第12話(最終話)
ライモントとシフォニアが婚約してから、二年後の春。身支度を済ませたライモントは、そわそわとして部屋中を歩き回った。服がよれるからじっとしていてほしいと侍従から言われても、落ち着かない気持ちを持て余しているのだから仕方無いと反論する。これでも、整えた髪に触れてしまわないよう気をつけているほうだ。
ノックが聞こえ、開いたドアから侍女が姿を現した。準備が終わったと言うので、ライモントは速まる足で隣室を訪れる。
――女神がいると、本気で思った。
「ライ、お待たせしてごめんなさ……」
「きれいだよ」
口を突いて出た賛美は、何とも平凡なものだった。湧き起こった感動を表すには到底足りず、世界で一番きれいだと付け加えてもまだ届かない。
今日は、結婚式だ。そのために、シフォニアは純白のウエディングドレスに身を包んでいる。
大輪の花のように広がった裾は、シフォニアの華奢な体をいっそう儚く見せる。レースの袖は肌を淡く透かし、繊細な刺繍は光を浴びてきらきらと輝く。確かにシフォニアのためにあつらえたドレスだが、本人がまとうとここまで美しいものなのかとライモントはまばゆさを覚えた。思わずシフォニアの右手を取り、その甲に口づけを贈る。顔を上げれば、照れて頬を染めた未来の妻と目が合った。
手を繋いだまま、二人は言葉を交わす。今日という日が夢のようだとライモントが呟くと、自分もそうだとシフォニアは笑った。この二年間は穏やかで幸福な日々だったが、たった二年で幸せになるとは思っていなかったとも。シフォニアが絶望したあの瞬間は、ライモントも鮮明に覚えている。きっと、生涯忘れることはないだろう。そこから救い出せたことに、ライモントは強い安堵を感じている。また、そのときの判断がこうも偉大な形に昇華されるとは想像もしていなかった。人生とは分からないものだと、シフォニアと二人して苦笑する。そして、何があってもこの先を二人で生きていこうと約束した。
テーブルの上には、ブーケが二つある。薄紫色を基調とした色とりどりなものと、それよりも大きな白色のものだ。前者はシフォニアが選んだ花で作った花束であり、後者は王家から贈られた。ライモントが目で尋ねると、シフォニアは小振りなほうを手に取った。
真っ白な車で、二人は教会へと向かう。道の左右には領民が並び、口々に祝いの言葉を贈ってくれる。シフォニアはすでに、クルエ辺境伯爵領で暮らす人々の一員となっていた。
教会の控え室に入ると、ライモントの心臓は緊張でいよいよ破裂しそうになった。一方でシフォニアはいくらか冷静さを保っており、未来の夫の弱気な声を優しくなだめる。しかし、不意に花嫁姿を褒められると、顔を赤くして俯かずにはいられないようだ。ライモントにとってその仕草は大変愛しく、これからも慈しみ守っていきたいと思わせる。
それから少しすると、ヴィリーズ公爵夫妻が控え室を訪れた。
「ニア、きれいだわ。世界で一番の花嫁ね」
「幸せになりなさい」
「お母様……お父様……」
今まで育ててくれて感謝していると、シフォニアは涙ぐんだ。心配を掛けることも多かっただろうに、いつも側で励ましてくれて嬉しかったとも。
ヒューヴァインとフィオラの視線を受け、ライモントは必ず幸せにすると二人の前で誓った。また、いつでも会いに来てくれて構わないと微笑む。シフォニアは、クルエ辺境伯爵領から出られない。それでも家族の絆を感じていられるよう、ライモントはできる限りの助けをするつもりだ。ライモントの決意を聞いたヴィリーズ公爵夫妻は、シフォニアをよろしくと言って頭を下げた。
やがて、式の始まりが知らされた。ヴィリーズ公爵夫妻が控え室を出ていくのを見届け、ライモントとシフォニアも礼拝堂へと向かう。所定の場所に立ったところで、ライモントはシフォニアに呼びかけた。
「僕を好きになってくれてありがとう。どうか、この先も一緒に生きていこう」
絶対に見捨てないという意味を込めて述べると、シフォニアの双眸はきらりと揺らめいた。滴が落ちることはなかったが、泣き笑いのような表情でシフォニアは頷く。
「私を愛してくれてありがとう。これからも、ライの隣で生きていくわ」
ライモントは、シフォニアのベールをそっと下ろした。森の恵みを象ったそれに覆われ、どのような顔をしているのか分かりづらくなる。されど、そこに絶望は無いとライモントは知っている。シフォニアの心は、もう過去にはいない。今この瞬間を色鮮やかに映し、未来を望んでいる。ライモントは、それと同じ景色を見詰めて生きていく。愛する人の側で、二人はこの地で息をする。
オルガンの音色が微かに聞こえ始めると共に、ドアが開く。ステンドグラスに差し込む春陽は、二人の今日を晴れやかに祝福していた。
月の欠けることと満ちること 青伊藍 @Aoi_Ai
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