第11話 旅立ちは見合わせ

 湖で人魚を治療してから、数日が経った。


 治療した翌日、ランポさんは大丈夫だと言ったけれど、どうしても心配で。

 人魚が倒れていた場所まで見に行ったけれど、その姿はどこにも見当たらなかった。


 たぶん、元気にしているのだろう。

 ランポさん曰く、人魚ラウルの町で死傷者は出ていないそうだから。


 森の探索は、昨日で終わってしまった。

 今日から、どうしようか?


 旅の資金は、まだ潤沢と言えるくらいには残っている。

 余裕があるうちに行けるだけ行ってみるか──と悩みながらアルクの町を歩いていたわたしの前に、は現れた。


 光加減で何色にもなる白いオーロラのような色をした髪。

 影が落ちるほど長いまつ毛に彩られた目は、幼子のように無垢むくな色をしている。


 スラリとした体にまとうのは、深いスリットが入った立ち襟の長い上衣と、白いズボン。

 どちらも透けるような薄い生地が用いられていて、はかなげな見た目の彼によく似合っている。

 風が吹くと上衣の裾がはたはたと動いて、それが一層、彼の魅力を引き立てているようだ。


「見つけた……!」


 彼はわたしを見るなり、裾が汚れるのもいとわずに膝を地面へつけると、ギュッと抱きついてきた。

 訳がわからずポカンとしているわたしの手を恭しく持ち上げて、頭を撫でてほしい猫が擦り寄るように、頰を押し当ててくる。


 なんて、なめらかなほっぺ。

 数日前は傷だらけだった彼の肌はすっかりと癒え、綺麗になっていた。

 セントジョンズワートの軟膏なんこうがよく効いたようで、内心安堵あんどする。だけど──。


「探しておりました、姫……!」


 涙声でささやかれて、わたしは絶句した。

 ひめ……ひめって、姫⁈


 感極まった顔で涙まで浮かべて、彼──人魚は微笑んだ。


「僕の名前は、フォン。あなた様を探しておりました。どうか、一生をかけて恩返しをさせてください」


 聞けば、軟膏を塗った翌々日には、傷は癒えていたらしい。

 メモと一緒に置いておいたエキナセアとローズヒップのハーブティーを毎日きちんと飲んだため、早期回復に至ったのだろう。


 エキナセアには感染症の予防効果と創傷治癒作用が、ローズヒップにはコラーゲン生成を促して傷の治りを早くする効果がある。


 やはり、人に使う時より効きが良いみたい。

 すっかり良くなって嬉しい限りだけれど、でも──。


 なんだ、どうしたと遠くから投げられる視線が痛い。

 ここは町中の往来で、人がたくさん行き来している。


 美青年に抱きつかれ、姫と呼ばれるわたしちんちくりん……。

 そりゃあ、見るってものでしょう。


 あの、すみません。

 引き裂かれた恋人同士の、感動の再会ではないです。

 お願いだから、妙な勘違いしないでー……。


「姫がお嫌でしたら、女神でも女王でも、」


「ティプです。ティプと呼んでください。ひよこちゃんでも可!」


 彼の台詞せりふに食い気味で答えると、フォンと名乗った人魚は花開くようにフワリと笑んだ。


「ひよこちゃん……」


「う……」


 候補は二つあったのに、フォンさんはあえてひよこちゃんを選んだ。

 その名が特別であることを知っているかのように、フォンさんは大事そうにわたしの名を呼ぶ。


 どうして彼にその名を許したのか。

 この世界に一人くらい、わたしのことを「ひよこちゃん」って呼ぶ人がいたって良いと思ったから。だから別に、他意はない。はず。


 いや。この際、認めてしまおう。

 理由は明白だ。パパと同じところにほくろがあるから。


 我ながら、なんてファザコンなのだろうと頭が痛い。

 でもさ、仕方がないじゃない。パパのこと、大好きなんだもの。


 わたしが開き直っているうちに、ギャラリーはどんどん増えていく。

 そんな中、買い出しに来ていたらしいランポさんが慌てて走り寄ってきた。


「おい、ティプ。こんな往来で何やって……って、おおう⁉︎」


 わたしの背後から来たランポさんは、近づいてはじめて、フォンさんの存在に気づいたみたいだった。

 フォンさんの姿を認めるなり、「ゲッ」と顔をしかめる。


 関わらなければ良かったと顔に書いてあるランポさんに、嫌な予感をひしひしと抱く。

 わたしははっしとランポさんの腕をつかんだ。お願い、一人にしないで。


「ランポさん、こんにちは。なんかこの人、恩返ししたいって……。わたし、どうしたら良いんでしょう?」


「あー……これはちょっと、厄介なことになったかもしれねぇなぁ」


「厄介……?」


「つかぬことを聞くが、ティプ。おまえ、猿の獣人だったりしないよな?」


「いえ、正真正銘、人ですが」


「だよなぁ」


 ランポさんの目が泳いでいる。

 どう話せば、平和的に解決するのか思案するかのように。


 けれど、まるっと解決するような説明は思いつかなかったみたいで、彼は申し訳なさそうに眉を下げると、わたしにこう言った。


「オスの人魚がメスに抱きつくのは求愛行動だ。そして、人魚が人に恋をした場合──」


 人目をはばかってか、ランポさんがコソコソと耳打ちしてくる。

 ささやかれた内容に、わたしは絶句した。


 人魚が人を愛し、悲恋に終わった場合。

 人魚は泡となって消え、空へ昇って風の精霊になり、愛する人が死ぬまで


 たとえわたしが求愛を断ろうとも、フォンさんがわたしから離れることはない。

 それってつまり──、


「ヤンデレストーカーってことですか⁉︎」


「ヤンデレストーカーって言葉は知らねぇが……まぁとりあえず、死なせたくないならまずは友達から始めるのが良いだろうな」


 恩返しにしては、エキセントリックすぎない……?

 いや、わたしも大概だと思うけどさ。


 もしかしたらパパも、こんな気持ちだったのかな。

 異邦人帰還魔法の提案をした時、パパはどんな顔をしていたっけ……?


 少なくともわたしは、とても満たされた顔で話を切り出したと思う。

 だって、大好きなパパに恩返しができるチャンスだったんだもの。


 わたしを一人にするのが心配で、夜も眠れなかったくせに、それでも帰ることを決意してくれたパパ。

 それならわたしも、応えるべきじゃない? パパの娘としては、さ。


 わたしは覚悟を決めてヨシ! とうなずくと、抱きついたまま返事を待っているフォンさんを見た。


「まずはお友達から、はじめてみませんか?」


 わたしの提案に、フォンさんはゆっくりとまばたきを一つして。


「よろしく、ひよこちゃん」


 と、それはそれは色気のある声で応えてくれた。


 旅立つつもりだったけれど、もうしばらくアルクの町にいることになりそう。

 でもそれでも良いかと思えるくらいには、わたしはここを好きになっていたのだった。



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お付き合いいただき、ありがとうございます。

誠に勝手ながら、今話で更新を一時停止させていただきます。

賢いヒロイン中編コンテストに応募している作品のため、結果がわかり次第、どうするか決めたいと思います。

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恩返しをしたら国外追放! 第二の人生は異世界産ハーブ知識でのんびり暮らしたい……のですが。 森湖春 @koharu_mori

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