うちのぬいちゃん

ちわみろく

第1話

 うちのぬいちゃんはイケメン守り神。


 うん、それは、いつだったかテレビかなんかで放送されたどっかの動物園のイケメンなゴリラがいる、みたいなそういう意味じゃない。ぬいぐるみの外見が、ぬいぐるみとしてイケメンであるわけじゃない。

 


 ぬいちゃんは二年前に私の家にやってきた。

 従姉妹が実家に遊び来た時、一緒に連れてきた大きなぬいぐるみ。

「殺風景な手毬てまりの部屋に置いてやって。守り神だと思って。」

「えー。大きすぎて邪魔だなぁ・・・。」

 一度は断ったのだけれど、従姉妹の嗣美つぐみが押し付けるように置いていってしまったのだ。嗣美は、いわゆるスピリチュアル女子という奴で、なんか、霊とか見えちゃうらしい。そんな彼女に”守り神”なんて言われると、ちょっと構えてしまう。

 しかし、大きくて運ぶのも難儀なので、私はぬいちゃんを実家に置いて、自分のアパートへ戻ろうとした。母親も、大きくて邪魔だから持って帰ってよ、と言っていたのだけど、ちゃっかり置いて帰ろうとしたのだ。

 そしたら、何故か家を出ようとした時に門柱に車をぶつけそうになり、あやうく自損事故になるところだった。危ない危ない、と思って家を出たら、最初の交差点で目の前の車が追突事故を起こし、急に通行止めに。仕方がないので回り道をして出ようとしたら、今度はその先で道路工事が始まってしまった。

 なんだか妙に気が進まず、もう一泊してからアパートへ帰ろうかと思い実家に再び戻ると、待ち構えるように母がぬいちゃんを私の車の後部座席に乗せる。

「お母さん、やっぱ、もう一拍してから帰る。」

「あらそう。でもどうせ明日は帰るんでしょ。ぬいちゃんは車に乗せておきなさい。」

 もうしょうがない、と思って、翌日はぬいちゃんを乗せてアパートへ帰った。


「なんでいねぇんだよ。昨日こっちにいる予定だっただろ!」

 アパートに帰るのが一日遅れると彼氏に連絡し忘れたので、アパートに帰ると、彼氏が凄い剣幕でキレてきた。

 特に何か約束をしていたわけでもないので、そこまでキレられる覚えもないのだが。アパートの部屋の鍵も渡していたので、出入りも自由に出来るのに。

「ああ、ごめん。ちょっと交通の便が悪くて、遅れた。」

「連絡くらい寄越せよ。・・・って、なんだそのでかいの。」

「従姉妹にもらったぬいぐるみ。どうしても持っていけって押し付けられた。」

「んだよ、そうでなくても狭いのに。」

 狭くて悪かったな。嫌なら来なければいいだろうに。

 まるで、ぬいぐるみが部屋に居座ったら彼の居場所がなくなるかのようなキレ方だ。

 大学に入ってから転がり込んできたこの男は、体裁だけは彼氏だったけれど、ヒモみたいな奴だった。暇になるとやってきて、私の部屋でやりたい放題。住所を教えたことを心から後悔した。別れたいけれど、喧嘩をしても無かったかのような顔をしてまた何度でもやってくる。やっかいな寄生虫みたいな男で、いささか手を焼いていたのだ。

「ちょっと、部屋入るんだから。ドアくらい開けてよ。」

「鍵忘れた。お前がいなくて入れなかった。」

「サイテー。ちゃんと探して返してよね。・・・ちょっとこれ持ってて。」

 大きなぬいちゃんを彼氏に手渡し、持っていてもらう間にバッグのポケットから鍵を出す。

「・・・なんなんだ、これ。あんま見たことないキャラクターだな。」

 彼氏はぬいぐるみをジロジロ見ているが、どうも気に食わないらしい。

 ドアが開くと、彼氏はぬいぐるみと一緒に中へ入ったけれど、何が気に入らないのか、やたらと悪態をつく。

「かわいくねぇし。」

「場所取りそうだし。」

「捨てちまえよ。」

「・・・一応、頂きものだから。捨てるのはちょっとね。」

 彼氏は、ぬいちゃんを部屋のリビングへ置くとそのまま出ていってしまった。

 余程気にいらなかったのだろうか。

 このまま二度と来なければいいのに。そう思ったが、また何食わぬ顔して転がり込んでくるのだろう。嫌だな。

 

 しかし、ヒモ彼氏はその後二度と私の部屋には来なかったし、なくしたと言っていた部屋の鍵は、ぬいちゃんのお尻の下から出てきた。

 無機質なはずの布の塊をじっくりと見据えて、思わず頭を撫でなでする。

「でかしたぞ、ぬいちゃん。鍵あって助かったよ。あいつがスペアキー作ってるとは思えないから、二度とここには入れない。ふふ、奴も馬鹿だなぁ。ぬいちゃんの下に落としていくなんてね。」

