第17話 馬鹿な紫陽花令嬢


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「で、オルテンシア令嬢が自分のために動いた結果が、何故私に嫁ぐ判断だったのだ」


 そして、現在。

 アモール王国前王弟ギュンター殿下は、とても長い今までの経緯——ハイジアの今までの人生と言えるほどの——を聞き終え、静かに彼女に問うた。

 既に夕刻になっており、死相が顔に浮かぶ老人には、顔にわかりやすく疲れが出るほどの少々酷な読み聞かせだったようだ。


「アイア教の一教徒として出来ることはお看取だけと、以前の結婚で気づいたのです。そう仲介人に教えたところ、殿下をご紹介していただけたのです」

 長い間話し続けていたはずのハイジアは、声を少しも嗄らさず、今もなお淑女として一輪の花のように背筋を伸ばし立ち続けていた。


「その……恋愛ができぬというからか」

「はい、子を成す以前のお話ですから」

 殿下は不可思議とも言いたげに、小さく唸る。自分と死んだ妻は政略結婚とはいえ、二人の間には恋愛として愛があった。

 娘たちも、息子たちも、それぞれ恋に悩んでいたのを見てきている。

 似たような例だと、軍の部下に仕事と結婚した・・・・・・・ような男は一人いたが、彼の初恋話を殿下は飲みの席で聞いてしまった。


「私には、理解できぬ」

「ええ、散々言われましたので、気持ちは理解しております」

 ハイジアとしては、一部の身内に話していたが、親も含めて皆理解に苦しんでいた。


「いつか、恋愛をする時が来るかもしれぬではないか」

「……ええ。その可能性もありますわね」

 殿下の反論は、ハイジアは一番聞いた言葉だ。反論したいが、ゼロの証明は不可能であるという事を、何かの哲学書を読んだときに学んだ。

 ただ、未来に期待するのも良いが、悠長に待てるほど人生は長くないのも、ハイジアは理解していた。

 静かな沈黙、夕焼けの光は少しずつ影の形を変えていく。


「今までの話を知った上で、私は、やはりお前を馬鹿だと思う」

 殿下はじっとハイジアの目を見ながら、熟考した結果を告げた。殿下の声色には、最初に出会った時のような侮蔑や怒りなどは感じられず、夜の訪れのような落ち着いたものであった。


「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 再度馬鹿だと言われたハイジアだったが、少しも顔色を変えることない。純粋な疑問として、淡々と理由を尋ねる。

