第9話 神域①
「結界の修復も終わったし、ちょっと神をしばいてくる」
夜が明けてすぐ、マイスはモルキルにそう告げた。
「回復魔術ってのは消耗した体力までは戻らないんだろう? 大丈夫か」
「いけるいける。あんまりのんびりしてたら教会が神域に警備を敷くかもしれないし、シエンが目を覚ましたら止められるだろうから、その前に片を付けてくる」
大奉神山は聖域ではないのでマイスの襲撃対象に入っていなかった。それを見越した教会はまだ防衛態勢を整えていないはずだ。
ユシンは狂信者の前で神域の場所を話してしまった。時間が経てば警備を敷かれてしまうだろう。
教会が兵士を何人用意しようとマイスを止めることはできない。しかし戦えば多少なりと消耗する。戦わされる兵士も可哀そうだ。戦闘は少ない方がいい。
「シエンのことは頼む」
「任せとけ。つっても起きた時のために消化が良いもんを用意しとくくらいだけどな。あと胃薬」
「マジでお願いします」
なんてやりとりをしたのが一日前。
マイスは大奉神山に直行した。
大奉神山は標高六百メートルほどの岩山である。山肌はささくれだっており、登山道は獣道とすら言えないほど細く、荒れている。時折山頂方面から石が落ちてくることがあり非常に危険である。
修行を志した神官が訪れ、神に祈りながら裾野を巡り山頂を目指す。そんな場所である。
「修行道の入り口から山を挟んで反対側って言ってたな。正反対っつっても山を挟んでるから確かめるのが面倒だな」
ユシンの言葉を思い出しながらシエンは大奉神山の上空をまっすぐ飛んで見当をつける。
上空から見たところユシンが言ったような洞窟は見当たらなかった。岩山の周囲は乾燥しているが背の低い植物がまだらに生えている。おそらく茂みに隠れているか、落石を装った岩で隠しているかのどちらかだろう。
地面に降り、物は試しと額の文字を『探査』に変えてみる。周囲を見渡すと直径一メートルほどの岩の下から神気が滲んでいた。
一見するとただの岩だが、地下に向かって長くなっていた。上空からは丸い岩に見えたが実際には円柱に近い形をしているらしい。
引っこ抜くのも面倒だったので周囲の地面を土魔術で柔らかくする。土を引っ張り出すと岩が傾き奥の空洞が姿を現す。
「……間違いないな」
空洞の奥からむせ返るような神気があふれてきた。
これほどの濃度の神気はもはや毒に近い。マイス以外の人間であれば五分ともたず失神するだろう。魔王の瘴気を思い出した。
神気を気合で押しのけながら空洞を進む。人一人がかろうじて通れる程度の幅しかない通路はらせん状になっており、地下深くへ続いている。
「台車でも持ってくればよかったか。……危ないか」
車輪がついた乗り物があれば一気に下れたかもしれない。
台車に座りながら神域へ下る自分を想像してあまりのくだらなさに自嘲する。そんな妄想をするくらい代わり映えしない景色が続いた。
やがて通路の果てにたどり着く。
そこは真っ白だった。通路と同じ形と幅の白い何かがあった。
扉ではない。通路をほんのわずかに削って砂利を投げたら素通りした。
光っているわけではない。ただただ真っ白だった。
不気味である。おそらく足を踏み込めばそのまま奥に進めるだろう。
その先に何が待っているか分からない。
土魔術で硬質な棒を作って突き入れてみる。何の手ごたえもなく棒は白い何かを通り抜けた。感じる重さも変わらない。
一分ほどそのまま待ち、棒を手元に引き寄せる。突き入れる前から何も変わっていない。温度も形も作ったままだ。触れたら消滅する類のものではなさそうだ。
「ええい、なるようになれ」
神がマイス用の罠を仕掛けている可能性もあったが、あの無関心な神がわざわざそんなことをしている確率は低い。
額の烙印を『生存』に変え、白い何かに向かって一歩踏み出した。
「……なんだここ。気持ち悪」
踏み出した先は真っ白な空間だった。上下左右どこを見ても白い。地面があるようには見えないのに両足は確かな感触を捉えている。