 ビールの缶を開けて祝杯を上げた。

 気分がいいので、ぬいちゃんの分も開けてあげた。どうせ、自分で飲むのだけれど。

 これだけでもこの場所を取るでかいぬいぐるみを自宅に入れた甲斐が有ったと思った。


 その後、この子の写真を取ってスマホの待受にした。なんか、お守りになるような気がして、メッセージアプリのアイコンにも抜擢した。

 そしたらバイトのシフトが希望の時間に入れた。今までなかったことだった。いつもシフトは店長の勝手な都合で入れられてしまって、そろそろ辞めようかとすら思っていたのだ。

 また、ずっと”不可”だった教授の論文課題に、初めて”優”がついた。単位を諦めようかと思っていたのに、まさかの快挙。

 まあ、アイコンが関係有ったかわからないけれど、急にいいことが続いたから、もしかしたら、ラッキーアイテム的なものかもしれないといい気になった。

 定期テストの前にも、ぬいちゃんの前に正座して、高得点を願ってお祈りをしてみたり、お供えにビールを開けてみたりした。そのおかげかどうかは不明だけど、後期試験はすべて合格した。


 ヒモ彼氏は追放できたし、バイトも良い時間に入れるし、大学の試験もうまく言ったしで、このぬいぐるみが来てからいいことばかりだ。

 試験終了の打ち上げを終えてご機嫌で帰ってくると、アパートの玄関に元ヒモ彼氏が待っていたのを除けば。

「手毬〜。遅いじゃねぇか。待ってたんだぜ。」

 酔っていたせいもあるだろう、思わず、

「あんた、誰?」

 と言い返してしまった。

 すると、元ヒモ彼氏はブチ切れて、大声を出す。

「ふざけんなよ。早く鍵出して部屋に入れろ。」

 夜も更けているというのに怒鳴って、手毬の顔に拳をぶつけてきたのだ。

 床に体を打ち付けて、一瞬で酔いが冷めた手毬が、青ざめた顔を上げる。

 以前は整っていると思い込んでいた元ヒモ彼氏の顔が見下ろしてきた。けれど、手毬の目が見開いたのは、そいつの表情が暴力を振るうほどキレていたからではなかった。

「げっ!」

 内臓がまるごと出てしまうような悲鳴を上げて、元ヒモ彼氏が床の上にうつ伏せに潰れた。何かが背後から彼を押しつぶしたのだ。

 大きくて黄色いぬいちゃん。

 部屋の鍵もドアも開いていないのにどうやって部屋から出てきたのか。

 しかし、いくら大きくても、成人男性を押しつぶすほどの重さが有るはずもない。布と綿の塊なのだ。手毬だって持ち上げられる程度のはずなのに、ぬいちゃんの下敷きになった男は、カエルが潰れたような格好になって悲鳴を上げている。立ち上がった手毬は、あわててぬいぐるみにしがみついた。

 本当に元ヒモ彼氏が潰されてしまいそうに見えたから。

 手毬がしがみつくと、いくらかでもぬいぐるみの体重が減ったのか男は這い出るように動き出す。苦し紛れにぬいちゃんの足元を蹴り飛ばし、ようやく立ち上がると、こちらを振り返りもせず一目散に逃げ出した。アパートの階段を駆け下りる最中、踏み外したのか、数段転がり落ちるリズミカルな音と男の悲鳴が響いてくる。

「にどと、くんな。」

 ぬいちゃんにしがみついたままアカンベーをした。

 服と、ぬいちゃんについた埃を払って、ポケットから部屋の鍵を取り出す。解錠し、ドアを開いた。ぬいぐるみを抱っこして部屋へ入ろうとすると、今の今までしがみついていたはずのぬいちゃんが忽然と姿を消している。

「あれー・・・?」

 アパートの廊下を見渡すけれど、あんな巨体、見逃すはずがないのにどこにもない。

「・・・っかしいな?」

 ドアを開いて、室内に入りしっかりと施錠する。

 そして、狭いリビングへ目を向けると、部屋の隅に鎮座する大きな存在感のぬいちゃんがいつものようにそこにいて。おかえり、と言っているかのような顔をしていた。  

「ただいまー・・・。」

 靴を脱いでリビングへまっすぐ進む。

 無事に戻ってこられた安堵のせいか、崩れ落ちるようにぬいぐるみの巨体に倒れ込む。そして、気づいた。

 ぬいぐるみの足元が少し汚れている。

 あの男が苦し紛れに蹴飛ばしていった跡だ。

 やっぱり、あの男を追い払ってくれたのは、このぬいぐるみなのだ。

「ぬいちゃん・・・助けてくれて、ありがと。マジで、イケメンじゃん。かっこいいーよ。」

 思い切りぎゅーっと抱きしめて、思い余ってその肉厚な布の顔にチューまでしてしまった。


  

 うちのぬいちゃんは、布で出来た等身大ぬいぐるみ。

 黄色の、はちみつが好きな動物の形をした、頼れるイケてる守り神。


 今日も、ビールを一本お供えして。

 

 明日も、どうぞよろしくおねがいします。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うちのぬいちゃん ちわみろく @s470809b

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