ぬいぐるみのがらんどう

神崎 ひなた

ぬいぐるみのがらんどう

 円周率。がり。

 円周率を、ノートに書く。がりがり。算数のノートを埋め尽くす。がりがりがり。数字の大軍で埋め尽くす。がりがりがりがり。円周率が書かれた五枚のプリントに刻まれた、数字の羅列をノートに写す。がりがりがりがりがり。終わりまで書いたら最初に戻る。がりがりがりがりがりがり。そうして何度も数字は巡る。がりがりがりがりがりがりがり。

 がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり。

 気付けば、いつの間にか夜になっていた。パパとママは今日も帰って来ない。冷凍庫からチャーハンを取り出し、電車レンジで解凍する。五分間を待つ間、私は円周率について考える。

 まだ誰も円周率の終わりを知らない。この世界中の誰もが、円周率のほんとうを知らない。誰にも理解されていない。そう考えると、少しかわいそう。

 繰り返した数字の羅列。ノートに埋め尽くされた数字。空虚で、がらんどう。そういうものがたくさんあることに私は安心する。

 一人の夕飯を済ませると、ぬいぐるみを抱いて布団へ入る。立派な尻尾のついたネコの大きなぬいぐるみ。その自慢の尻尾を触ると、ぼろっと取れてしまった。糸一本でかろうじて繋がった尻尾を弄りながら、もうすっかりお古だからな、と私は思った。

 パパとママが仲良しだったころ、誕生日に買ってくれたぬいぐるみ。大きくて、もこもこで、暖かくて、抱き心地がいい。ぬいぐるみの空いた穴に指を突っ込むと、中には想像以上に綿玉がぎっしり詰まっていた。

 私も、このネコの大きなぬいぐるみと大差ないのかもしれないと思った。

 もこもこの毛皮の中を埋め尽くすのは、数え切れないほどの綿玉。

 薄い皮膚の中を埋め尽くすのは、数え切れないほどの細胞。

 それだけの違い。

 空虚で、がらんどう。

 そういうものがたくさんあることに私は安心する。

 明日は家庭課の教科書を持って帰ろう、と思った。取れた尻尾の縫い方を調べて、それでも時間が余るなら、教科書まるごとノートに写して時間を潰そう。そんなことを繰り返しているうちに、ぬいぐるみのひとつやふたつ、簡単に作れるようになってしまえるだろう。ぬいぐるみの頭を撫でながら私は囁く。


 きっと仲間が増えるよ。

 楽しみだね。


 針と糸はどこだっけ、と考えながら意識が夢に落ちてゆく。

 

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ぬいぐるみのがらんどう 神崎 ひなた @kannzakihinata

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