推して押されて推し活LOVE

天猫 鳴

あるようでないような恋の話

 推し。

 推しは尊い。

 推しは喜びであり日々の活力源である。




 織田栗朱おりたくりすは今、本屋の前にいた。正確に言うならば本屋の向かいに立つ電信柱の影に隠れていた。


 彼女の本日のミッションは推しの特集が組まれたファッション誌を買うこと。


 生まれてこのかた2次元にしか興味がなかった彼女が、人生で初めて3次元の青年にきゅんときた。しかもそれは、俳優や芸人ではなくアイドルグループのキラキラ青年。

 2次元を越える3次元男子などいない。ずっとそう思ってきた。

 今まで2次元においてもアイドルグループにははまらなかった栗朱が、もっとも遠いと思っていたアイドル沼に落ちた。


 41歳にして、ドルオタ開花。


 2次元の推しを購入するにあたってこれほど躊躇したことがこれまでにあっただろうか? いや、ない。


(これがいわゆるリアコってやつか?)


 初のドル沼、人間にときめく自分に驚き推しとの年の差に絶望を感じ、そして他者の目が気になるハードルの高さ。


(推しは推せる時に推しておけ!)


 自分を鼓舞するのはこれで何度目か。


(ああ、栗朱! 行けっ、行けっ!)


 もう何度も自分をけしかけている。けれど、本屋に入れないまますでに小一時間。電信柱の影から出たり入ったりする姿は完全に怪しい。怪しすぎる。


(さっと入って本をゲットしてレジに行き買って出てくる。ただそれだけだ、行けっ!)


 破裂するんじゃないかと思うほど心臓はばくばくしている。さっさとやってしまえば案外簡単だ。自分にそう言い聞かせても足がすくんでしまう。


 彼女にとって本を買うというだけのことが高いハードルだった。


 そして、いま目の前にしている本屋の店主が同級生であることも足を重くしている原因のひとつだった。

 仲良しなら気にしないけれど、中途半端に知っている人間ほど対処に困る。


(推しのためでしょ!?)


 彼の写真を手に入れたい、ただそれだけじゃない理由で栗朱はやってきた。次の仕事へ繋がるようにと影ながらの推し活だ。


 栗朱はファッションにもコスメにも興味がなく、ぼやけた姿で日々を過ごしていた。肩書きに小説家とつける勇気がないほど、細々とながら物書きをしている。家で書いているから普段あまり身なりに気を使うこともない。

 白髪が目立ち始めた髪を染め、普段しない化粧も今日は頑張った。それもこれもみっともないファンがいるなどと推しが辱しめられないための頑張り。


(ああ! もう、行くぞ!)


 大きく息を吐き、意を決して電信柱の影から身を踊り出す。

 ・・・・・・が!


(うわあっ!)


 電信柱にパッと身を隠して再び本屋をうかがう。

 見覚えのある女が店に入っていくのが見えた。記憶が確かならば、あれは同級生だ。


(くそっ! 次から次へとぉ・・・・・・!)


 できるだけ知り合いには会いたくない。

 仕事のことを聞かれたくないし、アイドルにはまったことも知られたくなかった。もともと人付き合いは苦手で、片手に余るほどの友達とつるんでばかりの学生生活だった。友達以外に会いたい人もいなくて同窓会には一度も出たことがなかった。


(顔を合わせる同級生なら店主だけで十分だよ)


 そう「書店ほんだ」は代替わりして今は栗朱の同級生がやっている。小さな本屋だから店員も少なくて必然的に彼が店にいる確率は高かった。

 今はなきショッピングモールに大手の本屋が入っていたせいか、町の小さな本屋はほとんどなくなってしまった。残るはこの1軒のみ。


 目当ての本があるか確認のために電話をしたときに声を聞いた。同級生という以外に彼と接点がなくてあまり話をしたことがない。でも、数少ない会話の記憶からすると、たぶん間違いなかった。


(今もモテてるのかな)


 入っていった同級生が出てくるのを待っている間に、ふとそんな事を考えていた。

 3次元男子に興味がなかった栗朱の耳にすら入ってくるくらい、彼は格好よかった。・・・・・・らしい。


 同級生が出ていくのを見て栗朱はやっと電柱の影から出てきた。そして、そろりと本屋へ近づき、そっと入店した。


(よし、他に客はいない)


