茶色い悪魔

阿々 亜

茶色い悪魔

 ん? ああ、あの日の話か?

 あの日は、そう、娘の誕生日だったんだ。

 いつも通り仕事を終えた私は、街のおもちゃ屋で娘への誕生日プレゼントを買った。

 だが、その帰り道、私は恨みを買っていた組織の人間に囲まれ、機関銃の弾を浴びせられたんだ.............




 1925年シカゴ、2人の男がスラム街を歩いていた。


「こんなところに潜伏してるんですか?Mrブラウンは........」


 1人は20歳前後の若い男、もう1人は40歳前後の中年。

 2人ともトレンチコートにボルサリーノハットをかぶっていた。


「潜伏しているかどうかはわからない。だが、Mrブラウンはいつもこの場所を指定してくるんだ」


 2人はスラム街の一角の廃墟のようなビルに入った。

 中の階段を上り、最上階の一番奥の部屋に入った。

 中央には椅子が一つ置かれておりそれ以外は何もなかった。

 部屋は薄暗く中がよく見えなかったが、よく見ると椅子の上に“くまのぬいぐるみ”が置かれていた。

 そのぬいぐるみは、まるで来客を待っていたかのように入口に向いて置かれていた。


「Mrブラウン、私だ。ジャクソンファミリーのレヴィ・クラークだ」


 2人のうちの中年の方、レヴィ・クラークがぬいぐるみに向かってそう言った。


『ようこそ、Mrクラーク』


 レヴィの呼びかけに応え、ぬいぐるみから声が発せられた。


「ぬいぐるみがしゃべった!?」


 もう一人の若い男が驚愕の声をあげる。


「おちつけ、コルトン!!ぬいぐるみの中に通信機が仕込まれているんだ。Mrブラウンはいつもこのやり方でクライアントとコンタクトをとる」


 レヴィはそう言って、混乱する若い男コルトンをなだめた。


『新入りかね?』


「ああ、すまない、Mrブラウン。前回まで私と一緒に来ていたアンディは、先週の抗争で死んでしまったんだ」


『そうか、それは気の毒に。お悔やみ申し上げる』


 Mrブラウンの声には全く感情がこもっておらず、明らかに社交辞令であった。


「なに、この業界じゃ日常茶飯事だ。それより、仕事の話をしたい」


『なんなりと』


「ジョニー・トーリオが引退するというニュースはもう耳に入っているか?」


『ああ、私もこの業界の人間だ。当然知っている。それで』


「問題はその後継者だ」


『あー、たしか、名前は.........アル・カポネ...........』


「奴は危険だ。奴がトーリオの組織を引き継ぎボスになったら、このシカゴはいずれ血の海になる」


『それはまた大げさな話だが、まあいい。それで』


「あんたに奴をなんとかしてほしい」


『ふむ、力にはなるのはやぶさかではないが、しかし、ご存知の通り私は“壊し屋”であって“殺し屋”ではない。カポネをピンポイントで殺せというのであれば専門外だ』


「わかっている。あんたにはカポネの資金源である密造酒の倉庫をつぶしてもらいたいんだ」


『なるほど。密造酒の倉庫ともなれば、警戒はかなり厳重だな』


「ああ、警備の者は皆、機関銃で武装している。あんたにしか頼めない仕事だ」


『わかった。引き受けよう。報酬はいつもの額をいつもの口座に』


 契約が成立し、レヴィとコルトンは部屋を出た。


 ビルを出たあと、ようやく緊張がとけたのかコルトンがふうと息をついた。


「不気味な男ですね........特にあの声の出るくまのぬいぐるみ..........気味が悪いことこの上ない............」


「それがやつの名前の由来さ。」


 レヴィは煙草に火をつけながら話を続けた。


「あの茶色いくまのぬいぐるみにちなんで、誰かがMrブラウンと呼び始めたのさ。それから、もう一つの通り名が...........」


 レヴィは煙草の煙を大きく吐き出したあと、その名を口にした。


「“茶色い悪魔”」




 その夜、シカゴ郊外のとある巨大倉庫が炎と血に包まれた。

 その場には、悲鳴と銃声が絶えず響いていた。


「いったい、どうなってるんだ!?」

「敵の姿が見えない!!」

「いったい、俺たちは何に襲われてるんだ!?」

