些細な問題

 しばらくしてから、ギンとの話を終えた司教がやってきた。


「おひさしぶりですね、エリサン。怪我をしたとのことですが、まだ痛みますか」


 彼はまずエリサンの負傷について訊ねる。エリサンは「大したことはありません」と軽く答え、それからご無沙汰しておりますと頭を下げた。

 このホジクという司教は、エリサンを司祭の地位につけた張本人だった。エリサンが旅立つ前にいた教会で最も地位のあった人物であり、悲しみと自己嫌悪に押しつぶされていたエリサンに信仰を教えたのも彼である。

 彼が言ったように、久しぶりの再会だった。このため、お互いの近況報告など話題はいくらでもあった。

 だがエリサンはそれらを軽く終えて、すぐにイラガとの結婚について切り込んだ。


「ホジク様。実は、私はここにいるイラガさんと結婚をしようと考えています」

「ほう、あなたが」


 ホジクはかなり驚いた様子を見せたが、表面上は温和な笑みを浮かべたままだった。

 彼の目の前にいるイラガは、少し緊張してしまう。彼に認められなければ、婚姻はできないのだ。

 司祭であったエリサンは僧籍というものをもっており、これをもったまま結婚するには司教以上に認められる必要がある。このため、イラガはなんとなく自分たちが試されている気がしていた。


「エリサン、あなたがそのように私に言ったからにはすでに様々に覚悟があると思いますが、それでも確かめなければなりません。あなたが様々な問題を認識しているかどうか」

「わかっています」


 司教のホジクはまるでこの事態を予想していたように落ち着き払っており、エリサンもそれに答えている。

 もしかしたらあらかじめ打ち合わせがあったのではないか、と疑いそうになるがそんなはずもない。イラガは唾をのんで、身を縮めようと無駄な努力をしながら自分に話が振られないようにとさえ考えかかった。

 とはいえ話題は自分たちの今後にかかわることだ。思い直した彼女はあごをひいて前を向き、ホジクたちの話をしっかり聞こうとする。


「まず最初に、思想の違いからいきましょう。

 獣人であるそちらのイラガさんは、おそらく精霊崇拝の信仰をしているはず。そしてあなたはもちろん女神信仰を続けている。

 こうした違いがあるのであれば、心から信頼しあい、尊重しあうことができるのですか? さらにいえば、あなたが司祭として矛盾なく信者を導いていけるのか、それにも疑問が持たれます」


 当然の質問からやってきた。

 エリサンは軽く頷いて、これに応える。


「はい、宗教観の違いはあります。イラガさんはママユガ様という精霊を崇拝されており、私は女神信仰を捨ててはおりません。

 しかし現在のところ私はママユガ様にも女神にも感謝の念をもっています。これはイラガさんも同じです」

「両方を信仰しているということでは、司祭としては失格と言わざるを得ない。

 それとも君はただ彼女を失望させないために、その精霊を信仰しているように見せているのかね」


 そうであったとしても、イラガは別に構わなかった。

 というよりも、イラガも実際はそうだろうと思っている。司祭であるエリサンがママユガ信仰を受け入れるということはあってはならないことだからだ。それが形だけでも、何かの思惑があったとしても、イラガの信仰を大事にしてくれていて自分の教義を押し付けてこないというだけで十分だった。

 しかしエリサンの答えは予想と違っていた。


「女神信仰によって私は救われました。それと同じように、獣人の方の多くは、精霊信仰によって救われているはずです。それを我々は女神を信仰しているからと言って圧迫していいはずがありません。

 善良な神官ならばそう考えるだろうと私は思ったからこそ、イラガさんの信仰を尊重しました。

 それに我々の神である女神は、主に信仰する人間種族を対象としたものであって、彼女たちの精霊ママユガ様は獣人たちを守護しておられるのです。であれば、私がイラガさんを守っていただいたことに対して、ママユガ様に感謝することは不自然ではないと考えています」

「いえ、女神はそれほど狭量ではありませんよ、エリサン。

 生きとし生けるものを見てくださっています。町の教会は、獣人種族の方も受け入れています」

「その通りです、ホジク様」


 と、受け答えをしながらエリサンはイラガのほうを見る。

 おだやかで落ち着いた態度であった。


「ですが、女神様もママユガ様もおられる、と考えることは不自然ではないはずです。

 唯一絶対の女神様以外に神に並ぶものはない、というわけでもないのですから。そしてイラガさんもまた、女神様にもママユガ様にも感謝をしてくださっています。おそらく、私と同じ理由かと思います」

「ほう」


 ホジクもイラガに目を向けた。こちらはエリサンほどやさしい目線ではない。

 イラガは目をそらさず、答える。


「はい。といっても、私は獣人の里から追い出されてきた身なんです。それを先生は受け入れてくださって、そしてママユガ様のことも大事にしてくれました。だから同じように、私も先生の信仰を大事にしたいと思ったんです」