 殿下は一度大きく深呼吸をすると、言葉を続けた。


「お前は、全て相手のために、勝手に自分の幸せを手放してるからだ」

「それが、愚かだと?」

「ああ、己と他の利になるように動いてこそ、賢いというのだ」

 死期が近いとは言え、一国の軍を率いていた男の重みある言葉。


「相手の利ばかり優先し、己の利を捨てるのは愚かな象徴だろう」

 なんと、鋭い言葉だ。

 ハイジアは言葉を受け入れ、静かに頰笑む。そうか、だから伯爵は私がエイリアとの結婚を提案した時に、馬鹿だと言ったのかとようやく理解した。


 今までの婚約も。男爵との結婚も。伯爵へのお願いも。ハイジアにとっては、合理的な方を選んできたつもりだった。


 ——やはり、私は馬鹿だ。

 ハイジアはまた、ロワール令息との婚約を断った時の言葉を心の中で吐き出す。

 緩やかに流れる沈黙、見つめ合う殿下とハイジアの瞳はガラスのように互いを写す。


「ただ、紫陽花の花言葉は、我が国では『移り気』ではない」

「そうなの、ですか?」

 殿下の意外な言葉に、ハイジアは驚きのあまりに言葉を詰まらせる。

 まさかこの厳格な男から、花言葉という単語が出てくるとは思わなかったのだ。


「ああ、私の死んだ妻は、ロマンチストでな。花を見かける度に、よく花言葉を教えてくれた」

 殿下はハイジアから視線をそらし、寝台から一番見える場所に飾られた一枚の肖像画へと目を向ける。

 今よりも少しばかり若い気難しい顔をした殿下と、傍に寄り添う品の良く優しさに満ちた貴婦人が描かれている。

 仲睦まじい夫婦だったと、ハイジアもご子息からは話を聞いているし、実際にオルテンシアでお見かけしたこともあった。

 だからこそ、最愛を無くした殿下の憔悴は凄まじかったとも。

 肖像画を見る殿下は、愛しく、寂しいと白く濁った瞳から様々な感情がにじみ出ていた。


「『辛抱強い愛』だそうだ」

 震える言葉は、生前の夫人とのやり取りを思い出たのだろう、柔らかな口調であった。


「そういう意味では、馬鹿な紫陽花令嬢と言えるな」

 最後言葉を締めた殿下は、そのままゆっくりと眠りについた。

 やはり老体に無理をしていたため力尽きたのだろう、ハイジアは申し訳ない気持ちになった。

 その日の夜、ハイジアは自室で涙を流した。

 何故かは分からない、ただ静かに涙が次々と溢れ落ちる。


「初めて、紫陽花が好きになれた」

 嗚咽交じりに呟いた彼女の言葉を、侍女として付き添っていたハイジアの姉が、優しく受け止め寄り添った。


 こうして、ハイジアの二回目の結婚は、ひっそりと屋敷内で行われた。

 殿下との関係はお看取りということで、言葉を交わすだけのものだったが、夫人の事を愛おしそうに話す姿は穏やかであった。


 そして、半年も経たない内に、殿下は天国で待つ夫人の元へ旅立った。


 子息たちからは感謝され、ハイジアは元々決めていた少しの遺産だけを分けていただき、また次のお看取りへと向かう。

 次から次へと看取りの旅路の中で、侍女として着いてきた姉は、かつて死んだとされた婚約者と出会い結婚を成した。

 まさか婚約者以外とは結婚したくないと、心の病になった姉が、異国で幸せを掴んだのはハイジアとしても嬉しかった。


 勿論、何度も何度もお看取りを繰り返すハイジアを、社交界は冷ややかな反応だった。

 馬鹿な紫陽花令嬢と、笑う者たちも多かった。

 しかし、様々な貴族たちの穏やかな最期を看取る姿を、貴族の家族たちは見ていた。

 時には遺産も受け取らず、去ったこともあった。


 看取りの数は、五十はとうに超えたと言われている。


 彼女の献身は口伝で伝わり、婚約を駄目にし続けてきた馬鹿な紫陽花令嬢から、天国へと導く紫陽花令嬢へ。

 今では、アイア様が現世に送った愛の使徒とも、噂されている。


 まさに、辛抱強く歩いてきた道が、彼女の評価を変えた。といっても、ハイジアは侮蔑や賞賛は等しく興味が無く、淡々とした反応は変わらなかった。


 そんなハイジアが人生の最後に看取ったのは、奇しくも一度は婚約を断ったロワール辺境伯だった。

 既に齢七〇を超えての、再会だった。


「ハイジア嬢、貴方に看取られるとは。私は、幸せ者だな」

「そうですね、運命とは不可思議なものです」

 二人は皺だらけの顔に、大きく皺を刻みながら笑う。

 当時の面影は少ししかないほどに、老けてしまった。


 ハイジアの一生の後悔はようやく清算されたと、彼女の手記には書かれていた。

 そして、無事に四ヶ月の結婚生活の末、ロワール辺境伯を天へと見送った。

 また、ハイジアもやり残したことはないとばかりに、二ヶ月後にオルテンシアの生家で息を引き取った。


 オルテンシアに作られた墓は、梅雨になれば彼女が愛した紫陽花が咲き誇る美しいガゼボとして作られている。これは彼女が生前思い出深い場所として、デザインしたものだった。

 今もなお、墓に参拝をする人たちは後を絶たない。

 何故なら恋に悩む若者たちが彼女の墓に本を供えて相談すると、夢に紫陽花令嬢が現れて助言を貰えると、噂されているからだ。


 その噂は、彼女の死後百年も伝えられ、今では『馬鹿な紫陽花令嬢の伝説』として、語り継がれている。



 おわり

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馬鹿な紫陽花令嬢の結婚にまつわるエトセトラ 木曜日御前 @narehatedeath888

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