隠された視線
井澤文明
2023/3/3 ██書店
「最近、変な視線を感じるの」
初老の女性が、大きくため息をついた。女性の深刻そうな言葉に、使い古された学生服を着た青年が本を抱えたまま尋ね返した。
「視線、ですか?」
「そう、視線。ストーカーかしら?」
「心当たりはあるんですか?」
「ないわよ〜あったら警察行ってるよ」
確かに、その通りだ、と言いたげに青年は頷く。そして抱えていた本の山を本屋のカウンター上に置いた。
「運んでくれてありがとう。最近腰が痛くってね〜」
「いえいえ、いつもお世話になってますし」
少し曲がった腰を右の拳で強く打ち、女性は痛みに耐えている様子だった。
██書店。██夫妻の親の代から経営している小さな本屋で、青年は幼い頃からここの常連らしい。
最近はデパートや駅前にも新しいの書店が開いているが、それでも青年のように通い続けている人が多く、客足が遠くことを知らない様子だ。
「ところで、金剛くんは視線感じないの?」
「うーん、特に感じないですね。でも良く鈍感だって言われるんで───」
「そう、鈍感だよ、和臣は」
青年・金剛和臣の背後から歩み寄っていた同級生の石黒祭は言い放つ。友人の言葉が不服だった青年は顔を歪ませるが、言い返すことができないらしく、問いかけた。
「じゃあ、祭はわかるの? 嫌な視線の正体」
石黒祭に視線の正体がわかる訳ないと思っているようで、どこか侮っている表情とも読み取れる。だが彼のそんな期待に反し、石黒祭は当然のように答えた。
「そりゃ、もちろん。じゃなかったら自分で自分のこと、天才って言わんもん」
「じゃあ教えなよ」
「ただ教えるだけじゃ、つまらんわ」
友人の言葉に青年は口角を下げ、眉を顰めた。
「不謹慎だよ、人が困ってることをそんな」
「バカな大人がアホらしいことしてるだけなのに、なんで僕が配慮せなあかんの? まあ、とにかく。勝負しようや。明日の放課後までわかったらお前の勝ちな」
石黒祭が妙な勝負事を始めるのは常のことらしく、青年は呆れた顔をし、頭を抱えた。
「今日から学年末テストじゃん」
「高校入試もう終わってるから関係ないよ。あ〜でも和臣ちゃんは真面目クンだった、忘れてた。じゃあ無理か〜残念だわ」
石黒祭はどこか嘲笑うように笑う。そんな様子の彼に対し、青年は諦めた表情でため息混じりに言う。
「わかったよ、明日までに解決すればいいんでしょ」
そこから二人は、ちょうど他の客がいないのもあり、自由に店内に何か手がかりになるような物がないか捜索した。
本棚はもちろんのこと、トイレも探していた。特に先程まで金剛和臣が██夫人と話している間に石黒祭が立っていた場所の周辺を探す。
側から見れば奇怪な行動だったため、裏で業務を行なっている新しく入ったアルバイト店員の████に怪訝そうに話しかけられた。
「忘れ物でもしたの?」
「あっ、いや、その───おばちゃんが最近変な視線を感じるって言うから、その原因になりそうな物ていうか、手がかりみたいなのを探してて」
「手がかり? 例えば?」
「いや、わかんないですけど───██さんも何か感じますか?」
「特に感じてないかな〜」
「ですよね〜」
アルバイト店員はその場を去り、再び店の奥の方へと戻っていった。
「ヒント、あげようか? 昔から来てる常連だったら、絶対に変だって感じる物があるんよ」
「僕の答え聞く前にヒントあげてるじゃん」
「じゃあ、僕、先に帰るわ。明日楽しみにしてるね〜」
自分のペースで常に生きている友人に、青年は呆れたがすぐに気を取り直す。先程もらったヒントをもとに、もう一度店内を見渡す。
こじんまりとした個人の本屋なのもあり、本棚で生まれている死角を除き、どこからでも店内全体を見渡すことができる構造になっている。
「あれ、これって───」
金剛和臣は、店内に潜むある『違和感』に気付く。目線の先には───
***
「ほんで? わかったの?」
「───うん、多分」
三月二日。木曜日で午後五時ということもあり、元々人が少ない時間帯ではあるが、この時期は特に主な客層である学生たちはテスト期間で立ち寄ることもない。石黒祭と金剛和臣を除いて。
「それで? 推理は披露してくれるの?」
「推理って言えるほど、立派な物ではないけど───」
金剛和臣はそう言うと、カバンに入れていた隠しカメラを取り出した。
「昨日、これを見つけたんです」
「まあ、カメラ?」
██夫人は目の前に出された『視線の正体』に驚きを隠せない様子だった。
店内にも防犯カメラは設置されているが、彼の手に握られている『それ』は、明らかに店のものではなかった。
「誰がこんなものを?」
「多分だけど───████さん、ですよね?」
金剛和臣は██夫人の横に立つ新人アルバイト店員の████を見つめる。動揺している様子の彼女と、自身の横に立つ石黒祭の誇らしげな顔をチラリと見てから、彼は自分の推理が当たっていたことを確信した。
彼はさらに言葉を続ける。
「ここら辺の地域で、██書店はずっと昔からある本屋さんだけど、最近駅前でいくつか新しく本屋さんができているんです。でもほとんどは結局うまくいかなくて、いつの間にか消えています」
「今は出版不況で、本屋に行く人がそもそも少ないからな」
石黒祭が合いの手を入れる。
「今も新しい本屋さんで残っているのは██書房だけです。████さんはもしかして、元々そこの店員だったんじゃないですか?」
「根拠は?」
アルバイト店員は即座に問いかける。顔には焦りの感情が滲み出ていて、それが何よりもの根拠となっていた。
「隠しカメラ、犬のぬいぐるみの中に入れてましたよね?」
「犬の、ぬいぐるみ?」
青年が指を刺した方向には、確かに犬のぬいぐるみが置かれていた。
「おばちゃんの旦那さんで前の店主だったおじちゃん、子供の頃に戦後で食べるものがないからって言って、親に可愛がっていた犬を殺されて飢えを凌いだことがあるんです。だから、悲しくなるからって言って、犬に関連したものはここでは置かないようになってます」
「そんなバカなこと───」
「もういいわよ、██さん。私、別に気にしてないわ。警察にも言わないし」
██夫人は朗らかにそう言うと、横に立っていたアルバイト店員の顔を見上げ、微笑んだ。
アルバイト店員はさらに動揺して、まだ寒い春の空気に触れる肌に汗を滲ませた。そして項垂れ、膝から崩れ落ちる。
「───すみませんでした。うちの店、最近経営不振で。このお店に何か秘訣があるんじゃないかって言って、店長にやってこいって───」
「スパイみたいなことを?」
青年の問いに、床の上で項垂れたままのアルバイト店員は静かに頷いた。そして目に涙を滲ませながら、自分を見下ろす██夫人を見上げた。
「ここ、なんでこんなに長く続いてるんですか?」
アルバイト店員の言葉に、問いかけられた██夫人は困ったように眉を八の字にした。
「うーん、なんでかしらね? 私も良くわかってないの。ごめんなさいね〜」
次に、彼女たちは石黒祭の方へ顔を向ける。注目が自身に集まっていることに気付いた彼は、迷惑そうに顔を歪めて吐き捨てるように言い放った。
「知る訳ないやん」
そしてアルバイト店員は、再び項垂れたのだった。
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最終編集日:20██年3月3日 11:26
隠された視線 井澤文明 @neko_ramen
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