雪崩式ひとりかくれんぼ(偽)

目々

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「なあ米って米でいいの? 玄米がいいとかそういうのあったりしない?」

「いいんじゃないか普通の生米で。一般のご家庭であんまり常備しないだろ、玄米」

「俺の実家常備してたよ。五穀米とか、母さんがその辺こだわってたから──なあ、爪もさ、俺昨日切ったばっかだから爪ないんだよね」

「髪でいいんじゃないか。藁人形だって髪だろ」


 それもそうかと新藤は自身の髪をぐしゃぐしゃと掻き回して指先に巻き付いた数本の茶色の髪を眺めてから、ぬいぐるみの小さな手に巻きつけた。


「それも本当は腹の中に入れるんだろ。切って綿抜くって書いてあるぞ」

「ええ……やだけどそんなんすんの。かわいそうじゃん」


 安アパートの深夜の台所で、男二人俺と新藤はぬいぐるみを前に座り込んでいる。

 絵面としては侘しいを通り越して間抜けだろう。下手をすれば猟奇の雰囲気さえ醸し出していないとも限らない。


 どうしてこんな馬鹿なことをしているのかを説明するのはとても簡単だが、どう説明しても馬鹿だという結論しか出ないのも分かっている。


 全大学生が待ちわびた前期試験の終了日に企画された文芸サークルの飲み会。適当飲み続け二次会にどろどろと付き合った結果として俺は終電を逃し、友人の新藤の部屋に転がり込むことにした。新藤とは学年も同じで学科も一緒な上に、サークルで一年生から顔を合わせていたので遠慮や罪悪感は微塵もなかった。新藤の方もそこそこ酔いが回っているのか二つ返事で了解してくれた。


 せっかくだからと宴会帰りの浮かれ気分のまま近所のコンビニで酒を買い込み彼の住処たるアパートの一室に雪崩れ込んだ頃には十二時を過ぎていた。


 暗い玄関から狭い台所を抜けて居間のテーブルに座り込み、買ってきた酒とつまみをずらずらと並べて各々一缶を手に取って乾杯のような真似事をしてからはお決まりのパターンだった。

 BGM代わりに点けたテレビをぼんやりと眺めながら、益体もない会話じみたものをしつつ酒を流し込む。自堕落な大学生の標準的な家飲みの有様だ。

 テレビでは青っぽい照明のスタジオで芸人が季節柄らしく怖い話をしていて、俺はチューハイの炭酸に顔をしかめつつ注意を少しだけ向ける。芸人がしている話は昔ネットで流行して最近映画にもなったような『降霊儀式』──いわゆるひとりかくれんぼを元にしたもので、実行したことで起きた怪奇現象とその顛末について淡々と語っていた。


「ひとりかくれんぼもさあ、息が長い話だよな」

「あれですよね、なんかぬいぐるみが……動くやつ。俺中学くらいのときにめっちゃ流行ってた気がする」

「新藤んとこも? 俺の学校もそのくらいだったな。つっても子供がやるにはハードル高いだろ」


 ひとりかくれんぼ──一連の儀式を行うと、ぬいぐるみが歩き出すぐらいのことしか俺の記憶には残っていない。さっきの芸人の話していた内容も大差なかった。最初にこの怪談を知ったとき、親と同居している状態でこんな大騒ぎをしたらすぐにぶん殴られるだろうなという感想を抱いたことを覚えている。

