ただ者ではない本屋

秋色

my dear bookstore

「亜都子さんのオススメの本って何ですか?」


 後輩の宮田君にそう聞かれたのは、公園のベンチで、文庫本片手にサンドイッチを食べていた時。花壇には、黄と紫のパンジーがまだ冷たい三月の風に見を震わせていた。

 ビル街の中の公園。正午になるとオフィスからいつもここに直行する。ここで文庫本を読みながら大好きなパンを食べるのが、私の至福の時だから。

 

 なのに、その日に限ってこの後輩に見つかってしまった。性格の悪い子ではない、決して。でも踏み込まれたくないプライバシー優先の時間。

 それにオススメの本と言われても難しい。自分にとって面白くても、他人にとってもそうとは限らない。後輩の宮田君は私よりずっと若い。物心付いた時に、すでに携帯電話が世の中にすっかり浸透していたはず。そんな年代の子にとって面白いと感じるようなオススメの本? 難しい。オマケに結構、不思議君だ。


「そんなに難しく考えなくても。亜都子さんがよく休憩時間に本を読んでいる姿を見かけるから、本が好きなんだろうな、と思って。子どもの頃から本が好きだったんですか? 僕は子どもの頃サッカー教室と塾が忙しくて、本を読む時間があまりなかったんです。いつ、どうやって本って好きになったんですか?」


「近所の本屋に行くようになってかな?」


「なるぼど。書店ですね!」


「いやいや、書店って言われる程の規模では……。確かにニシムラ書店って名前だったけど。ただの本屋で……」


 それが先週の事。

 今、ふと心をよぎる。あれは果たしてただの本屋だったのか、と。

 記憶を遡る。


 *


 子どもの頃、母親に連れられ、近所の小さな商店街をよく訪れた。散髪に行く父親に連れられ、行く事もあった。馴染客しか来ないような化粧品店と、近所の子に絶大な人気の文房具店との間にその本屋はあった。こじんまりとした町の本屋だった。小さな店舗なのに、子ども向けの童話の本から小説、教養に関する本、料理の本まで幅広く揃えてあった。それはまるで小旅行のようだった。

 小学校の低学年の頃くらいかな。そこで親にねだって少女漫画雑誌をよく買ってもらうようになったのは。発売日に、綺麗に並べられたきらびやかな漫画雑誌の束を見ただけで胸が高鳴った。

 中学生になって、奥の棚にぎっしりと並ぶ文庫本に興味は移り始めた。内容は分からなくてもピンときたタイトルの本を引き抜くと、表紙の絵にまずときめき、さらに裏表紙の物語の要約で心を揺さぶられる。

 不思議な事に、すごく好きだと思える本にそこでは出会えた。外国映画の原作になっている本やSF《サイエンスフィクション》の在庫が豊富だった事もあり。まだまだ子どもで大人への入口を探しているような時期。これらの本は、大人の複雑な世界がまだ理解できない中学生の女子に、夢のような入口の世界を見せてくれた。そして孤独感をそっと癒やしてくれた。


 中年の夫婦で経営していて、店には主におじさんがいた。そしてこの本屋のおじさんは、配達もおこなっていた。私の父はそこで仕事に関する月刊雑誌を定期購読していた。自動車工学の本。

 後々考えると不思議だった。今ならインターネットで定期購読かな。でも昔でも、そういう本は、市街地の大きな書店で定期購読の手続きをするものではないだろうか? 父がどうしてわざわざあんな小さな本屋に依頼していたのかも疑問。 いや、それにはもっともな理由は考えられる。

 いつも本屋のレジ前に腰掛けているおじさんが、発売日に自転車で毎月配達してくれたから。たぶん配達料は取られてないと思う。配達は大きな書店ではしてくれなかっただろうし、現代のネットの定期購読でも送料は取られそう。でもどうして本屋はそんな定期購読の注文を受けたのだろう。ウチまで自転車でも五分位あるし、通常、店先に並ぶような本でないのに。手間の方がかかるし、割に合わない。

 お客さんからの希望があったから、依頼を受けて配達したという、本屋さんにとってすごく単純な理由からなんだろう。


 旅好きな人はだんだん遠い土地を、大きな街を目指すようになる。そんな旅人のサガで、中学生で文庫本に目覚めた私は、高校生になると、もっと大きな市街地の書店を利用するようになり、さらにインターネットでしか本は買わなくなった。



 *


 本屋に関するそんな不思議に思いを巡らせたのは、実は今度が初めてではない。二年前、その本屋の主人が亡くなった。たまたま実家に戻っている時で、本屋の前の電柱に貼られた「忌中」の文字に衝撃を受けた私はすぐに両親に知らせた。そして、数年前から本屋のおじさんは病気で入退院を繰り返し、店を休業しがちだった事を知った。

 家族で色々話していて、私はニシムラ書店の不思議について考えた。あの、何故か私の趣味に寄り添った本のセレクション。冷凍睡眠を題材にしたロマンチックなSFの「夏への扉」の隣に、「ジェニーの肖像」があったり。映画の原作繋がりで「テラビシアにかける橋」の隣に「わたしを離さないで」や「蝶の舌」が並んでいたり。 

 その夜、夢の中で私は、昔通りのニシムラ書店にいた。そこのおじさんが亡くなったと知っているはずなのに、いつものレジ横におじさんは腰掛けている。並んでいる本も、終活の本だったり、誰かにありがとうを伝えるための本だったり、雨上がりに虹の向こうに別な世界があるというファンタジーの本だったり……。そのファンタジーの本の表紙は芝生に小雨が降り掛かっているような写真。「きっと亡くなる前のおじさんなら、こんな本をオススメしたかっただろうな」と思えるような本。


 夢から覚めて思ったのは、本屋のおじさんはその時その時、本当に自分が誰かに読んでほしい、あるいは誰かと一緒に読みたい本を選んで置いてたんだろうな、という事。自分の心のひだにあるモノをすくい取って本にして並べていたような気がする。

 決して世の中の主流ではなかったけど、あっと驚くような本に出会えた場所。

 もし全国の人の平均的な趣味を考慮したような品揃えの本屋さんだったら、私は本を好きになっていなかっただろう。あるいは全国で流行っているものを抽出したような本だけが並んである本屋さんだったら、決して本に興味を持たなかっただろう。誰かの心の中を冒険するようなあの旅の中で、好きな本たちに出会えた。



 *


 今日、春らしい陽気の公園のベンチに、一人座っていると、向こうから宮田君の姿が見えた。


「この間、亜都子さんと話してから本屋に興味が湧いて、近くの店に行ってみたんですよ。カフェも併設されてて、好きな本をそこで読めるようになっているんです。渓谷や川の本とかもあって、最近、釣りが好きなんで、カフェでコーヒー飲みながら読んだりして面白かったです」


「素敵な所みたいね。今も本屋さんって活躍してるんだ。私も久々行ってみたいな、本屋さん」


「そうだ! そう言えば、結局。亜都子さんのオススメの本って何だったんですか?」



「あ、あれねー……」

 私は好きな本のタイトルを一つ一つ思い浮かべていた。

 まるであの本屋さんがお客さんのために本を選んでいたように、春の昼下がり、私は自分の心のひだにある本の数々を見えない本棚に並べ始めていた。


「えーと、私のオススメの本はね……」




〈Fin〉



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