つらい夜こそ抱きしめて

snowdrop

ぬいぐるみ

 なにを泣いているの、涙をお拭き。

 きみはそんなに弱くはないだろ。

 誰かって?

 ボクは、テディ。

 クマのぬいぐるみだよ。

 きみも、ぬいぐるみと一緒に寝たことがあるかな。

 今では、きみたち人間だけでなく、ペットの犬や猫たちも愛してやまない存在になっているボクたちぬいぐるみなんだけど、いつ誕生したのか知っているかい?

 すべてのぬいぐるみは、ある女の子がいたからなんだ。

 女の子の名は、マルガレーテ・シュタイフ。


 時に、西暦一八四七年。

 ナポレオン戦争中、ドイツ連邦を束ねていた神聖ローマ帝国が一八〇六年に崩壊し、戦後のウィーン会議にてドイツ連邦が形成されるも、オーストリアとプロイセンが連邦の主導権をめぐって争うようになった。だが、プロイセン主導で一八三四年にドイツ関税同盟が成立し、オーストリアを除いたドイツ諸邦が加わったことでドイツ統一の下地となる。

 フランスでブルジョア革命が起きる半年前の、七月二十四日。

 ドイツ南部、バーデン=ヴュルテンベルク州の小さな町ギーンゲンに暮らすシュタイフ家の四人兄弟の三番目の子として生まれた彼女は一歳半のとき、高熱を出して倒れてしまい、骨髄性小児麻痺を患ってしまうんだ。医者による治療の甲斐もなく、両足と右手にハンデを負い、車椅子生活を余儀なくされてしまった。

 でもマルガレーテの両親は、障害があっても自立できるようにと他の兄弟たちと区別せず彼女を学校に通わせ育てていく。

 十四歳のとき、彼女は洋裁学校に通いだす。手芸を学び、三十歳になると二人の姉とともにミシンを購入し、自宅二階に洋裁店『フェルト・メール・オーダー・カンパニー』を設立したんだ。

 彼女のフェルト製品は瞬く間に評判を呼び、洋裁店には順調に注文が入り、子どもや女性向けのフェルト衣料の販売をはじめ、ビジネスとして成功を収めていく。


 そんな二年後、十二月のある日。

 マルガレーテは、ファッション雑誌『Modenwelt』に掲載されていた布製のゾウを目にするんだ。

 インスピレーションを得た彼女は、小さな甥や姪にゾウの形のおもちゃを制作し、大人用には針刺しとしてクリスマスにプレゼントした。

 当時、人形といえばビスクドールが主流であり、おもちゃもブリキなどの硬い素材で作られたものがほとんどだった。

 そんな中、やわらかくてさわり心地の良さと愛くるしい見た目からたちまち評判を呼び、年の開けた翌年、店先にはゾウのぬいぐるみを求める人達の行列ができるほど賑わった。


 世界初のぬいぐるみは、クマじゃなかったんだよ。


 こうして誕生した一八八〇年が『創業の年』とされている。

 マルガレーテは六年間で五千百七十個のゾウのぬいぐるみを販売し、サルやウマ、ブタにイヌ、ネコやウサギなど多くのぬいぐるみを生産していった。

 彼女は、子どもたちがぬいぐるみを手にして喜ぶ姿を見て、「子どもたちには最高のものこそふさわしい」と思いを強くし、一八九三年に社名を『フェルト・トイ・カンパニー 』に変更したんだ。


 クマのぬいぐるみは、いつ誕生するのかって?

 まあまあ、慌てない慌てない。


 さらに四年後の一八九七年、事業を手伝っていたマルガレーテの甥のリチャード・シュタイフが、基礎となる動物のスケッチを数々描きはじめるんだ。

 一九〇二年、リチャードは「本物のようなクマのぬいぐるみ」を思いつき、動かせる腕と脚を、毛足の長いアンゴラヤギの毛から採取したモヘアで作られたクマのぬいぐるみを設計する。これこそ、世界で最初のテディベアと呼ばれる『55PB』なんだ。ちなみにPとBはドイツ語で、ぬいぐるみ『Plüsch』、可動式『Beweglich』を意味している。

 しかも『55PB』はアメリカ人のバイヤーの目にとまり、三千体もの注文が入るんだ。おまけにルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレイに使われ、セオドア・ルーズベルト大統領のニックネーム「セオドア=テディ」にちなみ、クマのぬいぐるみは『テディベア』と呼ばれるようになり、一大ブームを巻き起こすんだよ。


 つまり、ボクの名前はルーズベルトのニックネームから来てるんだ。


 でも、良いことばかりじゃなかった。

 急成長したせいで、数え切れないほどの模造品が市場に出回るようになったんだ。そんな偽物と区別するために一九〇四年、マルガレーテの甥のフランツが製品の左耳にボタンを取り付けることを思い付き、『Steiff - Knopf im Ohr』(ボタン・イン・イヤー)という商標を作成。世界で一番古いトレードマークといわれ、本物である証として全ての商品にタグが付けられている。

 タグには、品番や製品の素材などを表示されている。

「黄タグ+赤文字」だけでなく、「白タグ+赤(黒)文字」も存在している。白タグは数量限定生産のものや、レプリカに付けられていて、シリアルナンバーも記載されているんだ。


 一九〇六年に、社名を『マルガレーテ・シュタイフ社』に変更。こうして大成功を収めた彼女は一九〇九年、肺炎のために六十一歳でこの世を去ってしまう。

 思いやりのある経営者として慕われていた彼女の死は、シュタイフ家の人々や従業員にとっては悲しい出来事だった。

 機械に頼らず、ひとつひとつ手作りしてゆくことを誓い、経営は甥のリヒャルトに引き継がれ、会社はその後も「子どもたちには最高のものこそふさわしい」というマルガレーテのモットーが守られている。 

 二〇一四年より、シュタイフ日本総代理店が『株式会社MS1880』に社名が変更された。

 創設者であるマルガレーテ・シュタイフのイニシャル『M.S』と、シュタイフ創業の年『一八八〇年』に由来している。


 辛いことや悲しいときには、ボクたちぬいぐるみをぎゅーっと抱きしめてほしい。

 マルガレーテの「子どもたちには最高のものを」という思いから、ボクたちは生まれたのだから。

 

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