第12話 新たな旅路
「……ここは?」
シエンが目を覚ましたのは見慣れない部屋だった。見覚えはあるがとっさに思い出せない。
ひどく体がだるい。怪我をした後に似た感覚だが痛みはない。
「お、起きたな」
聞きなれた声がした。そちらを向くとマイスがベッド横の椅子に腰かけていた。読んでいた本をぱたんと閉じる。
「調子はどうだ? 腹減ってないか?」
「調子は……体が重い。腹は……」
シエンが答える前にごぎゅると腹の虫が鳴いた。
「無理もない。五日も寝てたんだからな。食欲あるだけ上等だ」
「五日……」
ぼやけていた意識が次第に覚醒する。状況に疑問を感じ始める。
魔王討伐の旅では目覚めた直後にマイスの顔を見るなんてしょっちゅうだった。しかし、もう魔王を倒し旅は終わった。なぜベッドの横にマイスがいるのか。そもそもこの部屋はどこなのか。
マイスは食べ物を持ってくるために部屋を出た。
そしてすりおろした果物を皿に盛って部屋に戻った瞬間、ばっとシエンが振り向いた。
「マイス、神はどうなった!?」
先ほどまで血色がよかったシエンの顔が青ざめていた。
シエンは意識を失う直前のことを思い出し、現状を予測した。
神を殺そうとするマイスを止めるため、中央教会で戦った。
シエンの剣はマイスに当たったが、聖剣を折られその衝撃で吹き飛ばされた。以降の記憶はない。そこで意識を失った。
つまり、シエンは敗北した。指揮官だったユシンは信仰心なんてろくに持ち合わせていない俗物だ。おそらく神域の場所を喋っただろう。
マイスの性格上、シエンの世話を優先して神域を後回しにしたとは考えづらい。
そこから導き出される結論は、
「先に言っとくが神は殺さなかったぞ」
「……へ?」
最悪の予想は外れていた。
マイスはあっけらかんと言う。嘘の気配はない。
「でもマイス、すごくすっきりした表情だけど」
中央教会では鬱屈した表情を浮かべていた。それに比べると今は晴れやかとすら言える、陰のない顔をしていた。
てっきり目的を達成してすっきりしたのかと思った。
「神の野郎をぶん殴ってきたからな。説明してやるからとりあえず食え。固形物もいけそうだったら持ってくるから」
「う、うん」
皿とスプーンを押し付けられシエンはおとなしく果物を食べる。乾いた喉に水分が染み渡る。
一口食べると空腹感がより強くなる。かちゃかちゃ音を立てて果物を平らげた。問題なさそうだったのでマイスは厨房からスープとパンを持ってきた。
とりあえず神が生きていると分かって安堵したこともあり、シエンは食べ物にがっついた。
「まずここはモルキルの家だ。中央教会で戦ったことは覚えてるか?」
「さっき思い出したよ。……なんで私は生きているんだ?」
「戦った後、生命の森まで担いできたんだよ。ヤバそうだったところを聖域のヌシが助けてくれた」
「ああ……そうか」
マイスの回答はシエンが欲しかったものと違っていた。
シエンは『どうして裏切り者である自分が生かされているのか』と尋ねたつもりだった。
マイスは中央教会から遠く離れた生命の森までシエンを連れてきたと言う。当然、殺すためならそんな手間をかける必要はない。
裏切り者を助けるほど甘い性格でないことは良く知っている。非戦闘員だろうが女子供だろうが裏切り者なら敵と判断し、躊躇なく殺すのがマイスだ。
なのにシエンは生きている。
つまり、マイスはシエンが裏切ったと思っていないということだ。
だから言うべきは謝罪でも許しを求める言葉でもない。
「ありがとう」
「どういたしまして。つってもだいたいヌシのおかげだけどな」
「私もお礼に行かないとな」
「酒はしこたま供えたからツマミを差し入れるといいんじゃねーかな」
シエンの言葉は正解だったのかマイスは笑った。
ちなみにカミをしばいた後、両親に報告がてら異国でお供え物を買い込んできた。ヌシは酒が好きだが強くないと判明した。
「話を戻すとだな、ユシンが神域の場所をペラったから大奉神山に直行して神と会ったんだ。神ってのがまたふざけたやつでさ、烙印は恩恵だとか魔王を作ったのは自分だけど仕方ないよねとか言い出したんだ」
「何それどういうこと」
「実はだな――」
カミに聞いたことを説明した。
神は感情を学ぶために分裂したこと。
マイスに烙印を捺したのは神の欠片だったこと。
体を分けたことで神が機能不全を起こしたこと。その結果魔王が生まれたこと。
カミは自分で魔王を処理するのが面倒くさいからマイスに後始末を押し付けたこと。
聞き終わるころにはシエンは頭を抱えていた。
「それは……なんというか……」
「複雑な心境であることは分かる」
「わりと真剣に信仰を捨てたくなってきた」
「神の実態、想像よりひどかったからな。一応言っとくが盛ってないぞ」
マイスとシエンは神が人間の理非善悪を解さない機械的な存在だと予想していた。