 新藤は二缶目を飲み切らないうちにまた別の缶を開けた。


「一人暮らし向けだよな。こっくりさんは中高生向けな気がする。人数いるし」

「それなら俺たちはひとりかくれんぼやるべきか。一人暮らしの大学生で、丁度暇な夜中だし。年齢と場の問題をクリアしてる」

「マジで? じゃあやろっか」


 適当に叩いた軽口に新藤が思いのほか食いついてきたので、とりあえず宥めるつもりで俺は言葉を続ける。


「や、つってもそもそもぬいぐるみがあるかって話だろ。こっくりさんはほら、紙と筆記用具に十円玉だし。一般家庭で揃いがちじゃんその辺」

「あるよぬいぐるみ」

「え、なんで……?」


 新藤が背後のクローゼットを開けてごそごそと探る。

 しばらくしてからこちらを振り返ったその手にはぬいぐるみが握られていた。

 新藤は再びテーブルに着き、赤子のように両脇を抱えながらこちらにぬいぐるみを差し出してきた。


「こないだゲーセンで取った。かわいいだろ」


 うさぎをモチーフにしたであろうぬいぐるみ、目の前に突き出されたそれに手を伸ばす。縫い付けられた灰色の目を見ながら撫でれば、ふかふかの白い毛が心地よかった。


「ぬいぐるみと、あと何いるんだっけ。ちゃんと話聞いてなかったんだよ俺」

「あー……米とかじゃなかったか。さっきテレビで言ってたの、その辺だったと思う」

「あるよ米。二キロ千円のやつ。先週買ってきた」

「いや、色々いるんじゃないか。儀式だし、一応」

「載ってんじゃないネットにさ。でも俺、うっすら覚えてるけど一番難しいのがぬいぐるみだった気がする。あとはこう、なんとかなりそうな感じで」


 新藤がにんまりと笑う。


「できそうじゃん、これ。やってみようぜ」


 ぬいぐるみが動くの見たいじゃんと大事そうにぬいぐるみを抱き締めてこちらを見た新藤の頭を引っ叩いてやらなかったのを、俺は後悔している。


 結果大学生の男が二人、狭いキッチン兼通路に座り込んでぬいぐるみを突き回している。

 何が悲しくて酒が飲める年齢になってこんなアホ寄りの高校生が夏休みにやってそうなことをしないといけないのかと思いながら、俺は呪いの手順を検索したスマホを片手にぬいぐるみに米粒を貼り付けたガムテープを巻きつけている新藤を見ながら。


「なあ。何やってんだそれ。そんな手順ないぞ」

「いや、中身出して詰めるのが無理だから、じゃあくっつけとこうかなって。ガムテなら後で剥がせるし」

「赤い糸で縫う手順があるけど」

「一人暮らしの大学生男子の部屋にさ、裁縫道具があると思う?」


 新藤が呆れたような目をこちらに向けた。常識で考えろとでも言いたげな様子だが、俺は自室に小学校の頃から愛用している迷彩柄の裁縫箱がフルセットで鎮座しているので常識に外れているのは新藤の方だろう。


「じゃあどうすんの」

「これ巻きつけとこう。たこ糸」

「何でたこ糸があるんだよ。しかも今台所の引き出しから出しただろ」

「煮豚こないだ作ったから」

「煮豚作れるのに針と糸がねえのかよ」


 俺の質問にろくに答えようともせずに新藤はぐるぐるとおざなりにたこ糸をぬいぐるみに巻きつけて、


「とりあえず人形の準備はこれでいいとしてさ、次いこ」


 ちっとも良くない。何一つまともに準備できてはいない。真面目にやれ。

 喉元まで込み上げた罵言をどうにかこらえる。所詮はお遊びだ。そんなことに手間隙をこれ以上かけるのも馬鹿らしくなって、俺はテキストの続きを読み上げる。


「隠れ場所に塩水」

「じゃあ居間帰るときに塩持ってこう。さっきミネラルウォーター買ったから、それに入れよう」

「隠れ場所あんの」

「ないよ。俺ら二人が隠れられるような場所なんてあるわけないじゃんこのワンルームに」

「駄目じゃん」

「ドア閉めて鍵かって居間にいればいいんじゃない。はい次」


 ないものへの諦めが早い。

 俺はとりあえず指示通りに次の項目を読み上げた。


「午前三時開始なんだけど」

「今何時」

「一時ちょっと」

「いいんじゃない。別に。面倒だし」

「……風呂場の洗面器に水を張る必要があるけど」

「うちユニットバスだから洗面器ない」

「浴槽は」

「夜中だから水音立てたくない。苦情来るのこわい」


 降霊儀式という明らかに反社会的なことをやろうというときに社会的常識を気にすると物事が滞る。

 やはりその辺の常識を歯牙にもかけないくらいには正気をぶっ飛ばしていないといけないんだなと思ったが、口に出すのも面倒だった。


「あとぬいぐるみを……水に漬けたり、刃物で刺したりするけど」

「何でそんなことすんの? かわいそうじゃん。やだよ俺」

「じゃあやめるか」

「やめないけどやらない。折衷案だけど、風呂場に置いとこう」

「名前つける必要があるけど」

「うさぎ」

「そのまんまじゃん」


 俺の罵声にへらへらと笑って、新藤は人形を持って風呂場に入っていった。しばらくすると、そこそこの音量でうさぎと連呼する声が聞こえてから満足げな顔で新藤が出てきた。どうも儀式の手順として示されていた『お前が鬼だと三回言う』と『ぬいぐるみに名前をつける』を混同したんじゃないかと思ったが、厄介なレポートをやり遂げたような顔をしているので放っておくことにした。


 ガムテープと糸だらけになったぬいぐるみ──うさぎと名前がついた──を廊下に置いて、俺たちは居間に戻った。

 鍵を閉めれば思いの外派手な音がして、こんな雑な儀式でもそれなりに雰囲気に呑まれそうになるのだなと感心したが、それはそれで自分の愚かさが分かったようで少しだけ不愉快だった。