「下だ!!銃弾は足元から飛んでくるぞ!!」


 翌朝、日が昇り、近隣の住民たちは戦慄した。

 全焼した倉庫の周囲に何十人ものマフィアの死体が転がっていたのだ。




 同時刻、シカゴ市内のとある住宅。


「マミー!!大変!!」


 その家の6歳になる少女が朝起きて異変に気付き、大慌てで寝室を飛び出して、台所にいる母親に駆け寄った。


「ダディがまたいないの!!」


 少女はそう言って泣き叫んだ。


「あー、ごめんなさい!!ダディは汚れてきたから洗濯にかけたのよ...........」


 彼女たちの言うダディとは少女の父親のことではなく、くまのぬいぐるみのことだった。

 少女の父親は3年前に亡くなっていた。

 奇しくもその日は少女の誕生日で、亡くなった父親は少女へのプレゼントを買い、家への帰り道で暴漢に襲われ亡くなってしまったのだ。

 少女へのプレゼントはくまのぬいぐるみだった。

 以来、少女はそのぬいぐるみのことをダディと呼んで大事にしていた。


「えー、先週も洗濯したばっかりー!!なんでそんなにすぐ洗濯しなきゃいけないの!?」


「えーと......その.......あのぬいぐるみは汚れやすい生地でできてるのよ!!」


「そーなの?」


 少女はその説明で不満げながらも納得し始める。


「じゃあ、今夜にはお部屋に戻ってる?」


「うんうん、戻ってるから安心して!!」


「わかった!!ありがとう、マミー!!」


 少女がようやく納得してくれたようで、母親はふうとため息をついた。


「じゃあ、歯磨いてくるね!!」


 少女はそう言って洗面所の方に行こうとした。


「ちょっと待って!!」


 母親は慌てて洗面所の入り口に立ちふさがった。


「いま洗面所は散らかってるから、今朝の歯磨きはいいわ!!」


「えー、マミー、いつも歯磨き毎日しなきゃダメって.......」


「えーと、じゃあ、先に着替えてきて!!その間に片づけておくから!!」


「わかったー........」


 少女はそう言って、寝室の方へ戻っていった。


 母親はまたふうとため息をつき、洗面所の中に入り、さらにその奥のバスルームに入った。

 バスタブは泡でいっぱいにあふれており、その中でくまのぬいぐるみがごしごしと自分の体を洗っていた。


「あなた、仕事の度にお風呂に入るのやめてくれる?」


 少女の母親はくまのぬいぐるみに向かってそう不満を漏らした。


『仕方ないだろ。硝煙と血の匂いがついた体であの子に近寄るわけにいかない』


 ぬいぐるみはそう言ってシャワーの栓をひねり、ざあっと自分の体についた泡を洗い流した。




 かつて、シカゴの裏社会でその名をとどろかせた凄腕の“壊し屋”がいた。

 だがその男は3年前、敵対する組織に暗殺された。

 そのとき、男の手には娘への誕生日プレゼントだったくまのぬいぐるみが握られていた。

 男は死の間際に思った。


 死にたくない!!

 まだ娘と離れたくない!!

 娘が大人になるまで成長を見届けたい!!


 そう思った男の魂はあの世へ行くことなく、その手に握っていたくまのぬいぐるみに宿ったのだった。

 その後、男は家庭ではくまのぬいぐるみとしてふるまい、外ではそれまで通り“壊し屋”を続けたのだった。




「あなた、いつまでこんな仕事続けるの?」


 少女の母親は顔を手で覆いながら、ドライヤーで自分の体を乾かしているくまのぬいぐるみにそう問うた。


『仕方ないさ。私は闇の世界しか知らない。今更光のあるところには戻れない』


 言っていることはハードボイルドだが、それを言っているのはかわいらしいくまのぬいぐるみだった。


『それに、この体になってからの方が仕事がうまくいっている。誰もこんな小さなぬいぐるみが機関銃を持って襲ってくるなんて思わないからな』


 ぬいぐるみは自信満々にそう言い、彼の妻はまたため息をついた。


「とにかく、娘にだけはバレないようにしてね」


『ああ、もちろんだ。娘の前では私はこれからもずっとただのくまのぬいぐるみだ』




 茶色い悪魔 完



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