実態は自分の都合を優先し他人に尻拭いを押し付けるような存在だった。合理性を重んじる部分はあったようだが、あくまで自分にとっての合理性のみである。
シエンは聖典の内容に感銘を受けたため教会騎士となった。神を信仰してのことではないが、それでも崇拝対象がろくでなしという事実は堪えたらしい。
「シエンを使い捨てにしようとしたくらいだし教会抜けてもいいんじゃないか?」
「そもそも私の籍は教会に残っているのかな」
シエンは神敵マイスに連れていかれた。教会側に目撃者のひとりくらいいるだろう。
それがのうのうと生きて帰ったら裏切り者として扱われても仕方ない。命惜しさに神敵に尻尾を振ったと思われるだろう。
「教会関係は知らん間に丸く収まってたぞ」
「……………………どうして?」
考えてみても分からなかった。
聖域の調査を申し出たマイスに対し、教会上層部は『マイスが神を殺そうとしている』と公表し、却下した。
信仰対象の殺害を試みた相手に狂信者たちが穏便に済ます状況が想像できない。
マイスなら教会関係者を全滅させることもできるだろうが、それは丸く収まったと言わない。
「教会連中が討伐隊を差し向けてきたんだけど、アホほど神気をまとってたせいか襲ってこなかったんだよ。神域で何をしていたかって聞かれて、神の欠片を神に返還してきたって言ったら納得してくれた」
神に注がれた神気は神域でほぼ使い果たしたが、その残滓は全身にまとわりついていた。神気を扱う素養を持たないものでも目視できるほどだった。
討伐隊には『神が機能不全を起こしていると判明したのでそれを直してきた』と説明した。
嘘はついていない。神の機能不全が判明したのは神域に突貫した後だがそんなことは言わなければ分からないのである。
ユシンが簡単に神域の場所をしゃべったことで教会上層部の腐敗は表面化した。疑わしい上層部と、嘘をついた様子がなく神々しいマイスの言葉では、後者の方が信用された。
神域の場所を教えてくれたことといい、丸く収まるきっかけを作ってくれたことといい、ユシンは陰のMVPである。墓参りくらいしてやろうかと思ったが背信者の墓は多分作られない。心の中で冥福を祈った。
「おかげで俺は勇者のままだし、シエンも騙されて俺と戦わされた被害者ってことになってるくさいぞ。だから教会騎士をやめるも続けるもシエンが選べるはずだ」
「そっか。ありがとう」
シエンは安堵の息をつく。
現金なもので、神とマイスの無事が分かると自分の立場が不安になっていた。幸運なことにその問題もクリアされたらしい。
「残った問題はマイスの烙印のことだけだね」
「ああ、それはもういいんだ。神をしばき倒して折り合いがついた。消す方法は引き続き探すけど焦らずやるさ」
「……そういえば、なぜ神を殺さなかったの? 教会で戦った時には殺す気満々だったよね」
「お前が言うかね」
「私?」
自分を指さし首をかしげるシエンを見てマイスは呆れ顔を浮かべた。
マイスに思い留まらせた張本人は自覚がないらしい。意外とそんなものなのかもしれない。
「殺すなって言ったのはシエンだろ。最後の一撃もらった時にも俺を心配してくれたのは伝わったしな」
ここ十年近く、マイスはずっと殺し合いをしてきた。戦う相手はほぼ例外なくマイスに殺意を向けてきた。
勝てないと悟ってなお立ちむかってくる者がいた。何も考えず殺そうとしてくる者がいた。立場を奪おうと薄汚い欲望混じりの殺意を放つものがいた。マイスはもはや殺意のベクトルを判別できる。殺意ソムリエだ。
中央教会でシエンと戦ったが、驚くべきことに殺意を感じなかった。恐ろしい威力のこもった攻撃にもマイスを殺す意図が感じられなかった。
最後の一撃。神気を失いながら、意識が朦朧とする中でもシエンは剣を振って来た。そのひと振りは、火遊びする子供を叩いてでも止める大人を想起させた。
神気に身を冒され必死に自分を止める親友の言葉を無下にすることはできなかった。
「そ、そうなんだ。私何を考えてたっけ」
「詳細は俺にも分からん。けど相応の理由があるんだろうってことで神を殴り倒して神気を奪ってデコに『無能』って書いて地上に放り出すだけにしといた」
「えっ」
殺していないだけで思ったよりやってた。
「俺たちが神って呼んでたのは、神の欠片を宿した人間モドキだった。だから欠片を引っこ抜いて神に返還、神を完全な状態に戻した。ここまでは話したな」
「う、うん」
「欠片を抜かれた体には意識が残ってた。あいつは人間の気持ちを知りたいとか言ってたから、最後の邪竜インクを使って額に『無能』って書いてやった」
邪竜インクは、かつて失敗の烙印を上書きしようと入手した絶対に消えないインクである。何度試してもマイスの烙印を隠すこともできなかった。
どうせ他の使い道もない。最後に残った分を使い切ってやった。
