第11話 神域③

 神はもともと神域で命を生命エネルギーに戻すだけの存在だった。

 その頃には『神』なんて名前すら持っていなかった。

 原始的な生命は神が何をするまでもなく生命の流れに還っていく。

 しかし、生命が進化し、より高度な機能を獲得していくと、流れに還ることを拒む生命が現れた。

 生物は自己保存の本能を持ち始めたのだ。己の死を恐れ、回避するようになった。

 特に人間と名乗る生物は強い抵抗を見せた。挙句、同族同士で凄惨な殺し合いを始め、死の瞬間には強烈な怒りや呪詛を発生させるようになった。放置すれば他の命まで汚染しかねないほど強烈なエネルギーだった。

 とはいえ本来なら生命の流れに大した影響を及ぼさない。神の処理能力は生命の量に比例して増減するものであり、死んだ命を生命エネルギーに変換するために過不足ない機能を持つからだ。

 それが変わったのはいつのことだっただろうか。

 

「おお神よ! ここにいらしたのですね!!」


 とある人間が神域を訪れた。

 その人間は狂っていた。

 死を恐れヒトの愚かさに絶望し救いを求め、いるかも分からない存在を追い求めるほど壊れていた。

 自らが空想した存在に『神』という名前を付け、探し続けていた。

 そしてついに神域に辿り着いてしまった。

 その人間は神域に住み着いた。

 何の意味もない自作の儀式を数十、数百と行った。


「この身を神に捧げます。どうか神の一部にお迎えください」


 その果てに自分の喉を自分で裂き、死んだ。

 全ての儀式は架空の神に祈るために人間が勝手に考えたものだ。神に何ら影響を与えるものではない。

 神に命を捧げると言ったがただの自殺だ。死体がその場に残るだけだった。

 それで終わりのはずだった。

 

『感情を効率的に処理するためには感情を知る必要があるのではないか』


 神と名付けられた存在はそんなことを考えた。

 増え続ける人間と人間が作り出す感情の澱。このまま増え続けたらいずれ自分の処理能力を超えてしまうのではないか。

 名付けられたことに影響を受けたのか、それとも感情を処理し続けたせいなのか、神は人間の『思考』に近い機能を持ってしまった。

 人間の感情を知るには人間の体を使うのが手っ取り早い。

 神は死体に自身の欠片を入れた。

 これにより神の処理能力と生命エネルギーのバランスがわずかに崩れた。


 神の欠片カミは肉体を獲得した。

 カミは死体を修復し、都合が良いように改造し、若返らせた。

 肉体を獲得したことでカミは明確な思考を得た。

 感情を学習するという至上命題を得たカミの行動はシンプルだった。

 カミは神域から地上の様子を見た。特に人間の様子を眺めていた。

 

「……なんだこれ」


 カミは困惑した。

 ヒトの動きはまるで合理的でなかったからである。

 生物の行動・能力は生き残るために最適化されるはずだ。

 ヒトは仲間を増やすことで群れとして強大になっていく。それは他の生物にもよくある性質だ。おかしな点はない。

 ある程度大きくなったヒトの群れは仲間割れを起こした。生き残るためでも自分の子孫を残すためでもなく同族の群れを殺した。邪魔だからという理由で優秀な個体を殺す一方で、生きる力に乏しい個体を守ったりもする。

