第10話 神域②

 実際のところ、マイスが独力で神に勝つことは不可能だ。

 神は膨大な神気の鎧に守られている。剣術でも攻撃魔術でも人族が持つ方法では突破できない。

 神威魔法ならば防御を貫ける可能性はあるが、神の方が神気に対する支配力が強い。マイスが教会でしたように、神気を剥ぎ取って無効化できる。


「…………っ!」


 神が腕を振る。得体のしれない気配を感じて横に跳んだ。

 直前までマイスが立っていた場所に暴風が走る。黒剣の鞘の先端を何かが掠めた。

 

「あはは、よく避けたね! すごいや」

「ふざけろよ……!」


 鞘の先端は消滅していた。神は有り余る神気で空間を削り取ったのだ。

 たとえるなら紙に描かれたマイスを紙ごと破いているようなもの。どれほど強度が高い物質であろうが、描かれた紙を破かれたら容易く真っ二つになる。

 あらゆる防御が神の前では無力である。


 マイスの攻撃は無効化され、神の攻撃は全て必殺。

 神をしばくつもりで神域へ来たのに問答したのは、マイスが無意識に神との戦いを回避しようとしていたからである。


「さあ次だ! どんどんいくよ! きみはどこまで耐えられるかな?」


 焦りに顔をゆがませるマイスに対し、神は声をあげて笑う。

 神が人差し指を立てた右腕を指揮棒のように振るう。そのたびに空間を裂く攻撃が飛んでくる。

 無造作に放たれる攻撃全てが一撃必殺の威力を持つのだからたまらない。マイスの目に神気が見えていなければとっくに死んでいただろう。攻撃をかわすことに全神経を集中せざるを得ない。


「くそっ!」


 攻撃をかわすばかりで神に近付くことができない。神気を併用し強化したマイスなら一秒で詰められる距離なのに、空間を裂く刃がそれを許さない。

 たかだか二十メートル程度の距離が果てしなく遠く感じる。

 雑に放たれる攻撃の間を縫うように跳び回る。その中の一撃が着地した直後のマイスに襲い掛かる。

 不運極まる痛恨の一撃。かわすことはできない。

 マイスは一縷の望みをかけて黒剣を前に突き出す。魔力で刀身を強化し、神気を黒炎に転化する。

 

「……頼むぞ!」

 

 じゅっ、と音を立てて神の一撃が消し飛んだ。

 万が一防げなかった場合を考えて二の足を踏んでいたが、神の攻撃に対しても黒剣が有効であると証明された。

 

「……神滅剣か。魔王も厄介なものを遺してくれたものだよ」

「よし、いける!」


 神が不機嫌な様子を見せる。

 黒剣は魔王が作り出した神を殺すための武器である。神気を冒す性質は神の攻撃に対しても有効だった。

 つまり、黒剣であれば神の防御を貫くことができる。

 シエンが黒剣を破壊しようとした理由はここにある。マイス単独では神に勝てないが、黒剣があることで勝算が生まれてしまう。


「調子に乗るなよ。神滅剣がどれほど強力だろうがぼくに近付かなければ当てることはできない。ぼくの攻撃から逃げ回るのに必死なきみにそれができるか?」


 神は両手を開く。左右十本の指の先端に神気が集まる。そのまま両手で空間を引っ搔いた。

 それだけの動作で先ほどまでの十倍の密度の攻撃がマイスを襲う。

 しかし、マイスは全ての攻撃の隙間を潜り抜けていた。


「お前、力はあるけどド素人だな?」

「……うるさいっ!」


 続けて神は平手で空間を打つ。神気の波が衝撃波となる。これまでの線とは違う、面による範囲攻撃。潜れる隙はない。

 マイスは慌てない。それどころか衝撃波に踏み込みながら黒剣を振りぬいた。

 黒剣は衝撃波を引き裂き、マイスは一歩神に近付いた。


「どうした、顔から余裕が消えてるぞ」


 一分前と神とマイスの表情は逆転していた。

 マイスは笑い、神は歯を食いしばっている。

 なお、マイスの笑顔は半分以上ハッタリである。黒剣で攻撃を防げることは分かったが、受け続けたらいずれ剣が折れるだろう。攻撃も防御も黒剣に頼っているので余裕はない。

 神は見事にハッタリに引っかかった。顔を真っ赤にして両手を振り乱す。


「くそ、当たれ!」

「ンなデタラメに当たるかよヘボ! もちっとじっくり狙ってみろ!」


 思った以上に挑発が効いて焦ったのはマイスである。やけになって放たれる無差別な広範囲攻撃はかえって読みづらい。

 煽ると神は狙いを定めて攻撃するようになった。フェイントをかけると面白いように引っかかるので回避は容易くなった。

 

