうの部屋には大きなデスクがあり、白髪交じりの年配の男性が座っている。
「失礼します」
そして、部屋にやってきたのは先程の女性職員だ。
「園長が宿直で良かったです……」
「何かあったのか?」
「キリカちゃんなんですが……」
目元がピクリとする園長。
「キリカちゃん、落ち着いてるかい?」
「はい……あの、落ち着き過ぎなんです……」
園長の表情が厳しくなる。
「泣かない、騒がない、言うことを聞く……あの子、六歳ですよね。ちょっとおかしいです……」
考え込む園長がゆっくりと口を開いた。
「『いい子』でいたいんだと思う……」
「『いい子』?」
「キリカちゃん、言ってたらしい。『お母さんがぶつのは自分が悪い子だからだ』って」
「あ、あんな目に合ってるのに……?」
キリカの身体は痣だらけだった。
「だから、あの子は命拾いしたんだ。そのまま母親の元にいたら、命を落としていたかもしれないからな。それも自分を責めながら……」
園長の言葉に胸が痛む女性職員。
「でも……でも、この施設にはキリカちゃんに暴力を振るうような人は……」
「キリカちゃんは信じてるんだよ」
女性職員の言葉に被せるように園長は言った。
「何をですか……?」
「『いい子にしていれば、お母さんが迎えに来てくれる』って」
「保護された認識が無いってことですか⁉」
沈黙の空気が園長室を包む。
「そして、あの『ぬいぐるみ』だ」
「あれが何か……?」
「数少ない自分の持ち物であるお気に入りの『ぬいぐるみ』は、キリカちゃんにとって心を寄せられる【希望】なんだ」
うなずく女性職員。
「そして、母親に買ってもらったあの『ぬいぐるみ』は、キリカちゃんにとって母親との【絆】でもある」
「……はい」
「それがどういうことか分かるか?」
女性職員は答えられない。
「これからキリカちゃんが成長していく中で、一番大きな問題は『母親に虐待されていたことに気付く』ことだ」
ハッとする女性職員。
「その瞬間、あの『ぬいぐるみ』に対して抱いた【希望】は【絶望】に変わり、【絆】は【憎悪】に変わるかもしれん」
「そんな……」
「その時、彼女の心にどんな影響があるのか……想像もできん……」
女性職員はうつむいた。
「だが、そのために我々がいる。【絶望】は、我々の抱擁で【希望】に変えよう。【憎悪】は、我々との【絆】で溶かしていこう。我々はそのためにここにいるんだ。単なる子どものお世話係ではない。それを忘れないようにな」
「はい!」
女性職員は、力強くうなずいた。
「『ぬいぐるみ』に負けたくないですからね!」
「うむ! その意気だ!」
園長と女性職員は、笑顔を交わした。
布団の中でキリカは願う。
(いい子にしてれば、お母さんはきっと迎えに来てくれる……!)
(いい子にしてれば、優しいお母さんに戻ってくれる……!)
ぬいぐるみである『クマゴロウ』をぎゅっと抱きしめるキリカ。
(クマゴロウ、力を貸して……!)
キリカは、ただ優しく微笑む『クマゴロウ』を抱きしめながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
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<作者より>
物語と繋がりはありませんが、皆様に知っていただきたい・覚えておいていただきたい情報です。
児童相談所 虐待対応ダイヤル『
◯ 虐待かもと思った時などに、すぐに児童相談所に通告・相談ができる全国共通の電話番号です。
◯「児童相談所 虐待対応ダイヤル『
◯ 通告・相談は、匿名で行うこともでき、通告・相談をした人、その内容に関する秘密は守られます。
◯ 通話料は無料です。
その他、児童虐待に関する相談先などは、下記のこども家庭庁 WEBサイトをご覧ください。
https://kodomoshien.cfa.go.jp/no-gyakutai/
身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト、性的虐待……
すこしでも虐待の可能性を感じたら、どうか迷わずお電話を。
あなたの通告で救われる命があります。
『こどもを虐待から守るのに、理由はいらない。』
(令和5年度「オレンジリボン・虐待防止推進キャンペーン(こども家庭庁)」キャッチコピーより)
児童虐待は、身近な問題です。
『189』覚えておいてください。
【KAC20232】 クマゴロウ 下東 良雄 @Helianthus
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