「部屋の照明消さないといけないみたいだけど」

「停電でもないのに暗い中で酒飲む意味が分かんなくない?」

「テレビだけ点けるんだって。砂嵐出して」

「怖いじゃん。いいよニュース点けとこ」


 何ひとつちゃんとする気がないらしい。

 俺としては早めにこの悪ふざけが終わりさえすればよかったので、黙って聞き流すことにした。


 目を瞑って十秒数えるというのだけは、二人揃って真面目にやった。


「──七、八、九」


 声を出していいんだろうかと思ったがたった十秒ではどうすることもできず、俺は黙ったまま手元の缶を握り締める。


「十! 隠れた!」


 新藤が声を上げたのと同時に灯油缶を蹴倒したような音が夜に響いた。


 俺と新藤は揃って顔を見合わせてから、音のした方──台所の方へと首を向ける。


 ドアの向こう、はめ込まれた曇りガラスに影が透ける。

 ぼんやりとした形のそれは恐らくは人間で、そしてどう見ても、俺や浅倉よりデカかった。


 息を飲む俺たちの目の前で、そいつはべたりとガラスに張り付いた。

 真っ白な毛。ぼんやりと茶色いのはガムテープだろう。頭部と思しき位置で、耳らしきものがゆらゆらと揺れているのが曇りガラス越しにも分かった。


「めちゃくちゃうさぎじゃん……」


 新藤の言葉にうさぎじゃなかった方が怖い──長身の不審者が入り込んでいるということになるからだ──と返そうとして、不審者の方が警察に頼れる分だけマシなことに気づいて口を閉ざす。じゃああれは何だと言えば恐らくはかくれんぼの鬼をしているぬいぐるみなのだろうけども、あんな異形になるとは聞いていない。


 手順を何一つ真面目にこなしていない。そんな儀式が成功するわけがない。失敗するのが道理だろう。

 だけどもこの方向に失敗するとは思ってもみなかった。


「なあ、新藤。俺思うんだけどさ」

「何? 通報する?」

「いや……ひとりかくれんぼってさ、終わらせるには塩水かけて勝利宣言する必要があるんだよ。さっき読んだ」

「マジで? 見せて」

「駄目。ネット繋がんない」


 圏外の文字が画面上部に浮かぶスマホを見た新藤の眉が情けなく寄った。


「あれに塩水かけるの? たったコップ一杯? コップの容量そもそも何CC?」

「急にまともなこと言うなよ。言いたいことは分かるけど」


 用意したのがデミタスカップだったらどうするんだよと新藤がぼやいた途端、西瓜を床に落としたような打撃音が響く。

 曇りガラスには潰れた兎耳と白い毛が押し付けられていて、俺は音の正体を悟る。

 頭を打ち付けたのだ。

 ただ立っているだけではなく行動を起こしたとなれば状況がまた変わる。一気に危険度が上がる。

 でも、どうすればいいんだ?

 

「……こういうのってさあ、大体逃げると死ぬじゃん。ベランダから逃げたら不思議パワーで先回られてウワーってなんの、俺なんかで見たよ。あと何だっけ、毛だけ毟られたりする」

「雨月物語だよ。俺ら正太郎だろこの状況だと」


 最適かつ嫌な例を出された上に補足までしてしまった自分に思わず舌打ちをする。馬鹿の大学生から文学部らしいギャップを見せられても何の実りもない。

 新藤はテーブルから飲みさしの缶を手に取って、一口啜ってから続けた。


「そう、雨月だね。でさ、ええと──俺んちスマホ以外電話ないしさ、そもそもネットが死んでるじゃん」

「だな。玄関にも行けない」


 ガラスに透ける白い巨躯はあの頭突き以来は動かず、棒のように突っ立っているのが見える。天井に近いあたりで細っこい兎耳の影がゆらゆらと揺れている。


「逃げられないし助けも呼べない。じゃあさ、できることってとりあえず待つぐらいじゃない?」

「何を待つんだよ」

「日の出」


 確かに怪談でも幽霊や怪異は朝を迎えた途端に消える。先程の雨月物語でも日の出を見誤ったのが正太郎の死因だった。

 ならばこの状況も朝になりさえすれば好転するのか。子供が日暮れに家に帰るように、朝が来ればあの怪異もどこへともなく立ち去ってくれるのだろうか。

 何の保証もない。けれどもそれが現状で一番まともな提案に思えてしまうのが最悪だった。


「だからさ、とりあえず飲むなり寝るなりしようよ。できることないし」

「どうすんだ、その、ドアぶち破ってきたら」

「そんときはそんときだろ。ベランダから逃げるか頑張って玄関から逃げよう」


 俺はスマホを見る。表示された時刻は一時半になろうというところだ。

 夏とはいえ四時を過ぎなければ日は昇らない。雨の気配こそないが、あと三時間は頑張る必要があるだろう。

 あの手順が『午前三時』と儀式の開始時刻を指定していたのはこういう場合のリスクに対処するためだったんだろうかと思って、やはり手順には従うべきなのだなと今更のように後悔する。

 何かをやろうと思ったら準備をきちんとしなければならないと、中学の調理実習のときに言われたのを思い出した。


「明け方までの我慢比べかあ……けど奥が深いね、ひとりかくれんぼ。あんなおっきくなるんだね、ぬいぐるみが」


 明け方になったら元に戻ってくれるのかなあという新藤の言葉に同意しながら、その呑気な口調に腹が立って、俺は空缶をその背に向かって投げつけた。

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雪崩式ひとりかくれんぼ(偽) 目々 @meme2mason

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