 マイスは神の攻撃をかわしながら分析する。

 神の力は強い。圧倒的と言っていい。攻撃の威力も範囲もマイスを軽く超えている。

 しかし、弱点はある。

 実戦経験が無いのだ。神の力は強大だが、それを振るう者の経験値が不足している。

 力任せかつワンパターンなので読みやすい。どれほど強い攻撃でも飛んでくるタイミングと軌道が分かっているならかわすことができる。

 逆に、マイスの足元を狙って体勢を崩すことに専念し、隙が出来た瞬間に攻撃を重ねればそれで終わりだ。マイスに打つ手はない。

 神は彼我の戦力差を考えていない。マイスが何を考えて行動し、言葉を口にしているか想像できていない。そこが致命的な隙である。

 

 マイスは横に移動しながら神の攻撃を捌く。その中で一歩、また一歩と徐々に距離を詰める。神が危機感を覚えないようじんわりと。

 瞬間移動の範囲が分からないのが厄介だ。神が身の危険を感じた瞬間に手の届かない距離まで逃げられる。バレないよう少しずつ近付いて、神が対処しきれない距離になったら飛び掛かり勝負を決める。

 

「くそ、くそ、くそっ!」


 神の額に汗がにじむ。

 絶対的な安全圏に引きこもっていた神はあらゆる経験に欠けている。

 攻撃が当たらなければ焦る。そんなの当たり前だと思っていたが生身で感じる焦りは想像以上のものだった。

 思い通りにならないことへの苛立ち、翻弄してくる相手への怒り、力があるのにうまく扱えない自分への不満。

 頭に血が上りマイスを狙って神気を放つだけになる。マイスにしてみれば中途半端に狙われるよりも無作為の乱打や回避不可の広範囲攻撃の方がよほど恐ろしいのだが、狙った攻撃をマイスに当てなくては神の鬱憤は晴れない。


「いい加減にしろ!」


 神はひと際雑な攻撃を放つ。狙いが見え透いた攻撃をマイスがかわすと地団駄を踏んだ。

 

 ――――今!

 

 マイスはつま先の向きを九十度変更する。

 地団駄を踏んだせいで神の攻撃が一瞬止まった。

 すでに十分距離は詰めていた。これ以上近付けば神は危険を感じて逃げていただろう。

 距離が近付くということは神の攻撃がマイスに着弾するまでの時間も短いということ。

 どうやって攻撃をかいくぐろうかと考えていたところで願っても無い隙が生じた。一瞬だろうが、その一瞬を狙っていた者にとっては絶好の機会である。

 蓄えていた魔力と神気を爆発させる。ドン、と音がするほどの踏み込みで神に肉薄する。

 神気を焼き尽くす黒剣を振りぬき、神の防御を破壊する。

 

「……は?」


 はずだった。

 マイスの視界が傾く。視界の中心に捕らえていたはずの神が明後日の方向に消えていった。

 それどころか真っ白い地面が急激に近付き、ぶつかり、やがて動きが止まる。

 

「…………はあ?」


 何が起きたのか分からなかった。

 いや、正確に言えば、何が起きたか分かっている。

 マイスの体から急に力が抜けたのだ。

 高速で動く時には相応の空気抵抗を受ける。マイスは神気と魔力で肉体を強化し空気抵抗をねじ伏せて姿勢を保つ。

 今もいつも通りにしていたはずだったのに力が抜けた。

 踏み込みでついた速度は消えない。姿勢を制御する力を失った体は空気抵抗に耐え切れず意図しない方向へ転がってしまった。


「……なんで?」


 分からないのは『なぜ』そんなことになったのか。

 いくら神の神気干渉力が強かろうが限度はあるはずだ。触れもせず、一瞬でマイスの神気を抜くことはさすがにできないはず。

 そもそも、今もマイスの体の中には神気がある。使い切るのが難しいほど膨大な神気が。


「ごほっ」


 びきびきと激痛が走る。咳こむと白い地面が赤く汚れた。踏み込んだ右足もあらぬ方向へ曲がっている。

 全身が焼けるように熱い。


「――ふ、フフ、あははははは!」


 哄笑が降り注ぐ。

 神が自分の顔を片手で抑え、笑っていた。


「……まさか」

「気付いたかい? いや、本当に危ないところだった! 何が起きたか理解できているかい!?」


 神がマイスに近付く。黒剣を振れば確実に届く距離なのに腕が動かない。

 マイスは今の自分の状態に心当たりがあった。

 つい先日、似たような状態になった人間を見たばかりだった。

 

「神気中毒……!?」


 中央教会で戦った時のシエンと同じだった。

 神気は強大なエネルギーだ。体に留めておける量には限界がある。

 限度を超えて注入された神気は外に出ようと体内で暴走し、肉体を傷つける。


「ご名答だ!」


 神の足が頭に乗り、頭が地面に押し付けられる。

 大した力が籠らないその足を振り払うことすらできなかった。

 

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