「気の毒に……」
「俺と違ってハチマキでもすれば隠せるんだぞ。優しい方だ」
「マイスのそれは防具で覆ってもその上に浮かび上がるからね」
「ほんと勘弁してほしい。どういう仕組みなんだろうな」
今もマイスの額には『失敗』の二文字が輝いている。
帽子をかぶろうが兜をかぶろうが貫通して輝く。額に密着させなければいいかと思いきや、ほんのり浮かして装備したところマイスの額と兜の額部分が両方輝くのだから手に負えない。無駄に高機能である。
「まったく、神の野郎も人の気持ちを考えないで勝手したら痛い目を見るって学習してほしいよ。神気を失った状態で森の中にポイしてやったからその前に野垂れ死ぬかもしれないけど。人里に放り捨てて後ろ指さされるようにしてやった方が良かったか……」
「……あれ、マイス!?」
突然シエンが声をあげた。目を丸くしてマイスを指さしている。
「いきなりどうした。なんかあったか」
「なんかっていうか鏡……鏡は無い!? 額を見て!」
「……まさか!?」
マイスは椅子から立ち上がり部屋の外に顔を出す。
「モルキル、鏡無いか!?」
「うおっ、鏡ぃ?」
ばたばた音を立ててモルキルがやってくる。ほれ、と差し出された手鏡を受け取った。
食い入るように鏡を見つめる。
マイスの額で輝く『失敗』の二文字。
それが、点滅していた。
強く輝いて、はかなく光ってを繰り返している。
死にかけの発光蟲を想起させる光り方だった。
「これ、消えるのか!?」
「分からないけど、消えそうだよね。もしかして失敗の烙印は神気で光っていたのかな? 今のマイスからは神気を感じない」
「ああ……ありったけの神気で神域を封印して、そのあとは取り込まないよう気を付けてた」
カミが神域に戻れば再び神の欠片を手に入れて元通りになってしまうかもしれない。
マイスは『無能』の烙印を捺したカミを外に放り出してから神域を封印、誰も立ち入れないようにした。
神気の過剰摂取は体に毒だ。神域で尋常でない量の神気を取り込み体に負荷をかけた自覚があるので、神気の補充を控えていた。
「神気が空になったから烙印は光るためのエネルギーを失ったってことか?」
「その可能性はあると思う」
マイスは食い入るように鏡を見ている。
意図しないところで悲願がかなおうとしていた。
期待はさんざん裏切られてきた。都合の良い想像はしないよう自分に言い聞かせても期待せずにはいられない。
烙印の点滅は徐々に感覚が短くなり、ちかちか光ったのちにひと際大きく光った。
そして、マイスの額から光が消えた。
「おお!! おお……?」
「? マイス、どうした……?」
「………………………」
マイスは手鏡に額を近づけていたので、シエンからではマイスの顔が見えない。
歓喜の声を上げた直後、マイスの様子がおかしくなった。凍り付いたように動かない。
神のいやがらせだったのだろうか。期待するような演出をして、実は額の文字が『無能』になったとか。
やがてマイスが動き出す。
シエンの視線を遮っていた手鏡がどいた。
「…………あっ」
シエンは全てを理解した。
マイスの額からは失敗の烙印がなくなっていた。常に落ち着きなく輝いていた文字はきれいさっぱり消えていた。やはり失敗の烙印は神気由来のものだったらしい。
しかし、消えたのは失敗の烙印だけだった。
「邪竜インクでなぞった分がくっきり残ってるね……」
自分で書いた(もしくは書かせた)『失敗』の二文字がしっかり残っていた。
マイスは失敗の烙印を消すために邪竜インクを使った。
邪竜インクは少量しか入手できなかった。節約するため丁寧に『失敗』の文字をなぞった。
これまでは失敗の烙印の輝きに隠れて見えなかったが、額に塗ったインクは消滅したわけではない。しっかり額に染み込んでいたのだ。
絶対に消えず、削っても自動で修復する邪竜インクで書かれた文字が。
しかも、塗り潰そうにも余っていたインクはカミに使い切ってしまった。
マイスは静かに崩れ落ちた。床に膝と両手をついてうつむいてしまう。
「俺は……どうしてあんなことを……」
「……よく考えたら塗り潰しても跡は残るよね」
「烙印を消すこと以外考えてなさすぎだろ過去の俺……何やってくれてんだ……」
「あんまり自分を責めないで。これはハチマキとかで隠せるわけだし。思い付きでよく考えずに行動してはいけないっていう良い教訓だね」
「……………………」
「今度は邪竜インクを消す方法を探そうか。私も時間がある時は手伝うから」
「……よろしくお願いします…………」
マイスの新しい旅がこれから始まる――
――かもしれないが、立ち直るまでしばらく時間がかかりそうである。
失敗勇者は許さない @taiyaki_wagashi
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