夜ごと日ごとに潰され焼かれ腐りゆく

入河梨茶

サナエの場合

 気持ちよく目覚めたサナエは、抱きしめていたウサギのぬいぐるみに軽く頬擦りするとベッドを出た。

 支度をすると中学へ行く。二年B組の教室へ入ると、属するグループの群れに溶け込む。

「ケイとミネコの話、聞いた?」

「ミネコの家に泊まって喧嘩になって救急車呼ばれたんでしょ? 仲良さそうだったのにね」

 交わされる会話自体はどうでもいい。とにかく、場の空気を乱さずに、知らない話題なら何も言わず適切な表情を作って肯いたりすることが大事。

「隣のおばさんの親戚が二人が入院してる病院で看護師やってんだけどさ、何かどっちも普通じゃないんだって」

「何それ」

「又聞きだからどっちがどうかはわかんないけど、片方は全身肉食獣に噛まれたみたいな傷がついてるんだって。サイズ的にはライオンよりもでかいくらい」

「また盛ってるよ」

「隣のおばさんがうちのママに言ってた通りだっての。で、もう片方は顎が派手に外れて歯も何本か折れてたって。救急車来た時、もう片方の足が口の中にすっぽり入ってたって」

「それってつまり、片方がもう片方を食おうとしたってこと?」

 黙って話を聞いていたグループのリーダーが問う。

 一瞬、空気が冷えた。

 日常会話とは違う気配があった。迂闊な返事をしたら何がどう彼女の機嫌を損ねるかわからない。話していた連中もサナエも、不意に地雷原のただなかに放り出されたように押し黙る。

「ま、どうでもいいか」

 リーダーがたちまち飽きたようにそう言うと同時、チャイムが鳴って教師たちが廊下を進む足音が聞こえてきた。サナエたちは自分の席に着く。


 その後は、普通に過ぎていった。

 普通に授業を受け、普通におしゃべりして、普通にリーダーによるいじめを手伝う。その程度の労役で学校生活の安泰が保証されるのだから安いものだ。

 ターゲットは、同じクラスのキャラコ。無口で陰気なのは他にもいるが、周囲に媚びないのがよくない。いじめられてもしかたないとサナエは思う。

 家に帰り、甘いお菓子を食べ、おいしいご飯を食べて、お風呂に入って気持ちよくなり、ふわふわのぬいぐるみを抱きながら穏やかな眠りについた。



 その夜、サナエは不思議な感覚に目を覚ました。

 自分という存在が、安全な場所から引っ張り出されていく。気持ちよく寝ていたベッドからずるりと引きずり出されるような感触。

 異様な事態に目を開けようとして、開ける目がないことに気づく。気づけば暗闇の中でなぜか視覚は働いて、けれど動かせる手足や胴体や頭はない。サナエは自分が『サナエ』の身体から引き出されていくのを目の当たりにしつつ、何もできなかった。

 けれど不安定な状態はすぐ終わり、何かにサナエはポンとはまり込んだような気分になった。

 視界が新たに固定された。目の前に『サナエ』がいた。すやすやと寝息を立てている。

 どうなっているのか確かめたいが、身体は動かない。『サナエ』に抱きしめられている感触はあるのだが、身動きはまったくできなかった。

 ――あたし、うさちゃんになってる?!

 漠然と状況は把握したが、自分からは何もできない。

 しかし何分かすると、さっきと同様な感覚ののち、サナエは元に戻っていた。

 ベッドの上で起き上がり、灯りを点けてぬいぐるみを検分する。しかし異常は見当たらない。

「今の、何だったんだろう」

 疑問に答えてくれる者などいるわけもなかった。



 翌日の深夜も、同じことが起きた。

 ただし今度は、サナエの部屋のぬいぐるみではなくて、見知らぬ家のぬいぐるみになったようだった。周囲にぬいぐるみが並んだ棚なので、そう推測できた。

(埃臭い……)