 ヒトの言葉を理解すれば行動原理を理解できるかと思ったが、それも無駄だった。言葉と行動が一致しないことなど日常茶飯事だった。

 かといって心を直接覗く術もない。どうしようかと悩み、別世界の自分と近似の存在にコンタクトをとってみた。

 いくつか返答があった。返答のひとつにカミは興味をひかれた。

 人間はモノを作り表現するという。創作物を見れば人間を知るヒントになるかもしれないということだった。

 さっそくカミは人間の創作物に手を出してみたが、よくわからなかった。数が少ない上に一部の人間の考えがくどくど書いてあるばかりだったのだ。

 そのことを相談してみると、近い世界の神が『よかったら』と自分の世界の創作物を提供してくれた。

 提供された創作物は、カミの世界にある書籍の総数の十倍をゆうに超える量だった。それでもまだ全体のごく一部というのだから恐れ入る。

 数が多いというのはそれだけ多様性があるということだ。それだけでもありがたいのに、登場人物の内心を明示しているものすらある。

 カミは提供された創作物を読み漁った。


 カミが分化したことで神の処理能力はわずかに低下していた。その状態が百年以上続いたことで生命エネルギーのカスが蓄積され、塊となっていた。

 その塊が生命の流れに乗って地上に流出した。

 カミは悩んだ。

 カスの塊が海の底にでも沈んだのなら放置してもよかったが、一人の人間に接触してしまった。その人間は生命を呪い神を恨む魔王となった。

 魔王を放置すれば地上全ての生命が汚染されてしまうかもしれない。そうなれば星の破滅だ。神はもちろんカミにとっても他人事ではない。魔王に対処する必要がある。

 

「でも、まだ読めてないものが山ほどあるんだよな」


 カミは感情を学ぶために創作物を読んでいる。一冊読むにも時間がかかる。時たま異界の神が追加の創作物をくれるので、いつまで経っても読み終わらない。

 感情学習を継続しながら魔王を処理するにはどうすればいいか。

 

「そもそも魔王の元凶は人間たちの感情なんだから、人間にやらせればいいか」


 カミはそう結論付けた。

 人間が独力で魔王に勝てるとは思えないので力と情報は与えることにする。

 神気容量が多い人間を探し、神気を操る力と神託を受け取る能力を与えた。

 学習の片手間に神託を与えていると、いつの間にか魔王は倒れていた。

 

 人間も意外とやるものだと感心し、カミは学習に戻った。また魔王が現れても同じようにすればいい。

 しばらくするとカミのもとにマイスの声が届いた。

 魔族が聖域に住んでいいかとか、神託の印を消す方法はないかとか聞かれた。

 無視してもよかったが、魔王を倒したご褒美として質問に答えてやることにした。

 魔族だの聖域だのといった括りは人間が勝手に決めたものだからどうでもいい。神託の印をデザインする時には消すことを考えていなかったので、消す方法はないと伝えた。

 悲しみ、怒っているようだったので、創作物で見た方法で怒りを鎮めようと試みた。

 するとマイスは逆上した。うるさかったので通信を切った。

 何か怒っている様子だったが、どうせ神域には来れないだろうと考え、マイスの存在はカミの記憶から流れて消えた。

 

 それで終わりのはずがマイスは友人と戦ってまで神域にやって来た。

 思えばカミが人間の体を得てから神域を訪れる者は初めてだった。侵入しようとするものはいたが、神気濃度に耐え切れず帰っていった。

 せっかくだから会話しようと試みるもマイスは襲い掛かって来た。

 愚かなことだ。創作物によると望まぬ騒動がやってきたら「やれやれ」と言いながら蹴散らすものらしい。

 学習したことを活かす機会に高揚しながらカミはマイスを迎え撃った。

 

―――

 

「きみは本当によくやったよ。でも結果はこのザマだ!」

 

 カミは嬉々としてマイスを足蹴にした。

 足に神気はこもっていない。頭を踏み砕くこともできるが、そんなつもりはなかった。


「魔王を倒してくれたのもきみだったよね。だからぼくに歯向かったことは大目に見てあげようと思うけど、それはそうと言うべきことがあるよねえ?」


 過剰な神気により体が破裂しそうになっているマイスはカミの言葉に答えない。そんな余裕はない。速やかに排出し続けなければ体が内側から崩壊してしまう。

 問いかけを無視される形になったことをカミは気に留めない。そんなことはどうでもよかった。マイスを排除しようなんて考えも無くなっていた。

 カミは言い知れぬ興奮を覚えていた。

 

