結婚しましょう!

 イラガはわずかにふるえた。覚悟を問いかけられたような気がしたのだ。

 今のエリサンの言葉が、まるでプロポーズの予告のように思えた。「以前に結婚してもいいといったのだから、もちろん断りませんよね」という確認。


 ええ勿論です先生、お望みならすぐにでも。


 と答えようとしたが、その前にエリサンが言葉をつづけた。


「実は昨夜のことがあってから、少し考えていまして。あなたはそうやって言ってくれているのですが、私はそれをたしなめてきました。

 というのもイラガさんほどの女性なら、私などよりもっとよい人を見つけて幸せになれるはずだと思っているからです。あなたは狩人としても一流の腕前ですし、勇気も決断力もあり、弱っている人を見捨てない優しさももっています。

 私は確かにイラガさんの病気に薬を出しはしましたが、もうずいぶん一緒にいていただいて、十分に恩は返していただいたと私は思っているのです」

「でも先生、まるで足りていませんよ。私はまだまだ、先生にしてもらったこと以上のことをしたとは思っていません」


 イラガはすぐさま反論する。

 自分の人生全てを救われたと感じているイラガにとっては、残りの人生全てをエリサンにささげてもまだ足らないほどの返しきれない恩が残っている。エリサンがもういいと言っても、押し付けてでも返そうとしない限り、自分は恩知らずになってしまうだろう。本気でそう思っているのだ。


「あなたはそうおっしゃいますが、私としては別の望みがあるのです。イラガさんにはずいぶん、そしてたくさん助けていただいた。だから私としてはイラガさんのことはできる限り、幸せに過ごしてほしいと思うのです。

 それは私と過ごすことではないのではないかと、考えます。私などにかまって過ごしているよりも、都会に出たり、さらなる狩猟の地へ向かったり、充実した人生を過ごす場所はいくらでもあるはずです。

 私などのところであなたという貴重な才能を潰していていいのか、という考えもあります。

 はっきり言ってしまえば、恩を盾にとって、あなたをここで飼い殺しにしてしまっているような気にさえなります」


 エリサンは本心を語っていた。彼にしては言葉を選んでいないようで、率直だった。

 だがイラガは平然とこれを聞いていて、何も思わなかった。単純にイラガには自分などよりもっとふさわしい相手がいるのではないかと悩んでいる、と言っているのだ。


「そうかもしれませんけど、私くらいの弓の使い手はいくらでもいますよ。それに、先生はそんなことを気になさる必要はありませんから」


 そう言ってのけると、エリサンは困ったように小さく笑った。


「たぶん、一度都会に行ってみたほうがいいかと思います。たくさんの人と会ってみれば、きっと私より優れた方も見つかるでしょう。

 しかし私はまずあなたのよりよい幸せを常に望んでいるということはお伝えしておきたいのです。

 それを踏まえたうえで、困ったことが一つあるのです」

「お困りですか? 先生が」

「私自身が、あなたをもうここから放したくないのです。イラガさんを私以外の人のところへ行かせたくありません」


 これをきいたイラガは、ぶわっと尻尾の毛を逆立て、両眼を見開いた。

 驚いたことに、エリサンが自分の欲望のためだけの言葉を発したのを、イラガは初めて聞いたのだ。そして、それほどに自分が求められている。同時に、自分の幸せをエリサンが願っているというのもわかる。

 あまりにもそれは待ち望んだ言葉であり過ぎた。嬉しいという感情が湧き出ることさえ、状況に遅れている始末だった。


「このようなことは、言うべきではなかったかもしれません。けれどもイラガさんには、聞いてほしいのです。

 あなたにはできるだけ幸せになってほしいですが、同時に私の元からいなくなってほしくない。

 イラガさんのような素晴らしい人を私のもとにいつまでも置いていていいはずはない、と思いながらも、あなたを独り占めにしたいとさえ思っています」


 弱音のように言うエリサンに対し、イラガは自分の感情を整理する意味もこめて軽く息を吐き、こたえた。


「それは私がいつも先生に思っていることですよ。先生はもっと評価されるべきなのに、こんな人の少ないところで細々と過ごしているじゃないですか。

 最近も助手の人が来ましたけど、私なんかよりああいう技術を持った人をもっと雇ってその人たちとやっていけばいいんじゃないかって。そのほうが先生はずっと活躍できるのにって。