 手入れは長いことされていないのか、周りのぬいぐるみや棚には埃がかなり積もっていた。持ち主が進学か就職で家を出ていったのだろうか。

 それにしても、嗅覚があることが不思議だった。そういえば昨夜は『サナエ』の寝息も聞き取れていた。

 また数分すると、サナエは元に戻っていた。部屋の時計を見ると、午前二時三分。

 夜中に三分ぬいぐるみになる。不思議だけど、それだけなら気にするようなことでもないか。

 サナエは悩むこともなく布団にもぐり直した。



 キャラコは、魔術の調整を続けていた。

 少し前に古本屋で入手した魔術書。これによる復讐を彼女は企んでいて、手始めにいじめの傍観者だったケイやミネコに試してみたら、思わぬ大ごとに発展した。別に後悔はしてないが。

 いよいよグループに手を出すことに決め、まずは下っ端のサナエを狙うことにした。

 この魔術書に記された魔術は、どれも初心者には一回につき三分間の時間制限があるのが面倒だ。一生続く変化があれば、何はともあれ首謀者にいきなり仕掛けてすべてを終わらせられたのに。

 今回選んだのは強制的に憑依させる魔術だが、他の人間や生物に憑依させるのも今のキャラコには難しく、指定範囲内にあるぬいぐるみにするのが関の山だった。

 まあ、動けないぬいぐるみというのは好都合だし、あっちこっちにあるというのも悪くない。

 キャラコは自治体のサイトを調べて必要な情報を入手しつつ、魔術の適用範囲を少しずつ広げていった。

「時間は、十時と十四時を追加。場所はもっと遠く……」



 翌日の授業中、サナエはぬいぐるみになっていた。

(え?! 夜中じゃないのに!?)

 混乱する。それ以上に、今の自分の陥っている状態に恐怖を覚える。

 全身が宙に投げ出されている。そしてどこかに落下し、次から次へと降ってくる何かに圧し潰されていった。

(痛い!)

 まず感じたのは浮遊感。次いで痛覚。

 落下自体によるダメージはなかったものの、のしかかる何かに全身を揉み潰されるような痛みが走る。人体ではありえないような形にぬいぐるみは歪み、ひしゃげ、痛覚は律義にサナエへ伝わってくる。

(ここ、どこ!? あたしどうなってるの!?)

 周囲には家電製品やら廃材があると、半ば暗闇の中でもかろうじてわかった。

 どうやらここは、不燃ごみの埋め立て施設のようだ。ぬいぐるみも物によってはプラスチックなどを使っている。燃やしてはいけないのではと判断した場合、不燃ごみの中に紛れ込ませる場合もあるだろう。

 後から後からごみが降り注ぐ。全身にありえない重みがかかる。複数の物体が乱雑に絡み合い、大事にされていれば――少なくともただ放置されているだけなら――起こりえない負荷がぬいぐるみの各所にかかる。

(ち、ちぎれるちぎれる!)

 ぬいぐるみの腕は、あっけなくちぎれた。

 経験したことのない痛みに絶叫する。


「サナエ! どうしたの!?」

 人間に戻ると、近くの席にいたグループのメンバーに心配そうな顔をされていた。まだ授業中で、教師も不安そうにこちらを見ている。

「体調が悪いのなら、救急車を呼びましょうか……?」

 保健室より先にその選択肢が出るなんて、自分はどんな風に悪目立ちしていたのか。

「い、いえ、大丈夫です」

 首を強く振って否定する。

 リーダーがどんな目でこちらを見ているか、怖くて確認はできなかった。



 授業中に居眠りするのは珍しいことではない。けれど今、サナエは寝ないように気を張っていた。

 深夜はもちろん、さっきの授業中も寝てしまっていたような気がする。なら、寝てしまわなければいい。

 深夜についてどうすればいいかはわからない。でもそれ以上に、サナエはリーダーの反応が恐ろしかった。彼女の機嫌を損ねたら、キャラコから一転、サナエが新たな標的になりかねない。

 それほどまでに恐れていたのに。

 午後二時になった瞬間、サナエの意識は途絶えてしまい、ぬいぐるみに憑依させられていた。


(熱い!!)