「これが達成感、というやつなのかな? それとも優越感? 実にいい気分だよ」


 マイスは戦闘経験の豊富さを活かしカミを圧倒していた。あと一秒カミの対処が遅れていれば黒剣はカミに届いていただろう。

 それをぎりぎりのところで阻止した。その相手を踏みつけにする。

 カミは創作物からでは学べない、生の感情を味わっていた。

 

「くっそ……」

「おいおい、違うだろ? クソはきみだ。ぼくをしばくとか息巻いてたくせに、そうして這いつくばっているのはどんな気持ちかな? 教えてくれよ」


 カミはマイスの頭から足をどけ、そのすぐそばに屈みこんだ。

 問いかけはマイスの耳に届かない。心臓の音がうるさいくらいに響いていた。耳の血管の一本一本に至るまで、今すぐ張り裂けそうなほど膨張している。

 視界は真っ赤に染まっている。今にも目から血がこぼれそうだ。神の姿は映らない。

 今すぐ過剰な神気を排出しないといけない。額の文字を『放出』に変更して対処するが焼け石に水だ。放出したそばから流れ込み痛みが和らぐことすらない。

 

「何をしたのか教えてあげようか? きみの額の印は神気を受け入れるための目印だ。それを利用して許容量以上の神気を流し込んだってわけ」


 マイスが苦しみうめく姿を、自分への敗北感からくるものと勝手に解釈したカミはにこやかにぺらぺらとしゃべり始める。

 初めて味わう高揚感に酔っていた。

 マイスはなぜ自分が止めを刺されていないか理解できないながらも再び行動できるように努める。


「おい、聞いているのかい? 神気の量を増やしてやってもいいんだよ」

「がっ!?」


 ようやくマイスが話を聞いていないと気づいたカミが神気の供給量を増やす。

 心臓が爆発するような衝撃にマイスの呼吸が一瞬止まる。狭まった気管を通る空気がヒューヒューとか細い音を立てる。


「……シエンはすごかったんだなあ」

 

 ぽつりとこぼれたのはそんな言葉。

 思い出すのは自分を止めるため過剰な神気を用いた友の姿。

 体が動けば地面に額をこすりつけて神気の供給をやめてくださいと頼むかもしれない。それほどの苦痛だった。

 シエンは自分の意志で神気を受け入れた。聖剣の力を使って過剰な神気を身に留めた。今のマイスと同じくらいの苦痛を受けながら戦っていたのかもしれない。

 どれほどの精神力が必要だっただろうか。本当の勇者はあいつだったんじゃないか。

 度が過ぎた苦痛に全身の感覚が曖昧になっていく中、現実逃避気味にそんなことを考えていた。

 

「シエン? ああ、きみと魔王を倒した人か。あれも馬鹿だよね。大した容量も無いのに神気を使おうなんてさ」

「……は?」


 勝ち誇るには相手が生きていないといけない。死体相手では面白くない。

 マイスが死にかけていることを察したカミは神気の供給量を減らした。そのタイミングで投げかけられた言葉はマイスの耳に届いた。

 反応があったことに気をよくしたカミは口の端を歪めた。

 

「あの役立たずと同じ目にあった気持ちはどう?」

「役立たず、だと」

「そうさ。だって、せっかくの神気を制御しきれなくてきみを止められなかったんだよ? 役立たず以外の何さ」


 マイスの思考が変わる。

 過剰な神気を投入されてから、どうやってこの苦しみから逃れようかとばかり考えていた。神気を体外に排出することに集中した。

 神域まで来た理由を思い出した。このふざけた馬鹿野郎を張り倒すという方向に思考が変化する。

 あやふやな感覚の中で黒剣を握りしめる。


「何を今さら抵抗しようとしてるんだよ。きみは負けたんだ」

「…………うるせえ」


 額の文字を『体操作』に変更する。『自分の体を操作する』なんて魔術が存在するのかマイスは知らないが、あふれるほどの神気を使って実現する。気に食わない神が寄こした能力でも使えるなら使ってやる。

