テディベア

緋雪

捨てられないもの

「なんで戻ってきちゃうんだろうなあ」

美彩みさは、首を傾げながら車の助手席に乗り込んだ。

「何?また?」

拓也たくやは、美彩の足元を見た。

「持って行くからじゃない?」

「だって、雨が降ってたからさ。無理なく失くすチャンスだと思うじゃん」

「まあ、そうだけど」

拓也は、ちょっと不満気に答えると、車を出した。

「電車の中で畳んだ傘を、手すりにひっかけたまま隣の車両に移動して、降りたらさ、前の車両に乗ってた人が、『忘れ物ですよ〜!』って追いかけてきたの。受け取らないわけにいかないでしょ?」



「はい、これ」

そう言って、綺麗な花柄の傘をくれたのは、同僚の橋本はしもと雅人まさとだった。

「え? 何ですか?」

「バレンタインのお返し。ホワイトデーだからさ」

「え?」

そんなつもりは1ミリもない。義理チョコも義理チョコ。同じ課じゃなかったら、まず渡さない。美彩は困る。

「こんな高価なもの貰えないです。ごめんなさい」

そう言って帰りかけたら、雅人は言ったのだ。

「せっかく美彩ちゃんにと思って買ったんだからさあ、貰ってよ。あとで捨ててくれても構わないからさあ」

と。そして、美彩の手に直接、その傘を握らせたのだった。

「げ……」

奇跡的に声には出さなかった。



 橋本雅人は、生理的に無理なタイプだ。一見普通の、平均的な、何の害もなさそうな男なのだが。「本能的にうけつけない」と、美彩は言う。「なんとなく怖い」とも。なのに、そんな雅人に、どうやら気に入られてしまったらしくて、彼女は心底困っていた。


「彼氏いるって言えばいいのに」

「告白とかしてくるわけじゃないのに?」

「なんとな〜く、世間話みたいに」

「話しかけたら、何か勘違いされそうでさ」

「そうだなあ……気持ち悪いヤツ」

「とにかく、傘はどこかで捨てて、忘れて失くしたことにしてくる」


 その後も、何度も捨てては戻って来てを繰り返して、ついに、美彩は頭にきた。

「燃えないゴミに出す!!」

「正解だろうな」

拓也も分解を手伝って、次の燃えないゴミの日に出した。

「あー、せいせいした」

「これで戻ってきたらホラーだな」

「だよね〜」

二人して笑った。



「美彩ちゃん、はい、これ」

「な……何ですか?」

「ちょっと早いけど、お誕生日おめでとう」

そう言って、橋本雅人は、今度は大きな紙袋を渡してきた。

「え……? 誕生日、2ヶ月も先なんですけど」

「あれ? そうだっけ? まあ、もう買っちゃったし。貰ってよ」

美彩は紙袋の中に、大きなテディベアが入っているのを見て驚いた。

「え! 困ります。こんな高そうなもの、貰えません」

紙袋を押し返して、立ち去ろうとした時、

「美彩ちゃん、僕のあげた傘、ホントに捨てちゃったでしょ?」

雅人が囁くように言う。

「え?」

慌てて取り繕おうとした美彩の手に、雅人は、サッと紙袋を握らせた。

「鍵にもつけてあるじゃない、赤いテディベア。好きなんでしょ?今度は捨てないでね」

そう言って笑うと、雅人は恐怖に固まる美彩を残して去っていった。



「で?持って帰ってきた、と」

「だって、断れない感じの怖さだったのよ。……なんで捨てたの知ってるんだろ?」

「持って行かなくなったからじゃない?失くしたって言えばよかったのに」

「言い訳する隙がなかったのよ、もう!」

「まあいいよ、こんなもの、すぐ捨てればいいんだし」

「またバレたらどうするのよ?」

「ん〜、じゃあ、まで、取り敢えず置いとく?」

「そうだね~、気持ち悪いけど」

そう言うと、美彩は、紙袋ごとテディベアを新聞紙で何重にもくるんだ。



「ヒッ!!」

翌日、帰宅した美彩は、心臓が止まりそうになった。


 リビングの真ん中にテディベアが座っていたのだ。


 包んでいた新聞紙も紙袋も、テディベアを包んでいた透明なシートもなくなっていて、テディベアだけが、そこに鎮座していた。


 慌てて拓也に電話する

「来て!早く!今すぐ来て!!」

拓也が駆け付けた時、美彩は、コートに包まったまま、部屋のドアの外にいた。

「どうしたの?なんで中に入らないの?」

「怖い……」

「怖い? 何が? どうしたの?」

「テディベア……」

「クマのぬいぐるみが?」

 