 予習したイメージ通りの経路をたどって速やかに本を手にしレジに向かう。

 目が合えば声をかけられやすいだろうからと、うつむいたまま本を受け渡し鞄へ手を突っ込む。言われた金額を出して待った。


「織田栗朱さん? だよね?」


 やわらかな声に名前を呼ばれてぎくりと肩を震わせた。生で聞く声は若いままだった。


「元気そうでよかった」


 笑顔が想像できる声に少しうろたえて言葉を探すが見つからない。返事を返さない栗朱に躊躇なく彼は言葉を続ける。


「この間の短編、面白かったよ」

「えっ!?」


 思わず顔を上げてしまった。

 驚いた彼女に驚いた本田の顔がまた笑顔に戻る。


「このグループに推しがいるの?」

「な、なんで?」


 なぜ気づかれたんだろう。驚いてそれ以上言葉が出てこなかった。


「織田さん、ファッション誌って買わないって言ってたでしょ」


 そんな話しただろうかと記憶を漁るが会話した記憶が見つからない。


「ああ、学生の頃とは違うから今は興味があるのかな」


 声に似たやわらかな笑顔。40代にしては若々しい爽やかさに目が釘付けになる。


「織田さんは変わらないな」



(え? 変わらないって・・・・・・)



 一瞬、頭のなかに「恋」という単語がちらついたけれどすぐに消去する。昔の自分を覚えているからといってこちらに気があったと仮定するのは早急だ。


(いやいやいや、韓ドラの見すぎだよ。営業だよ営業。昔と変わらないって言われたら女の人はたいてい喜ぶから言ってるんだ。そうだそうだ)


「・・・・・・好きだよ」


 どきゅん!


 心臓の変わりに目が飛び出すかという勢いで彼の顔を凝視した。


「織田さんの小説、好きだよ」


 彼が繰り返して言った。「大切なことだから2度言いました」そんな台詞が頭をよぎる。


(そう・・・・・・だよね)


「あ、ありがとう」


 勘違いしそうになった恥ずかしさと小説を好きだと言われた嬉しさで耳が火照る。


「社交辞令でも嬉しい」

「違うよ、社交辞令でそんなこと言わないよ」

「あぁ・・・・・・」


 どう返せば言いかわからず、あいまいに笑顔を作って一歩後退。


「中学の時にさ、創作の授業あったでしょ。あの時に織田さんが書いた小説、ときどき読み返してるんだよ。けっこう気に入っててさ」



 不意を突かれた。



 数少ない彼との記憶が浮かび上がって時間が引き戻される。

 授業が終わったあと名前を呼ばれて振り返ると、彼がいて感想を事細かに話してくれた。


 あれが生まれて初めてもらう読者からの感想だった。


「また書いたら読ませてよ」


 そう言ってくれたのを覚えてる。

 でも、次はなかった。

 物語は次々と浮かんで小説も書き続けてたけど、彼に読んでもらったことはない。引っ込み思案と恥ずかしがり、そして思春期のせいで男子に声をかけることができなかった。


 彼の好意的な感想がなかったら今の栗朱はいなかったかもしれない。そう思うと彼の希望に答えられなかった事に少し後ろめたさを感じる。たぶん、彼の言葉に頷いたと思うから。




「次の小説、楽しみにしてるよ」

「え?」

「必ず読むから」

「うん・・・・・・ありがとう」


「ファンレターへの返事も織田らしくて好きだよ」


 どきりと胸が跳ねる。


「ファンレター? 返事って・・・・・・」

「返事が嬉しくて、毎回力いれて感想書かせてもらってる」

「うそっ、え? それってまさか」


 毎回感想を送ってくれるコアなファンが1人いた。でも、名前は本田嗣人ほんだつぐとではなかった。


(嗣人・・・・・・?)


 本屋の店主、本田くんは気恥ずかしそうに笑いながら頭をかいた。


「さすがに名前だけだと、気づかないよね。高校の時に名字が変わったんだ」

「嗣人・・・・・・忍原おしはら


 頭の中でカチッとピースがはまった。


「反転して呼ばれると外人さんみたいだね」


 親が離婚したのか、名字が変わったなら母親と一緒なのだろう。では何故いまこの店の店主をしているのか。こんな時に背景を考える癖が出て頭の中で枝葉が四方に伸びていく。


「僕も推し活続けるから、織田さんもどんどん書いてね」

「推し活?」

「うん、僕はずっと織田さん推し」


 なんの気負いもなくストレートに伝えられた思いに赤面するどころか身体中が熱い。


(確か、本田くんも独身だとか誰かが言ってたような)


 ほんの少しの浮気心を隠すように、推しが表紙を飾る本を胸に抱いて本田くんこと忍原嗣人にうなづく。


「また来てよ」

「うん」

「あ、連絡先交換してくれる?」

「えっ!」


 こんなシチュエーションが自分にやってくるとは思ってもみなかった。


「推しは推せる時に推しとかないとね」

「へっ・・・・・・!?」


 栗朱と同じことをいう嗣人にキュン死しそうになった。




 ファンタジー好き2次元オタクからの小説家、織原栗朱。彼女が人生唯一の恋愛小説を世に産み出したのはこの後すぐの事だった。






□□□ おわり □□□




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