 身を起こすマイスを見たカミは顔をしかめて跳び退った。

 

「ひどい顔色だ。魔王を倒したご褒美に命は助けてやろうと思ったけど、そこまでして逆らうならもういい」


 カミはマイスとの戦いで危機感を知った。

 近接戦は危険だ。うかつに近付かず、確実に仕留められるよう神気のさらなる過剰投与を行う。受け入れる器が間違いなく壊れるほど膨大な神気である。

 マイスがどれほど高速で動き回ろうが、神気は額の烙印に届きマイスを殺すだろう。


「次の勇者は逆らえないようバックドアを仕込んでおくようにするよ。教訓をくれたお礼だ。せめて苦しまず死ね」


 ダメ押しにカミは空間切断を放つ。神気の過剰投与に耐えたとしても確実に動きは鈍る。足を止めた瞬間にマイスをバラバラにする。

 そのはずだった。

 

「つくづく野放しにできないなお前は」


 マイスは黒剣を振るった。神気による攻撃は黒炎に焼き尽くされて消滅する。


「あ、あー……ああ、ようやく動けるようになってきた」

「なっ、そんなはずあるか! 人間が、これほどの神気を受けて動けるはずがない!」


 確実に致死量の神気を送り込んだはずだ。失敗の烙印がある以上、届かなかったという可能性は考えられない。

 黒剣から放たれた黒炎に全身を覆われながらマイスは首と肩を回している。黒炎に遮られて表情はうかがえない。

 

「お前のおかげだよ」


 黒剣は先ほどよりもはるかに大量の黒炎をまとっていた。

 黒剣の出力は限定的だったはず。せいぜい刀身の周囲にある神気を焼く程度だ。

 今のように、マイスの体を覆うほどの黒炎を生み出すものではない。

 

「この剣は神滅剣っていうんだろ? 教えてくれてありがとう」


 マイスが黒剣を振った拍子にマイスの周囲から黒炎が取り払われる。

 体のあちこちに火傷が出来ていた。黒炎で神気もろとも焼かれたのだ。この程度の傷は魔王討伐の旅で慣れてしまった。焼けた肌も折れた右足も有り余る神気(リソース)で修復した。

 そして、現れた額には『神滅剣』と書かれていた。

 

「神気が無限に流れ込んでくるなら、片っ端から使っちまえばいい」


 烙印で神気を操作するために必要なのは具体性と想像力だ。

 イメージさえできれば神気をつぎ込み実現できる。ただし漠然としたイメージでは威力と精度が下がる。額の文字を変えることができず発動しないこともある。

 マイスが保有できる神気量に限りがあるため無制限ではないが、カミによる神気投与でリソースの制限がなくなった。神気を焼く黒炎の存在を知り、それを生み出す黒剣が『神滅剣』という名称であると知った。

 固有名詞はイメージを強固にしてくれる。額の文字を『神滅剣』とすることで黒剣の強化に神気をつぎ込んだ。

 黒剣は機能が強化されたうえに絶えず燃料が供給される状態となった。

 刀身から絶えず黒炎が溢れ出し、周囲の神気を焼き尽くしていく。


「人間の気持ちが知りたいとか言ってたな。いいよ、協力する」

「っ!」


 カミは今なおマイスに神気を流し続けている。仮に一瞬でつぎ込まれた神気を消化できたとしても苦痛そのものから逃れることはできないはず。

 マイスは体の内側を神気に、外側を黒炎に冒されなお爛々と目を輝かせ、カミの姿をとらえ続けている。

 目の前の人間は異常だ。何をするか分からない。近寄りたくない。早く逃げたい。

 それは、カミが初めて感じた『恐怖』だった。

 とっさに空間を歪めて逃げようとする。

 

