守神

譜錯-fusaku-

守神——「ぬいぐるみ」

 私にはぬいぐるみがある。お母さんが買ってくれた大切なもの。かれこれ15年くらいはずっと使い続けている。

 私には3歳年上の兄がいた。彼は私が小学生の時、横断歩道で私を庇って車に撥ねられ、帰らぬ人となった。

 兄が死んでから私は自分を責め続けていた。ぬいぐるみはそんな私のかけた穴を埋めるとまではいかないまでも痛みを和らげてくれた。

 そしてなぜかいじめられることの多かった私にとって、ぬいぐるみは癒しだった。

 ぬいぐるみの名前はクマ太郎。4歳の時につけたものだから安直さとセンスのなさには目を瞑ってほしい。

 クマ太郎には不思議な能力がある。

 友達に聞いて「おかしいよ」と言われるまでそれを不思議とも思わなかったのだが、周りから見ると少し奇妙に感じるらしい。

 クマ太郎は言葉を喋ることができる。そして、彼は私の相談相手だ。彼が私よりも慧眼で色々なことを教えてくれる。しかも動き回ることもできるのだ。

 クマ太郎はぬいぐるみの言葉を話す。

 だから私以外には彼の喋っている言葉がわからない。



 その日、「おかしい」と言った友人が私の家に来た。

 私の母は先週から実家に帰っていたので家には私一人だった。

 だから彼女は私の家に来ることができた。母がいたらきっと許さなかっただろう。

 母は「お土産、持ってくるね」と言っていたから、それがとても楽しみだ。

 そんな貴重な機会に私たちは部屋でゲームをしていた。リビングではなく私の部屋になったのは彼女が例のぬいぐるみを見せてほしいと言ったからだ。

「これだよ」

 手に持って見せたぬいぐるみを彼女に近づける。

「へえ。どんな感じに喋るの?」

「うまく言い表せない」

「実際に喋ってるところ見てみたい」

 そんなことを言われても困る。

「あんたのお願いで喋らせることはできないの?」

「無理だね」

「ん——」

「たまたま喋ってくれるのを待つしかないよ」

「しょうがないか」

 私たちは準備していたゲームへと戻る。

 その時。

——?イなャじンるテいツそウ

——ウょシでンいナれベゃシせウど

 クマ太郎が喋った。彼女の声で。

「えっ」

 驚く彼女に私は言う。

「嘘なんてついてないよ。喋ったでしょ」

 クマ太郎が私以外に話しかけるなんてこれまでなかったのに。少し驚いていた。

 よほど驚いたのか彼女は動けないでいた。

 彼女はなぜ自分の心うちが読まれたのかにも驚いているようだった。

「クマ太郎は人の心も読めるんだよ」

 一拍おいて声を少し震わせながら彼女は言った。

「ちょっと、下行こっか」

 そして一階でしばらく過ごし、彼女は家に帰ってしまった。

 一人になってクマ太郎に話しかける。

「あんなに怖がらなくてもいいのにね」

 クマ太郎は答えない。座っていつものように布でできた表情を私に向けている。



 その夜。クマ太郎がいなくなった。

「クマ太郎?」

 心配なまま、夕食をたべ、風呂に入った。寝るために2階に上がった。

 部屋の前の薄暗い廊下にはクマ太郎がいた。

「よかった」

 クマ太郎には泥がついていた。出かけていたのだろうか。

「どこ行ってたの」

——えイ

「誰の?」

——ノちダもトのミき

「なんで?」

——たイてメじイをミきハょジのカ

「嘘」

 そんなわけない。彼女はずっと私に優しくしてくれていた。

——イなャじソう

 いやな予感がする。



 次の日。

「畠中さん、怪我したらしいよ」

 クラスはその話で持ちきりだった。



「どうして彼女にけがさせたの?」

 家に帰ってすぐ、私はクマ太郎を問い詰めた。

 クマ太郎がやったということはすぐ分かった。でも今まで人を傷つけたことなんてなかったのに。

——ラかルもマがクぼハみキ、ガうロだメじイがウろダこジうツうコ

 確かに彼女は私をいじめていたのかも知れない。クマ太郎がいうのだから本当にそうなのだろう。でも、それだけで事故を起こすのは許容できなかった。

 もしかしたら死んでいたかも知れないのだ。

 そう思うと怖くなった。確かにクマ太郎は賢いが行動が掴めない。やはり彼女の言うようにクマ太郎は「おかしい」のだろう。

 しかしそこまで考えてふと思いついた。クマ太郎は人の心が読めるのだ。もしかしたら今の考えも—— 。

 それ以上はもう考えたくもなかった。

 ずっと目を逸らしていた熊太郎に目を向ける。そこにあるのはやはり布でできた表情だ。

——のタしウど

 ひっ。

 そこからは時間感覚が飛んでいた。私はクマ太郎の布を引き裂き、綿をとって小さくわけ、ガスコンロで全部完璧に燃やした。

 捨てたのでは足りなかった。動けるクマ太郎が戻ってこられると思うとぐっすり眠れなかった。

 その日はそのまま一夜を明かした。



 一週間後、母が帰ってきた。

「ぬいぐるみ。お土産ね」

 そういう母の手に乗ったクマは不気味な笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

守神 譜錯-fusaku- @minus-saku825

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説