 拓也がドアを開けて、部屋に入ると、リビングの真ん中にテディベアがいた。

「普通のぬいぐるみだよ?何が怖いの?」

拓也は、テディベアを触りながら、まだ玄関で震えている美彩にたずねる。

「私、新聞も紙袋もあけてないのに、帰ったらそこにいたの」

「え?」


 

 何でテディベアが動いたのか……?


「もしかして、寝ぼけて自分で包み剥がしたのかもよ。だって、ほら」

拓也が指差す部屋の隅のゴミ箱には、新聞紙や紙袋が入っている。

「そうなのかなあ……」

たまに酷い寝ぼけ方をする美彩は、そういうこともあるかも、そう思うことにした。

「寝ぼけて変なとこ置かないように、風呂敷に包んで、クローゼットに入れとく」

美彩はそう言うと、拓也に抱きついた。

「お願い。今日は、このまま泊まって行って。怖い」

「わかった」

拓也は、美彩の頭を撫でた。



 翌朝、クローゼットが何ともないことを確認して家を出る。 

「やっぱり寝ぼけて、自分でやっただけなんだな、びっくりした〜」

美彩はそう思って、それ以上深くは考えなかった。


「キャッ!!」

帰宅して、電気をつけると、またテディベアは、リビングの真ん中にいた。

「なんで……?!」

泣きながら拓也を呼ぶ。

「これ、誰かに入られてるってことない?」

「…橋本さん?」

雅人しか思い浮かばない。でも、どうやって?

「隠しカメラをつけよう」

そう言って、拓也は、その足でカメラを買ってきてセットした。

「これで、PCに録画されるから、犯人がわかるよ」

「うん」

その日は、そっと、二人黙ったままテディベアを隠した。盗聴器がどこかに仕掛けられているかもしれない。箱に入れて、ガムテープで貼って、昨日とは違う場所に。



 翌日、拓也と一緒に帰ると、やはりテディベアは、リビングの真ん中にいた。


 見上げて驚く。カメラがなくなっていた。


 恐怖に震えながら、PCの録画を見る。


「えっ??」


 真っ暗な中を動く真っ黒な影。ギシッギシッと歩いている。それはそのままカメラの方へ来ると、ぼうっとした弱い光を出して、カメラを取った。

 次の瞬間、ザーッと画面が砂嵐になった。


「何かいた……」

「人だよ。何か被ってるだけだよ」

「怖い!!人じゃないかもしれないじゃない!!」


「わかった。こいつを捨てよう」

「捨てるの?大丈夫かな?」

「こいつが来てから変なことが起きてるんだから、こいつを捨てれば、元に戻るよ」

「戻らなかったら?」

「……警察に連絡しよう」

「わかった」



 ゴミの収集は翌朝だ。でもそれまで待っていられない。美彩は、テディベアを何重にも新聞紙で包んで、ゴミ袋に入れ、深夜、ゴミ捨て場に向かった。

 深夜のゴミ捨場には、暗い街灯が一つついているだけ。


「二度と帰ってこないで!」

美彩がそう言って、ゴミ箱に放り込んだ瞬間だった。


 ズドォオオン!!!


 物凄い音がして、ゴミが爆発した。


 美彩は、肉片が飛び散りバラバラになった。



 辺りを警戒しながらついてきていた拓也も一緒に吹き飛び、大怪我をした。


 

 その後の警察の調べで、美彩の部屋には6個の盗聴器と、3台の隠しカメラが仕掛けられていたことが判明。

 爆発したテディベアからも盗聴器と小型カメラ、そして遠隔操作できたらしい爆弾が仕掛けられたような形跡が出た。


「それにしても気持ち悪い事件だな」

「ですね……」

刑事たちが困惑する。

「被害者の頭部だけがなくなってるだなんて……」




「……だから言ったでしょ、捨てちゃダメって。でも、もう大丈夫。これ以上怖い目に遭うことはないから、安心しなよね」


 雅人は、美彩の頭部を抱えると、その唇に、優しくキスをした。

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テディベア 緋雪 @hiyuki0714

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