「遠慮するなよ」


 カミが転移するより早くマイスが黒剣を振るった。

 剣から黒炎が迸る。それは空間に漂う神気を伝いカミの周囲の空間を焼いた。神気で捻じ曲がった空間が正常に戻る。


「勝ち誇ったところを逆転される屈辱を教えてやる」


 黒剣を構え、マイスがカミに迫る。

 カミに与えられたのは一秒足らずの猶予。

 空間転移は間に合わない。身体強化で逃げようにも背中を向けた瞬間に斬られて終わる。防御魔術もカミが使えば神気が混ざる。黒剣の前には紙切れも同然だ。

 マイスを迎撃する以外の選択肢はない。


 神気を圧縮した弾丸を作り出す。どこを狙うか逡巡する。

 かつてないほどの神気を込めた弾丸だ。マイスの守りを貫通して身を貫くことができるだろう。

 しかし、目の前の人間は瘴気にまみれた魔王を殴り倒すほどのバケモノだ。体を内と外から焼かれる苦痛を無視してカミに襲い掛かるイカレだ。

 素直に撃ったところでかわされるか、命中しても平然と突撃してくる姿を想像した。

 カミは黒剣――神滅剣を標的とした。

 神滅剣はまだ完成していない。見たところ一度に燃やせる神気量に限りがある。一定以上の神気をぶつければ破壊できるはずだ。

 そもそも、マイス単独ならカミに太刀打ちできる道理が無い。カミにとっての脅威は神滅剣であり、マイスではない。神滅剣さえなければマイスに距離を詰められたところで何の問題も無い。

 

「――な!?」


 カミまであと一歩、というところでマイスは黒剣を捨てた。真横に向かってぽーんと投げたのだ。

 わずか半瞬、カミは迷った。

 神滅剣さえなければマイスはただの人間だ。脅威ではない。自分をおとりにしてカミの攻撃をかわし、神滅剣を拾い上げて隙をつくつもりに違いない。

 カミは神滅剣を狙い神気弾を放った。一抱えほどの大きさがあるそれは神滅剣に命中した。

 神滅剣は爆発にも見える黒炎を放出したが、長くはもたなかった。すぐに限界を迎え、あっけなくぱきんと折れた。


「これでもう、ぼくを脅かすものはない!」

 

 それを見てカミは安堵した。

 あとは攻撃手段を失ったマイスを鎮圧するだけでいいと。

 

 カミは見ていなかった。

 マイスは黒剣が折れようと気にも留めていないことを。

 マイスの額の文字が変わっていたことを。


「がっ!?」

 

 ほっと息をついたカミの頬にマイスの拳が突き刺さった。

 頬骨が折れそうな一撃にカミの体が大きくのけ反った。

 カミは神気に守られている。神滅剣以外に突破する方法はないはずなのになぜ。

 

「げほっ!?」


 続けざまに下から飛んできた拳が困惑するカミの腹をえぐる。

 内臓がまとめて破裂したのではないかと思うほどの衝撃があった。

 わずかに神の体が宙に浮いた。

 神の視界の端に映るのは拳を大きく振りかぶったマイスの姿。


「やめ……!」


 マイスは容赦なく拳を振り下ろした。

 渾身の一撃はカミの顔面を捉えた。普通の人間相手なら頭部が弾けるくらいの威力だったが、神気に守られているだけ頑丈らしく、歯や鼻を折るくらいの感触しか返ってこなかった。

 カミの体は何度か地面を跳ね、ごろりと転がり、やがてうつ伏せになって止まった。痙攣するようにぴくぴく動いている。失神しているがかろうじて生きているらしい。

 

「……まあ、殺す気はなかったからいいか」


 そうつぶやいたマイスの額には『神滅拳』と書いてあった。マイスの拳はうっすらと黒炎をまとい焼けただれていた。

 額の文字が『失敗』に戻る。マイスが右腕をブンと振ると拳に浮いていた黒炎が消え、火傷が治っていく。

 