 でも私は先生の近くにいたかったですし、先生が気持ちよく過ごせることも大事でしたから」


 言いながらあれおかしいな、とイラガは思う。先生に結婚を申し込まれる流れじゃなかったのかな、と。

 どうして自分がこんなことを言っているんだろう、という頭をよぎる疑問をイラガはなんとか追い払おうとしながら、言葉をつづけた。


「私は先生と一緒にいたいんです。たとえ恩を返し終わったと私が思ったとしても、たぶんそう思い続けるはずです」

「ありがたいお言葉です。私のようなものと一緒にいてくれるのは、本当に助かります」


 と、エリサンは言葉を切ってイラガの目をまっすぐに見つめてくる。イラガは少しばかり緊張を感じながら見つめ返した。

 やっぱり先生のは優しい目だな、と考えながら次の言葉を待った。


「イラガさん」

「何でしょう、先生」

「私と結婚してください」


 その言葉を待っていたのだ。やっと聞けた。

 イラガは歓喜した。本当は飛び上がって喜び、エリサンに抱き着きたいところだったが、今の状況でそれはできない。理性の力でそれをおさえ、バタバタ動こうとする自分の尻尾を握って落ち着こうと努力して、やっと次の言葉を発した。


「はい。で、でも、先生こそ他にお相手がたくさんいるんじゃないですか? 私を選んで後悔しませんか」

「仮にそうであるとしても、私はイラガさんを選びます。これは私の都合であり、好みであり、欲です。あなたがいいのです。イラガさんにだけお願いしています。他の方にこれを言うことはありません。

 あなたしかいないのです」


 イラガは、にやついてしまいそうになる顔を必死に引き締めながら、すぐさま頷こうとするのをなんとかとどめた。

 そうして冷静になろうと努めた頭で考えてみれば、結婚したからといって今と何か生活が変わるようには思えない。おそらく自分が狩猟に出て、エリサンは診療所で患者の相手をするだろう。同居人という関係が、夫婦になるだけだともいえる。

 だが、キサラを間に挟んで、手をつないだ時の不思議な感覚が今のイラガに思い出されてきた。今はもう、その感情の正体をイラガは知っている。

 嬉しさなのだ。自分がエリサンと一緒に居られて、そしてその仲が進展していくことが嬉しいということ、それに不慣れなために自分が戸惑っていた。

 それに、いざ本当にエリサンを失うかもしれないというところまでいって、それでも自分の中に彼を見捨てようとする気持ちはなかった。感謝と尊敬という感情だけでそこまでいけるものではない。


 そうだ、好きなんだ。

 不器用で、自分の善性を信じ切れていないこの人が。目を放したらふと、どこかにいってしまいそうなこの人が。


 ごまかしはなし。イラガはエリサンの傍にくっついて離れる気はない。

 むろん、エリサン以外の男と結婚するつもりもない。


「私にももう、先生しかいませんよ。だから、私からも言います。

 先生、私と結婚してください」


「はい。ありがとうございます、イラガさん」


 エリサンは正面からイラガの言葉を受け止めて、それから両手を差し出しイラガの手を包み込んだ。

 イラガは握りこまれた自分の手をじっと見て、必死になって顔面が崩壊しないように耐えたのち、どうにかにっこりと笑った。


「これで、せ、先生と私は夫婦ですね。私、先生の奥さんになったんですね」

「そうです。しかしその嬉しさをあなたと共有する前に、お話をしなければなりません。

 私たちはお互いに、出身も種族も、また風習も宗教も異なります。そのこと自体は二人の間には大した障害ではないと私は思っています。ただ、今いらしている司教のホジクさまにとっては違うかもしれません」

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