 周囲を炎が取り巻いている。煙が嗅覚を埋め尽くす。くしゃくしゃになったティッシュペーパーや食べ物の包み紙、古着などが周りで燃えている。

 ごみ処理施設の焼却炉で、さなえが憑依させられた今度のぬいぐるみは焼却処理の真っ最中だった。

 綿と布で構成された今のサナエはよく燃える。全身が火に包まれて形を失い灰になっていく。

 しかしそれで終わりではなかった。まだ時間はあるとばかり、近くにいたぬいぐるみに改めて憑依。そして燃えていく。

(熱い熱い熱い熱い!!!)


 人間に戻ってもすぐに精神が安定を取り戻せるわけがない。

 炎から逃れ、熱を回避しようと、自由に動かせるようになった身体を精一杯動かして暴れる。床に転がってのたうち回る。喉からは悲鳴がほとばしった。

「落ち着きなさい、落ち着いて!」

 教師が駆け寄ってきてなだめるが、サナエのパニックを鎮めるには至らない。

 けれど。

「何してんの?」

 冷たい声に、サナエは全身に冷水をぶっかけられた思いがした。

 グループのリーダーが、床に転がるサナエを見下ろしている。

「授業中にいきなり寝たかと思ったら飛び起きて悲鳴上げてわけわかんないことして」

 その眼差しは、普段キャラコに向けているそれとまったく同種だった。



 サナエは帰宅するが、学校に行きたくないと親に言いたくても言えなかった。

 授業中に悪夢を二度見ただけ。これでは理由にならない。

 けれど今日の午後、サナエがリーダーの怒りを買ったのは確実だった。もうグループにいられないことは間違いない。

 ――いっそのこと、今夜も悪夢を見てしまえば。

 そんなことすら願いながら寝たのがいけなかったのか。


 サナエは今夜もぬいぐるみになっていた。周囲にはやはりごみが溢れていてサナエを圧し潰している。

 でも、夜中に焼却施設は稼働していない。今回は燃やされる危険がない。不燃ごみの埋め立て場なのかもしれないが、こんな時間に上から新たなごみは投下されない。ならばこの潰される痛みに数分間耐え抜けばいいだけ。

 そう思っていたサナエの肌――ぬいぐるみの表面を、何かが這った。

 虫だった。しかもかなり大きい。

 普段なら、悲鳴を上げて飛びのいて逃げ出す存在。しかし今のサナエには悲鳴を上げることも逃げ出すことも身じろぎして追い払うことも目をつむることや気を失うことすらもできない。

 サナエが今宿っているぬいぐるみは長年埋まっていて腐りかけているようでもあった。遅ればせながら自身が発する猛烈な悪臭にも気づく。

 そんな中、虫は何匹も何種類も寄って来て、サナエの表面を這いずり回り、サナエの中に潜り込んで……


 サナエは飛び起きて両親を叩き起こした。錯乱に近い状態で必死に訴え、病院に連れて行ってもらう。

 学校へ行きたくないと繰り返し、明日からは休んでいいと言ってもらえて、サナエはやっと安心できた。



「サナエ、引っ越して転校するんだって」

「しかたないよね、あの日のあれ、すっかりおかしくなってたし」

 数日後にクラスメートがしていた会話を、キャラコは冷静に聞いていた。

 魔術をかける相手が遠く離れると、術の行使は難しくなる。サナエに関してはここまでだろう。

 まあ、金魚のフンみたいな存在だったから、この辺で打ち止めになっても別にいい。本当の目標はまだのうのうとしている。

 今日も続く地獄。けれど自分は逆襲する力を備えつつある。それを支えにキャラコは耐えていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜ごと日ごとに潰され焼かれ腐りゆく 入河梨茶 @ts-tf-exchange

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説