 神域に来るまでのマイスはカミを倒すためのイメージを持てなかった。

 魔王を倒す旅で神気を使い続けてきた。その強大さは誰より知っている。それだけに、黒剣無しでは自分より膨大な量の神気を自在に扱うカミを相手に勝ち目はないと冷静に分析していた。

 神気を燃やす黒炎の存在を知り、イメージできるようになった。神滅剣という固有名詞を知り精度が上がった。

 忌々しい失敗の烙印だがその能力は万能に近い。拳に神気を燃やす能力を付与したのだ。

 直接『黒炎』にしなかったのは試した際に制御できず焼け死にそうになったからである。

 

 マイスは動かなくなったカミに歩み寄る。気絶したふりをして何か仕込んでいないか警戒してみるがその気配はない。

 つま先で体を転がし上を向かせる。


「うわ、ひでえ顔」


 などとひでえ顔をさせた張本人がちょっと引いた。

 カミの顔は大惨事になっていた。前歯が折れて間抜けな上、白目を剥いて鼻血を流している。口の端からは血が混じった唾液が垂れている。神としての威厳はまるでない。


「いけるかな?」


 マイスは意識を集中してカミを見る。

 カミの肉体は過去に神域を訪れた信者のもの。その中に神の欠片が入っているらしい。

 魔王が発生したのは神の一部が欠けたせいと言っていた。ならばその欠片を取り出して神に戻せばもとに戻るのではないか。


「これか」


 カミの心臓付近にはひと際強烈な神気の塊があった。これが神の欠片と見て間違いないだろう。

 マイスは額の文字を『抽出』に変更する。

 意識を失ったカミは神気を支配できていない。今ならマイスでもカミの神気に干渉できるはずだ。

 神気で手を象り、心臓に差し込む。白く発光する神気の塊を掴み出した。

 マイスが干渉をやめると欠片は神本体の方へ向かって飛んで行った。

 

「これで神の機能は戻るだろ。あとは……」


 カミの胸倉を掴んで引っ張り起こす。その顔をバシバシとビンタした。強化無しとはいえマイスの腕力は普通に強い。ひでえ顔がより一層ひでえことになる。

 頬が赤く腫れてきた頃にカミは目を覚ました。

 

「ぼくはいったい……ひっ、神気が使えない!?」

 

 起き抜けにマイスの顔を見たカミはとっさに神気で身を守ろうとするが手ごたえがなかった。

 マイスが神の欠片を引っこ抜いた際に体内にあった神気もまとめて抜けていた。

 カミの体はもともとただの人間だ。改造してあっても神気への干渉力は低い。補充しようとしてもマイスが邪魔をする。

 

「よしよし、人格は体に残ってるな」


 にやりとマイスが笑う。

 マイスにとって最大の懸念事項は、神の欠片に人格が宿っており神本体がカミの影響を受けることだった。

 もともと神は肉体を持たず人格を持たなかったらしい。予想通り人格は肉体に宿っていたらしい。

 

「も、もうぼくに大した力はないぞ。殴って気は晴れただろう!? これ以上何をするつもりだ!?」

「嫌だな、もう殴ったりしないさ」

「ほ、本当か? 本当だな?」

「本当だとも。俺は約束を守る男だ」


 マイスは深く頷いた。カミは素直に話を信じてほっと安堵する。

 その安堵はすぐに失われることになる。

 

「お前の望み通り人の気持ちってやつを教えてやるだけだ。主に屈辱とか無力感とかそういった方向の感情を体験させてやろう」

「……っ!」

「逃げるな」


 さあっとカミの顔から色が抜けた。青を通り越して生白くなる。這いずるように後ろに逃げようとするがマイスが頭を鷲掴みにした。

 神気無しのカミは運動不足の子供程度の身体能力しか持っていない。マイスが軽く掴んだだけで万力にかけられたような痛みが走り動きが封じられる。


「俺の気持ちを思い知らせてやる」

「い、いやだー!!」


 神域に甲高い悲鳴が響いた。

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