「なるほど、わかりました。

 まったく教化をあきらめているというわけではないのなら、これ以上言うことはありません。

 次の質問に移りましょう」


 一つ目の質問は終わり、ホジクはエリサンへ再び向き直った。


「では、種族の問題です」

「はい」


 そこか、とイラガは口元をゆがめた。確かにそこの問題は大きい。

 エリサンは人間であり、イラガは獣人である。エリサンは体こそ大きいがイラガほど頑健ではないし、毛皮も持っていない。二人の間には色々な認識の違いがある。

 もっとも半年も二人で暮らしてきたのだ。そこはすでにある程度の整理がされているだろうし、そう期待している。と、ホジクは前置きをした。


「その上でも、どうしても避けられない問題がありますね。あなたは治癒術師でもあるのですから、ご承知でしょう」

「はい」

「おそらくエリサン、あなたとイラガさんの間には子供が生まれません」


 まずは事実を発表してきた。エリサンは頷く。

 過去に獣人と人間の恋人や夫婦がなかったわけではない。記録にあるだけでも200組以上はあったはずである。だが、その間に子供が生まれたという報告はほとんどない。

 正確には2人だけ、異種族と婚姻した女性が出産したというが、いずれも母体と同じ種族の子供であった。


「可能性がないわけでもありません」


 エリサンは一応そのように答えたが、ホジクは小さく頷いただけだ。

 彼はイラガに目を向けて、問いかけた。


「イラガさん、あなたはどのように思いますか?」

「え、えっと」


 話を振られて、イラガはそれから少し考える。正直なところ、エリサンとの間に子供を作るというのは彼女の考えにあまり入っていなかった。

 結婚してもいい、ということは以前からエリサンに伝えてきていたが出産までは考え至っていなかったのである。とはいえ、受け入れられないこともない。

 むしろ、先生と私の子供ならどんな子供に育つだろうか、ということを無意識に想像するだけの気持ちはある。


「私は先生との子供なら、育てていけると思います。子供ができにくいなら回数を増やせばいいのではないですか?」

「おそらく、他の夫婦も同じように考えたでしょう。しかし現在に至るまで二人しか子供が生まれていないということを考えると、確率的な問題よりも、生物学的な問題だと考えるのが一般的です」


 ホジクは少し冷淡な声で応じた。

 それから他の生物の例を挙げ、異種動物の交雑について話し始める。


「別の種族の動物や植物の間に、子供ができる例がないわけではありません。ごく近縁の仲間は自然に交雑し、種が同化することも珍しくないのです。それに、馬とロバの間にラバやケッティが生まれることはよく知られていることです。

 しかし人間と獣人が出会って、これほどの期間が経ったというのに、二例しかないのは少なすぎます。そして、この二例は最終的にはいずれも、母親側の不貞によってできた子供であると推定されてしまっています。

 もしも仮に本当にあなたに子供ができたとしても、父親がエリサンであると認められるかどうかは非常に厳しい、ということです」

「ああ」


 イラガは与えられた情報を処理しきれずに曖昧な返事をした。


「つまり、子供ができないけどいいかという確認ですね」

「そして万一、本当に妊娠するようなことがもしもあれば、あなたは不貞を疑われるということです」


 包み隠さずにホジクはそう言ってしまう。

 なるほど、とイラガは軽く目を閉じて考えてみる。確かに、これから先エリサンと暮らしていく中で子供を授かることができたのなら嬉しいだろうが、それは絶対に必要というわけでもない。モパネのように里から追われた子を養子をもらうということもできるだろうし、そちらは問題にならない。

 むしろ問題となるのは、ありえないほどの幸運があってイラガが妊娠した場合だろう。その場合はたとえ無実であったとしても、誰もがイラガが不貞をしたと考えるということになる。


「確認なんですが」


 と、イラガは目を開いて隣にいるエリサンを見あげた。


「なんでしょう?」

「もし私が子供を産んだら、先生は自分の子供だと認めてくれますか?」

「もちろんです。あなたを信じています」

「なら、問題ありません」


 ホジクへ向き直って、頷く。イラガは誰に疑われようとも、エリサンが信じてくれるのであれば何も問題なかった。

 誰にさげすまれようが、大丈夫。集落から放逐された私を先生は救ってくれたのだから、きっとそれだけで私は生きていけるだろう。イラガはそう考えていて、未来においてもその考えが変わらないだろうと思っている。

 その答えはホジクを満足させた。彼はにっこり笑い、大きく頷く。


「わかりました。いいでしょう、本来ならばもう少し色々と確認をすべきですが、あなたたちの結婚を認めると約束しましょう。

 そのほうがおそらく、ためになるでしょう」

「ありがとうございます」


 エリサンもこれに頭を上げて応じる。彼としては、イラガの立場を早期に明確にしておきたかったのだ。

 集落を追われてやってきたイラガを保護したのは自分だが、恩義を感じてここから出ていかなかったのはイラガである。エリサンとしては路銀まで用意して彼女に出ていく道もあることを示してきたのだから、ここに残っているのはイラガの意志で間違いない。

 最初は入院患者という扱いだったが、治ってからはその言い訳がきかなくなっている。このためイラガはエリサンのなんなのか、という部分が曖昧なのだ。同居人というにも、居候というにも、使用人というにも違う。

 それが今、ホジクが認めたのである。司教が「結婚を認める」と口にし、エリサンはすでにイラガへプロポーズをして、イラガはそれを受けている。

 つまり、完全に二人は夫婦として認められた。

 だがホジクは最後に付けたす。


「しかしながら本来の過程を飛ばしたのですから、この結婚は条件を付けねばなりません。それに、二人には年齢差が少しあるようにも見えます。まあそこは、愛し合っているのなら平気でしょうが。

 このような若い女性をめとったのですから、今後何年、何十年たったとしても、離婚をしようと私に許可を求めてくるようなことはないようにしてください。仮にそんなことがあったとしても、私の目の黒いうちは絶対にそれは認めないつもりです。これを忘れないようにしてください」

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治癒術師は絶望している zan @sasara

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