普通に呼吸できる。生きるのに差し支えない空間らしいが、こんな場所に閉じ込められたら遠からず発狂するだろう。
聖域とは比較にならない密度の神気が漂っている。神域と見て間違いない。
「あれ、本当に来たんだ」
耳元でささやかれるような気配を感じたマイスは飛びのいて剣の柄に手をかける。
しかし、そこには誰も、何もいなかった。
「せっかく来たんだ、剣なんか振ってないでこっちに来なよ」
再び声がする。性別を感じさせない声だった。声変わり前の少年が近いだろうか。
烙印を通じて進むべき方向が伝わってくる。むやみに走り回っても無駄なのでおとなしく示された方へ進む。
先ほどまで何もなかった場所に奇妙な形の椅子が現れた。椅子の正面には大きな板が設置されており、板の上では絵が動き回っていた。その周りには何冊もの本が積んである。
椅子がぐるりと回ってこちらを向いた。
「こんにちはマイス。今日はどんな要件かな?」
そこに座っていたのは白髪の子供だった。金色の瞳がマイスを観察している。
「……お前が神か」
「きみたちはそう呼んでいるね。きみに神託を与えていた存在というならぼくで間違いない」
「なるほど」
マイスは黒剣を抜いて神に向ける。
神の姿は子供だが、決して見た目通りの存在ではない。一切の油断を捨て神の一挙手一投足に注目する。
「お前をしばきにきた」
「あ、アレ本気だったんだ」
びっくりした、と神は目を見開いた。眉を八の字にして困惑した様子を見せる。
「聖域でも言ってたけど、なんで? ぼくの助力が無ければ魔王を倒せなかったことくらい分かるだろ?」
「ああ、それは事実だ。どうもありがとう。けどな、額に『失敗』はないんじゃないか」
「ええー……でも分かりやすいだろ? それより分かりやすいデザインって思い浮かばなかったんだよ。そもそも消す意味あるの? きみが神気を自由に扱えるのはその印があってこそだよ」
マイスは言いようのない気持ち悪さを感じていた。
目の前の神から伝わってくるのは困惑と疑問。悪意や敵意はかけらもない。
マイスは失敗の烙印を捺されたことに怒っている。それは伝わっているはずなのに、神の口ぶりではむしろ、
「失敗の烙印は贈り物だとでも言いたいのか」
「? そうだよ」
当たり前じゃん、と神は言った。表情に呆れが混じる。
「まともな人間に神気なんて扱えない。それは人知を越えた力を持つ選ばれた者の証だよ。人界の伝説にも紋章を持った英雄の物語がなかったっけ」
「魔王を倒した今、神気の力は俺には必要ない。これを見るたびに失敗作扱いされているようで気に障る。だから消してほしいって話なんだが」
「あ、それ無理。印をつけた時に消すことって考えてなかったんだよね。情報伝達に漏れがあると困るから絶対に消えないように、消えても直るようにしたから。それにしても、きみは変なことを言うんだね。気に障るなんてしょーもない理由でせっかくの力を放棄したいなんて」
話が嚙み合っていない。神にはマイスの感情がまるで伝わっていない。
気持ち悪さの正体が分かった。
神は善意のみで動いている。失敗の烙印のことも便利な贈り物としか考えていない。
それをつけられたマイスがどう感じたか、烙印があったせいでどんな人生を送り、どんな感想を持ったかなんてまるで理解していない。おそらく興味がない。
その証拠に「しょーもない」と言い放った口調に嫌味はなかった。純粋に驚いていた。
全く悪意がないのに挑発としか思えないようなことを平然と言い放つアンバランスさが気持ち悪いのだ。
「子供が怒っていても許せって言って額をつつけばいい感じに流れると思っていたけど、そうでもないのかな。それともきみが変わりものなのかな? やっぱり人の気持ちっていうのは難しいね。勉強してもなかなか分からないや」
「もし印を消すことができるならお前をしばくと言ったのを取り消してもいい。方法はないのか」
