筋肉じゃないよ。お菓子だよ。

うた

第1話 筋肉じゃないよ。お菓子だよ。

「いよっと……。ふんっ! と、取れない……」


 目の前にある本棚の一番上の段へ、思い切り手を伸ばすが届かない。つま先立ちでちょっと身長を高くしようと試みても、その考えはもろくも崩れ去った。


 私、角谷清香かくたにきよかは、大きくため息をついた。


「おチビには、辛い高さだぜ……」

 ぶつぶつ自分の身長が低い事に文句を垂れる。見上げた先にある、目当ての本。この本をレジに早く持って行きたいのに。私の恋のように、まだまだ手には届かないのか。ずっしりと心が重くなる。はぁ、“近くて遠い”って、どういう表現? なんてバカにしてごめんなさい。今確かに実感しています。

「本が届かないなんて、カッコ悪い所見せられないよぉ。他の店員さん――はいないし」


 ここは小さな町の本屋。私の家から近く、小さな頃から通っているので、大好きな場所の一つだ。前の店主さんの息子さんが後を継いでいる。家族で経営している町の本屋さんだった。大きな所なら、店員も複数いるが、声をかける店員は、今は一人だけ。「届かないですぅ」って声をかければ良いけれど、自分にそんな大それた事は出来ない。はぁ。またため息が。


 靴を脱いで、段に上ってしまおうか。そんな悪魔の囁きが聞こえる。左右を見れば、誰もいない。天井にちらりと目をやれば、防犯カメラが横を向いた。

 一瞬よ。サッと上がって、サッと本を取って下りれば誰にも気付かれない。もう右足は靴下の状態。いつでも行ける。



 今だ!



「どうしました?」

「ひぃっ!!」

 本棚に足をかけようとして咄嗟にひっこめた。足に力が入ってりそうだ。

「えぇと、本が取れなくて……」

「どれです?」

 スッと隣に立ち、どの本を取りたいのか聞いてきた店員さん。他の客よりも、一番この人に見られたくなかった。ちら、と見上げる。


 整った形の眉。

 少し垂れた目。

 とにかくイケメン。

 さらりと揺れる黒髪。

 長い手足。

 指も長いぞ。

 あ、爪キレイな形。


 飽きずに見ていられる。ずっと見ていられる。彼を見ているだけで、ご飯大盛り三杯はいける!

 彼はここの本屋の店員さんだ。名札には、“山本”と書いてある。言わなくても分かるだろうが、私は彼に好意がある。


(山本さんが近くにいる。声、かけられちゃった!!)


 テンション上げ上げで、心の中が大騒ぎしていると、彼はこちらを向いた。

「体を鍛えようとしてるの?」

「え?」

 はい、と差し出された本は、表紙にマッチョな男性が決めポーズをしている『これであなたの筋肉も喜ぶ!』というタイトルの本。固まってしまった。

「ちっ、違います! 隣の本です!!」

 私が欲しいのはお菓子のレシピ本だ。レシピ本コーナーの隣に筋力トレーニングのコーナーがあるという、謎の並び。おかげで恥をかいた。顔が熱い。チビがマッチョを目指すなんて、あり得なさすぎる。

「だと思った。これね」

「ありがとう、ございます」

 わざと間違えたのだろうか。山本さんは、くすくすと笑いながら、私が欲しかった本を取ってくれた。美味しそうなケーキが表紙の本。見るだけでお腹が鳴りそうだ。

「でも、本棚に乗るのはダメだよ」

「すっ、すみません!!」

 バレていた。恥ずかしい。必死に謝る。


「よくレシピ本、買ってるよね」


「え?」

 聞こえた言葉に、首を傾げる。

「あ、いや、別に。いつも見てるわけじゃないんだけど……」

 歯切れが悪い。山本さんは、頭をがりがりとかいた。

「料理が好きなのかなって」


(私の事、覚えてくれてる!?)


 天にも昇る気持ち。こんなに話が出来るのも初めてだ。これはチャンスだ! 頑張れ私、やれば出来る子。私は出来る子!!


「はい! 作るのも、食べるのも好きです」

 頭をぶんぶん縦に振って返事をする。彼は表情を緩ませた。

「君に料理を作ってもらえる奴は、幸せだね」

「!」

 レジにどうぞと、彼は手にある本をそのまま持ち、私の前を歩き出した。彼の背中を見つめながら後に続く。

 ぎゅっと、拳の握った。


「あの」

「はい?」

 山本さんが立ち止まり振り向いた。その顔を見て、決意が揺らぎそうになったが、心を決める。



「や、山本さんの為に作ったら……受け取って、もらえますか?」



「え」

 彼の固まった表情を見て、言って速攻後悔した。私の顔がめちゃくちゃ熱い。くらくらして、眩暈がする。私は何てことを言ったんだ。時が戻るなら、三十秒前に戻したい。

「バカな事言いました! 忘れて下さい。今のは幻聴ですっ」

 がさがさと、大げさな身振りで財布を探す。もうさっさとお金払って帰ろう。顔、上げられない……。

「いや、幻聴にされると困るというか……。ありがとう。嬉しいよ」

 にっこり笑ってくれるが、社交辞令だろう。

「か、彼女さんがいたら、申し訳ないです」

「そんなのいない。えぇと……、実は、いつも君が来てくれるの、待ってたんだよな」

「……」

 驚き過ぎて、彼を見つめてしまった。恥ずかしいが、嬉しさが込み上げて来て、また顔が熱くなる。

「彼氏に作る為に、レシピ本を買ってると思ってたけど」

「いません、そんなの!!」

「ふっ。じゃあ、楽しみにしてて、良いのかな」


 夢じゃないよね。これ、夢じゃないよね!


「はい!」


 私の威勢の良い返事を聞いて、山本さんも笑ってくれる。少し、耳が赤い。私達は、ようやくスタート地点に立てたんだ。


 マッチョを目指さなくて、本当に良かった!!

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