「無いって言ったじゃないか。何度言わせるの」
「なら、神託を受けている時以外の表示を変更できないか。『失敗』じゃなくて小さい点をひとつ表示するくらいなら妥協できる。文字数増やしたみたいにそれくらいならできるんじゃないか」
「それも無理。増やしたのは試しにやったらできたっていうだけだし」
「……設定を変えるのも試してくれないか」
「嫌だよ面倒くさい。そんなことに時間を使っていたらきみに魔王を倒させた意味がないじゃないか」
「はあ?」
できない、ではなく嫌だと来た。脳の血管が切れそうになった。
さらに神は聞き捨てならないことを言っていた。
「魔王を俺以外が倒す方法もあったのか?」
「もちろん。ぼく自身がどうにかするって選択肢もあったからね」
「じゃあ、なぜそうしなかった?」
「だから言ったでしょ? 面倒くさいって。ぼくは人間の気持ちが知りたいんだ。魔王討伐なんてしてる暇ないよ」
見なよ、と言って神は上を指さした。
そこには無数の光の糸が絡みあってできた巨大な球体があった。光の糸の色は様々だが、球体は強く発光しており白く見える。
「あれがぼくの本体。死んだ命を純粋な生命エネルギーに戻すための機構だね。本来なら命の流れの量に対して過不足ない処理能力を持っているんだけど、ぼくが分化したせいで若干機能不全を起こしているんだよね。生命エネルギーのカスが固まって地上にこぼれちゃったり」
「……おいまさか魔王は」
「お、賢いね。きみが察した通り、地上に漏れたエネルギーカスが魔王の力の源だ。きみたちは瘴気って呼んでたっけ」
神の右手に紫色の光が、左手に見覚えのある姿をした人形が現れる。
人形は人型時の魔王を象っていた。
神は光と人形をくっつけた。すると魔王はマイスが殴り倒した異形の姿に変わる。
「ってことは魔王が生まれたのもお前のせいか」
「え、そういう結論になる? そもそもぼくが分化したのはここにやってきた人族のせいだよ? ぼくのせいじゃなくない?」
神は心外そうな顔をした。手元に残った魔王人形を握り潰す。
「前にここへたどり着いた人がいてね。この体の持ち主なんだけど。その人がぼくとの同化を願った結果、ぼくは人の体を手に入れた。そうしたら人の気持ちに興味が湧いてきてね。ぼくは勉強に忙しいし、本体は一生懸命仕事をしているんだ。魔王くらい片手間の対応になるさ」
精一杯やったのだから責めるのはお門違いだと神は言った。
ある意味では正論だ。頑張ってもできないことはある。できないことをやれと喚くのは時間の無駄である。
だが。
「つまりお前を本体に戻せば万事解決ってわけだ」
「うわっ」
マイスは黒剣で神に斬りかかる。神は驚いた様子を見せながらもごく短距離を瞬間移動し攻撃をかわした。
「何するんだ。確かに体が壊れたらぼくは本体に戻るけど、まだ勉強の途中なんだ。壊されたら困るよ」
「神域の雰囲気に圧されて忘れてたけど、そもそも俺はお前をしばきにきたんだ。こっちの希望を何一つ飲まないなら当初の目的に立ち返らせてもらう」
「乱暴だなあ。そんな無駄なことする暇があるなら話をしようよ。よく考えたらぼくは人と会話するの初めてなんだよね。勉強になりそうだ」
「なら、ボコボコにされて地面に這いつくばった時の気持ちを教えてやるよ」
マイスは神に剣を向ける。
神はやれやれと肩をすくめてため息をついた。不思議なほど癇に障る動作だった。
「本当はこんな大人げないことしたくないけれど、そうまで言うなら仕方ない」
迷惑そうなことを言いながら神は楽し気に笑っていた。
神の周囲の空間が歪む。桁違いの神気が凝縮され、黄金の光の衣が神を包む。
「人は神に勝てないと教えてあげるよ」
「人が嫌がることやったらやり返されるって教えてやるよ」
神と勇者が激突する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます